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中国パイセンと日本神話(洪水型兄妹始祖神話)

日本神話周りを調べていると、調べれば調べるほどどうしても中国パイセンの影響をバリバリに受けているように見受けられて仕方ない。

たとえば、中国の天地創造神話。所説ありですが、まず3神5皇だっけ、なんかそんなんがあるんですけどね。下記のような流れ:

盤古(ばんこ) + 三皇 + 五帝

盤古(ばんこ):中国の天地創造物語では、世界は最初真っ暗闇の何にもない状態だったそうで、あるとき一筋の光がホワワと光った。すると1万年休眠していたバンコさんが覚醒し、そのままの明るい状態を維持しようとしてホワワをグイと押さえつけたそうな。で、そのままフリーズしたバンコさんのボディが滴り落ちたのが、地になったそうな。これがおそらく天円地方につながっていくということなのね。なるほど。

三皇:バンコさんの次に、伏羲・女媧・神農。所説ありだけど伏羲・女媧は男女の兄弟だったそうな↓。画像1

偽書の位置づけの三海経のポートレートは下記。ちょwww.ひどいw

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女媧=蛇身人首で女神。この人の時に、天地の支えがずれちゃった↓w。”古の時、天を支える四極の柱が傾いて、世界が裂けた。天は上空からズレてしまい、大地は割れ、すべてを載せたままでいられなくなった。火災や洪水が止まず、猛獣どもが人を襲い食う破滅的な状態となった。女媧は、五色の石を錬(ね)りそれをつかって天を補修し、大亀の足で四柱に代え、黒竜の体で土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたとある”。

※4極の柱って気になるよねー。銅鏡によると4辺から柱が出てるんです。しかし出雲の突出方墳は、角から出てるんです。

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で1説ではこの兄弟、近親相関でいろいろ生んでる。時系列不明だけど、ある時、大洪水が起きたときに二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説が中国大陸に広く残されている。

★洪水型兄妹始祖神話

ウィキより:

地域:沖縄県、中国西南部、台湾、インドシナ半島、インドネシア、ポリネシア

伏羲と女媧が兄妹でありながら性交している図像が古代中国には多くあり、唐代末期には既にこの兄妹夫婦伝承が庶民の間で語り継がれていた”
肉塊、瓢箪、水棲生物が産まれてくるパターンが見られる。中国雲南省の彝族では、兄妹の交会の結果手も足もない肉塊が産まれ、それを二人で切り刻んで山の上から撒いたら、その肉塊の破片の一つ一つが人間となった。宮古諸島多良間島のウナゼーウガンに伝わる伝承では、大昔に大津波によって人が絶え、生き残ったウナゼー兄妹が仕方なく夫婦になった。最初に産まれた子はシャコガイだったが、やがて人間の子を産み、それから子孫が栄えた。台湾のアミ族に伝わる神話では、洪水の後に生き残った兄妹が交会した結果、魚類と蟹の先祖のような生き物が産まれ、それを海に捨てた後で、月に伺いを立てたところ、二人の間に蓆を挟み、穴を穿って交わることを示され、それに従ったところ、普通の子供が産まれた。

ひるこやんなー。

そう、日本書紀にも蛭子がいるのですよ。イザナミイザナギ兄弟がSEXして生まれる3神の前に、不具の子というのが生まれてるんだよ。

で、前置きが超長いのですが、今わたくし日本書紀に突然出てくる動物たちを調べておりまして、なぜ調べてるかというと銅鐸の動物模様を調べてるからなんですが、そこから派生しまくって、今ここに着地しておりますw。吾ながら飛び方が半端ないw。日本書紀にはたくさんの動物や植物が出てきますが、動物が出てくる場合、その背景説明は一切ないのですね。突然のキジ、突然の鹿とか、突然なんでやねん、なんか意味あるんかいな、と思い調べてたら中国パイセンにたどり着いたのです。で、この中国パイセンの動物思想ってのがくっそ複雑なのよw。八卦でしょ、干支でしょ、陰陽でしょ、なんか大量にあるんだよ。全然理解できないのだよ。

八卦先天図 ※後天図もある

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陰陽組み合わせ。これらに干支とかなんちゃらかんちゃらいっぱい組み合わせて大混乱w。

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でさ、干支あるじゃん?あれから日本神話を読み解くというのはすでに大昔にトライしている人がいるようでして、名称までついてるんだけど、どこいったかな、ちょっと探します。→なかった。どっかいった。出てきたらまた貼り付けます。しかし江戸時代だかどっかに、中国古代思想に出てくる動物で日本神話を読み解こうとトライした人はいたみたい。私もわりとこの神話に出てくる動物の脈絡のなさというのは気になっていて、しかし何かしらの意図があることは間違いなさそうというのは思っている。そしてそれがおそらく中国パイセンの思想から引っ張ってきてるのかと予測しております。

たとえば、桃太郎の話ってのは古事記の吉備の話をモチーフにしてるらしいのだけど、古事記ウィキから引っ張ると

吉備津神社の縁起:吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅という鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ※サル)・留玉臣(とめたまおみ※雉)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたという。この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになった

サル・雉・犬。これを中国易経で見ると西に位置してるそうでして、一方で鬼=鬼門=北東。吉備から見ると北東。

『日本書紀』崇神天皇10年9月9日条では、吉備津彦を西道に派遣する記載

まだ吉備津彦までいってないねんw。止まってんねんw。おんなじとこ繰り返しよんでますねんw。はよ読まないといけないw。

メモ:西道=古代山陽道。大和朝廷と九州の太宰府を結ぶ幹線道として最も重要視され、畿内を起点に放射状に延びる七道駅路(大路、中路、小路)のなかで唯一の大路であった

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