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醜女(シコメ)ってるね:シコメ最強伝説

余談:先日書いた卑弥呼の墓は多分円墳の予感の件。卑弥呼=銅鏡。あまてるちゃんのオーダー「鏡をわてやとおもて祀りや~」☞からの、神社に鏡設置。とするとやっぱりあまてるちゃんの存在が指すのは卑弥呼という可能性高くないか。前方後円墳が神社に鏡を設置して定着以降に、神社の鏡定着後に前方後円墳が始まった説作ってみたw。

日本1枚目の神鏡=青龍三年銘方格規矩四神鏡:239年ごろ

190年くらいに卑弥呼は王になっていてすでに成人済み。239年だともう老境。242年~248年には死んでるので神社に鏡ルールは普及してない。雲形台に乗っけて鏡を神社に祀ることが普及して、そのシルエット=卑弥呼を指す発想自体がまず定着しないといけないからその思想が定着してないならば前方後円墳にする意味なし。※あくまで前方後円墳の形が神鏡をビジュアル化したものという私の勝手な妄想の前提でのお話です。古代中国の当時の台の形が知りたい。最古時期の前方後円墳は箸墓古墳(200年代後半)。つまり初鏡到着から40年ばかり経って『鏡@神社』が普及してから、最初の鏡古墳ができたといことか?だとすると余計に箸墓古墳は卑弥呼じゃない。

箸墓古墳=土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法により、邪馬台国の卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀中頃から後半とする説がある。一方で、近年炭素14年代測定法では、実年代より50-100年程度古く推定されることが明らかとなって・・・4世紀中期以降とする説もある。

揺れすぎw。はっきりしてくれ。もっと調べてくれ。何回も調べてくれw。いずれにせよ箸墓ではすでに埴輪、つまり生贄制度が廃止されて、埴輪にて代用される文化が始まっていた。しかし、卑弥呼は生の人間が一緒に死んでると魏志倭人伝に記載がちゃんとあるじゃんね。そういう意味でも箸墓=卑弥呼とはかなり考えづらいんですが。なんで考古学の専門家が箸墓=卑弥呼にしてるのか意味がわからないわ。無理がありすぎる。

余談以上(余談長すぎるw)

さて本日の本題:

①シコメ最強説☞脱普通ビジュアル☞縄文土偶

武田鉄矢さんの昔のラジオ聞いていたら、漫画・宗像教授伝奇考を紹介していて、その紹介の中で、シコメ(醜女)についての見解が紹介されていて面白かったです。つい最近ちょうど、ニニギ君の婚姻話(地上に降り立ち、絶世の美女を九州で見染めていきなり婚姻を申し込んだら、不細工な姉もセットでついてこようとしてそれを断ったら恨まれてそれ以降天孫系子孫は永遠の命を奪われ、寿命ができたというお話)を不思議な思いで読んだところでしてw。この話の教訓的なところは、美女ははかなく花びらのように散るものという存在として位置しており、不器量女は丈夫さと耐久性に優れているということなんですひょw。

※こぼれ話ですが、このニニギ君が見染めた美女に声をかけていきなり、「いざ、まぐわらん」とか言っちゃったらしいw。今だったら翌日の新聞に

「無職男、帰宅中の女性に強制性交未遂で逮捕」

と載りますよねw。すごいねw。面白いので原文も載せておきます。

爾問「誰女。」答白之「大山津見神之女、名神阿多都比賣此神名以音亦名謂木花之佐久夜毘賣。此五字以音。」又問「有汝之兄弟乎。」答白「我姉石長比賣在也。」爾詔「吾欲目合汝奈何。」

※武田さんが言うには、こういうシコメが丈夫という伝説は世界各地にあるんですって。

さいばる遺跡だかどこかの九州で見つかった古墳の人骨は、女性でかなりの奇形だったそうなんです。あごとかグイーと異様な形をしていたらしい。にしては、とても手厚く葬られていたそうなのです。病気だったという説もあるものの、故意に変形させられたのではないかというのがこの漫画および武田さんの見解なのです。つまり女児赤子がすぐに奇形児となるべく、徐々に身体をゆがめられていったという恐ろしいストーリー。。なぜ故意に変形させられたかと言うと、前述の神話のとおり、醜い=強さ・耐久性・永遠性という文化だったのではとのこと。マヤも奇形文化あったよねたしか。

そういえば今も美人薄命とか言われますよね。ブス薄命とは絶対言わない。むしろ不器量は、憎まれっ子世に憚る的な位置づけ。

それで、この話まだ続きがあって!、そういえば、縄文土偶、シコメってるんですね。どーん↓

土偶はほとんど女性をかたどっているといわれていて、しかも妊婦が多いそうでして、しこめってるよね。妊婦がしこめってるのです!妊婦がしこめるのにはワケがあるわけですね。

縄文土偶の異様な感じってすごく謎だったのですよね。私は、縄文人には本当にこう見えてたのかなとか考えてたのですが、もしかして、強さの象徴としての「脱普通のビジュアル」だったとしたら。。。私的にビンゴの鐘が鳴りまくった。おそらく出産などの祈願・お守りとしての役割のある土偶が多かったらしく、命の強さ・耐久性を祈るのに異形になるのはこの説にのっとると筋が通ります。なるほどー!!しかし問題は全然証明ができないということw。

ちなみに日本神話では他にもシコメがいろいろおりまして、その名も黄泉醜女w。

シコメと神話の関係、面白いかも!!

世界のシコメを見てみましょうぜ。↓

★ゴルゴーン3姉妹(ギリシャ神話):「恐ろしいもの」の意。

 有名なのは末っ子の蛇と一体化してるメデューサ。姉はステンノー(「強い女」の意)、エウリュアレー(「広く彷徨う女」あるいは「遠くに飛ぶ女」の意)。

ステンノー

エウリュアレー

★カーリー(ヒンドゥー神話)

「黒き者」あるいは「時」の意。血と殺戮を好む戦いの女神。全身青みがかった黒色で3つの目と4本の腕を持ち、4本の腕の内一本には刀剣型の武器を、一本には斬り取った生首を持っており、チャクラを開き、牙をむき出しにした口からは長い舌を垂らす。

醜い女と強さ・丈夫さというのは古代は関連していたのだね。上の青い人とかかなり強いそうだね。踏んづけてるし。

下記の件はまた今度書きますがとりあえず置いときます。書きかけです。無視してください。

①長髄彦って何者?

神武東征で奈良にいた勢力を倒してヤマト政権が完成しました。その時奈良にいた土着の勢力が長髄彦。

古事記には、何度か東征チャレンジがあって、最終的に神武で成功したわけですが、大枠だけ俯瞰でみると

 ★あまてらちゃんは九州の上空あたりにいて、最初弟のスサノヲが微妙に東征、大国主も微妙に東征、あまてらちゃんの孫のニニギ君は着地しただけ、ニニギ君の孫の神武で東征が完了という流れだったかと思う。(タケル系はヤマト出発での東征になりますのでここでは除外します。あくまで九州出発での東征のことをここでは書いています)。そこに孫のニニギや神武が着地(神武は商大着地王の孫くらいの人)。ニニギから神の人間化が進み寿命が発生。

いずれのストーリーも、九州出発、ということにこだわっている。あくまで我々のオリジンは九州です、ということのようです。何回も執拗にそれをアピールしている模様。なんでそこまでしつこく九州オリジンをアピールしたのか? あまてらちゃんの弟スサノヲとその息子大国主は、微妙な東征でおもに出雲の勢力となり、アマテラちゃんは弟ではなく自分の子孫系列のニニギ君&神武に統治させなおすというストーリー。なにゆえ。

それで、神武が最終到着地で倒した奈良にいた土着王が長髄彦さんなのですが、長髄彦って一体どういう人だったかというと。。。

  

苗字がトミなのか?とみ。とみ。この件かきかけ。

つづく

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