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サンドイッチ仮説、奇跡の大復活!【俺の邪馬台国】

びびびびびびびび。
私、わかった気がします!!!
最近どスランプに陥ってたサンドイッチ仮説。昨日垂仁天皇期ってなんでしつこく朝鮮半島から使者が来て、大した役割も担わせずに帰っていったのか、あるいは土着になったことになったのか。。。が腑に落ちなくて、ダメだこりゃと思って昨日改めてback to basics原点回帰で魏志倭人伝を読んでいたのです。

でな、どこから書こうか。

①女王が都とした場所が、邪馬台国

南至邪馬壹國 女王之所都 
南に行くと邪馬台国に至る。女王が都とするところである。

→女王は巫女ですので、占いで都と決めたわけです。しかし、女王が占いで都と指定しただけで、都に女王が住んでる必要はないのです。”所”は●●とするところ、という意味ですので、住んでるとは書いてないっ!

②狗奴国男王の名はヒミココ(orひこみこ)である。

(狗奴国に)男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
狗奴国男性をもって王となす。その官は
狗古智卑狗がいる。女王に属さず。
狗奴国の男王
卑彌弓呼はともとより和せず。

→卑彌呼に対して卑彌弓呼ですので、なんて読むかははっきりわからなくても役割として、男性の呪術的役割で狗奴国をおさめてた。つまり、狗奴国の王もミコだったと考えられる!これは、日本書紀で神通力の役割を担わせた部族は、出雲以外にありません。そしてそれは男性ですので、ひいき目に見ても出雲しか該当する条件がありません。

③近傍なのにやや遠かったり隔たっている国々。

※余談:下記1行目にある旁國=傍らにある国。遠絶=遠く隔たっている。は矛盾してますよね。近いんだけど遠い。近いんだけど障害(海・山)があって実質遠い。どっちでしょうね。

自女王國以北其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶不可得詳  次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有爲吾國 次有鬼奴國  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國  此女王境界所盡 其南有狗奴國 男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 

→奴国が2回目の登場しているのは有名なお話。これは文字抜けというのが通説です。しかし、私は抜けているのではなくたしかに同じ国として奴国を重複記載している、でよろしいかと思います。以下に図式で説明していきます。

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で、魏志倭人伝は三国志研究者の方の説明のとおり、中国の敵対国を威圧するようなポジションにいかなくてはいけませんので、下記のとおりだったのです。

 東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸 
 東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家 
 南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸 
 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 

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で次、ここは元に戻したっぽい。ざっくりみてください。つまり敵対国に向き合う形で邪馬台国を配置した。それが魏志倭人伝の道程。※但馬から水行記載あるのは明日考えさしてくれ。

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で、次。近傍の国は、下記うねうねうね~っとオレンジで書いたあたりに配置。つまり日本海側から来てるので、そのあたりは説明できるけど、逆側は省略して記載して、最後に奴国に戻った。だから2回記載されてるのです。

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で、下記

次有奴國 女王境界所盡 
 南有狗奴國 男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 
 自郡至女王國 萬二千餘里 

上記これ=奴国、ぐるりんちょと囲み終点にきて、これが女王に属してますよってことです。ゆえにそのすぐ下のそれ・その=奴国と私には読めます。したがって、読者はいま奴国に戻ってきてる。で、その南に狗奴国があるのです。となると道程でもすっとばされて触れられていない日本海側にある出雲しかないのです。魏さんの都合でいろいろちょろまかした結果、おかしなことになっちゃっていて、しかもねつ造具合がかなり雑に操作されているので、それで現代日本人が読むと大混乱しちゃうのです。もう一つ言えば、魏の敵対国に面する形で、邪馬台国の敵対国があっては非常にまずいのですから、反対側に配置されているべきなのです。余計に出雲しかないのです。関東も可能性としては考えたものの、関東には東征完了直後に天孫に統治させました。出雲だけ天孫による統治という形になかなかしないのです。

④女王を見た人はほとんどいない。

ゆえに、大変残念なお知らせなのですが、使者が詳細を説明しているところには、卑弥呼はいない可能性が大。使者が立ち寄ったスポットスポットで「女王お元気?」とか女王の話題を出したときに「いや、わたくしは見たことないんですよ」と誰も見たことがなかったのです。噂で聞くくらいしか情報がなかった。立ち寄ったスポットにヒミコがいる可能性は少ない。

ここまでの結論

魏志倭人伝を書いた人的には
★邪馬台国はたしかに奈良にあった。
★狗奴国は出雲にある。
★ヒミコは邪馬台国にはいない。そして詳述されているスポットにもおそらくいない。

で、つまりめぼしい都市部には在住してないヒミコはどこにいるのか?それは日本書紀と、魏志倭人伝の卑弥呼が居住する環境の描写のくだりを読み合わせていくしかない。日本書紀に情報を求める限り、生きてるときは確実に九州方面にいることは間違いない、ということは確信しました。

⑤日本書紀”筑紫から任那までは2000余里”

少し話がそれますが、これをサポートできる情報として、垂仁期に上記のような”里”に関する記載があります。短里か長里かなんてi dont careなのでございますが、大事なのは日本書紀は魏志倭人伝に寄せていってる、つまり魏志倭人伝となるべく齟齬がないように意識しながら書いてるのです。それは明白。同時に、魏志倭人伝には帯方郡から邪馬台国までは1万2000余里という記載がありますので見てみましょう。

図:http://inoues.net/study/rakuroh3.htmlより引用

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あってる。巨大化しといたのに里で書くときには巨大化では計算せずに実際の距離にしちゃってる雑っぷり。

では、このあたりを明日以降詰めていきたいと思います。違うかもしれないからねっ!!!たのむぞー!



以下明日用メモ: 注意:あくまでも大陸の敵対国にとってある程度の意味をなすものが記載優先されるべきなはず。

★淡路・四国の香りがする前半。

斯馬國  ???さましますませまそま。須磨はあるっちゃあるな。
已百支國 淡路 ”ああはずかし”から訛ったのがアワジ@日本書紀。
伊邪國  伊予 
古事記:この島は身体は一つで顔が四つある。顔に名があって、伊予国いよのくにを愛比売えひめといい、讃岐国さぬきのくにを飯依比古いいよりひこといい、阿波国あわのくにを大宜都比売おおげつひめといい、土佐国とさのくにを建依別たけよりわけという。※日本書紀をみたあとに古事記を見るとエモ演出がすごいw。やっぱ日本書紀の方が好みw。
都支國  土佐
彌奴國  ●の
好古都國 ●●津
不呼國  うふ● 
姐奴國  ちぬ? 茅渟 和泉(いずみ)国

★どうにもこうにも九州南部にしか見えない後半。

對蘇國 
蘇奴國 
呼邑國 
華奴蘇奴國 
鬼國 
爲吾國 
鬼奴國 
邪馬國 八女?
躬臣國 
巴利國 
支惟國 
烏奴國 
奴國 
此女王境界所盡 

★じゃあ金印はどこにいった?

★邪馬台国を仕切ってた男たちは、どこから来た?どうやってサンドイッチにした?厳密にいえばサンドイッチではなかった?





 




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