ひぃふぅみぃ再考2 ※コラム:沖縄ノロのタトゥーには✖がある件
昨日のつづき。昨日は下記まで行ったのですが、歯抜けの部分の対馬。これがですね、ツイタチのツイで行けるきがする(aho.でもAHOになるのは大事。きっと)。それを反映すると、5がですね、重複してしまいますね。そして4と6がない。
で、これと関連して、
魏志倭人伝のそのほかの国一覧は下記。魏志倭人伝には、通り道である10国の他に20の”遠くの国”が記載されております。全部で30。この30と中国は通史の交流があった。独断と偏見で景行天皇の遠征を参考に比定してみる。
※なお当時ばびぶべぼなどの濁音はない。カ行は中国漢字でハ行で訳されることが多いらしい。なので現在濁音があっても当時は清音で訳されている可能性オオアリ。なお『古事記』に九州巡幸は一切記されていないので日本書紀の景行天皇の九州征圧については、魏志倭人伝意識しまくって作ってますね。間違いない。地名由来が多すぎる。ボールドが確度高めのやつ。ほとんど景行天皇の立ち寄りポイント。
斯馬国 さば(山口娑麼) 周防 ※景行天皇の遠征はここから始まってる
己百支国 つばき 海石榴市(つばきち)※大野川中流にあるらしいが不明
伊邪国
都支国、 たくし× つき× ちくし?
彌奴国、 ネギノ(彌mei4, nei4)
好古都国 菊池市 カ行は中国ハ行で書かれてるらしい。
※平安時代「菊池」で「久々知」(くくち)
不呼国 うきは市 ※盞(うき)浮羽(うきは)的邑(いくはのむら)
姐奴国、ちぬ?
對蘇国、阿蘇のあたりだけど不明
蘇奴国、襲国 ※くまその本拠地 鹿児島県曽於市(囎唹市)か。
呼邑国 児湯郡(宮崎)、記紀では子湯。まちがいなさそう。
華奴蘇奴国、熊曾国 球磨囎唹 ※襲国とは別物っぽいね。
ここからなぜか景行天皇の部分でぜんぜんみつからないのです。仲哀&神宮皇后のあたりに移動するのかしら。ちょっとみてみる。
鬼国
爲吾国、
鬼奴国、
邪馬国 (八女か?)、
躬臣国、
巴利国 (原?)、
支惟国、wei
烏奴国
奴国
しまった猫タイムが来てしまった。今日はここまで。もっと書きたいことあったのですー!昨日4時まで調べてたのーwww
メモ:五十迹手(いとて)の治める国を伊蘇国といい、訛って伊都国という。意味深ですねこれは。蘇が訛るとトになれるのかい?
ノロ沖縄の入れ墨の件はとりあえず画像だけ張っときます。明日書きます。書きたいことがいっぱい
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