ひぃふぅみぃ再考
吉野ヶ里ブーム(個人的なw)がきたので、どうしても私もそっちに気持ちを取られてしまって、345の件に集中できませんw。
(※ちなみに必死に考えていた太陽の昇り角度は季節で一定だそうです。55度だそうです。。冬と夏で同じだったので、考えても意味なかったw。)
ゆえ、気の向くままにちょっとそっち方面で考えて見たいと思う。
筋が悪かった先日の地名と数字の連動はあるかないかの件。
ひふみよいむなやこと
そ(10のけた)
ひい
ふう
みい
よう
いつ
むう
なあ
やあ
こお
とお
※全然関係ないけど、関西人とか西の方のひとってさ、御酢のスもすぅっていいますでしょw。目もめぇ。伸ばすのよね。わたくしもそうですw。1つの言葉は伸ばしてしまうw。古代のヤマト言葉と関係あるのかしら。
こんなのあった。
えーそうなんだー。まあ1説でしかなくて諸説あり状態だけどもw。で、
今一度チャレンジ
①狗邪韓国、
②対馬国、
③一支国、
④末廬国、 3
⑤伊都国、 5
⑥奴国、 7
⑦不弥国、 2
⑧投馬国 10
⑨邪馬台国 8
⑩狗奴国 9
1と4と6がないね
1 ひぃ
4 よぅ
残ってるのは、、
①狗邪韓国、これは関係ないと思うのよね。狗奴国と邪馬台国と韓国の交流地とする。
②対馬国、DUI-MA
③一支国、I-TSY
5000はいちなのですが。まさか5000国。。でも現在はいき国でしょ。
ウィキ:古くは壱岐のほか、伊伎、伊吉、伊岐、由紀、由吉など様々に表記され、「いき」または「ゆき」と読んだ。令制国としての壱岐国が7世紀に設けられると、しだいに壱岐と書いて「いき」と読むことが定着した。
およ。”ゆき”。4に成れるかwww。よき。
4で行ってみよう(強引すぎるだろ!!w)
①狗邪韓国、
②対馬国、
③一支国、 4
④末廬国、 3
⑤伊都国、 5
⑥奴国、 7
⑦不弥国、 2
⑧投馬国 10
⑨邪馬台国 8
⑩狗奴国 9
対馬ウィキ:現存する最古の版である紹熙〈しょうき〉本では對海國、よりポピュラーな版である紹興〈しょうこう〉本では對馬國となっている)。倭人伝の「今、使訳を通ずるところ三十国」のうちの一国。日本では津島とも書かれたが、7世紀に律令制の地域区分として対馬国が設けられると、「対馬」の表記に定まった。
対馬をツマだとすると、
つまの意味には、
へり。ふち。はし。きっかけとなるもの。いとぐち。[端]
がある。確かに対馬は倭の入口です。
今一度まとめ。
①狗邪韓国、 関係ない
②対馬国、 入口の”ツマ”
③一支国、 4か1か
④末廬国、 3
⑤伊都国、 5
⑥奴国、 7
⑦不弥国、 2
⑧投馬国 10
⑨邪馬台国 8
⑩狗奴国 9
6がないけどね。まいっか。通らなかっただけでどっかにあるんでしょう。
というのもですね、殷ありますでしょ、中国の。
あそこでは、歴代の王の名前が十干(じっかん)を付けていたらしいのです。あながち、10という番号をつけるのは筋としては悪くないのではないでしょうか。下記御覧ください。
1-10までの数字にはそれぞれ武具に相当する象徴があり、かつ殷や漢で名前の後ろに数字である十干が付け加えられたのね。
さらに、上記の記事には饕餮模様の話もありますが、これは山陰地方で銅鐸に、なんと銅鐸に饕餮文の変形である邪視文が入ってるのが出土してるんだよ。明らかに、中国の影響があるものが来てますわな。これ⤵
※初期銅鐸の邪視文は饕餮文の流れにある。目だけの模倣が邪視文。
そして、日本書紀においても、やたらと数字が出てくるのにお気づきでしょうか。例えばの話、大和地方に天孫である神武よりも先に移住してたという、饒速日。これは”十種”の神器を手にして天孫であることの証としているのです。
ウィキ:『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上哮ケ峯(いかるがみね)の地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)に降臨し、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。
各部族ごとに10の象徴する物品があって、その10の部族をまとめてたのがアマテルという女王で、それを授かることこそが、10の部族を代表していることのあかしだった。
とかどうでしょうw。ニギハヤ(物部氏の先祖)のこの宝は石上神宮にあります。イソ(50)。そしてアマテルが最初に天から降臨した土地は五十鈴川のほとりです。これもイソ(50)。八岐大蛇は8です。八雲たつも8。
なんでこんなに数字が、我々からしたら脈略なく多用されるのでしょう。意味があるのだよきっと。そう考えた方が自然。
石上神宮を見て見ましょう。ここには近々訪問予定ですw。いかねばw。
ウィキ:『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。
『先代旧事本紀』では、天火明命(アメノホアカリ)とニギハヤヒは同一神とされる。日本書紀 -「天羽々矢(あまのははや)」と「歩靱(かちゆき)」。武具らしき物を天表としている。石上神宮の祭神である布留御魂神は十種神宝のことであるとする説もある。石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱える。
めっちゃ数えてますやん?数字って意外と重要な意味がありそうなのよね。
十種神宝
天璽瑞宝十種(あまつしるし-みずたから-とくさ)として登場する10種類の宝物
十種神宝の内容は以下の通りである。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)…大国主神話に出てくる比礼との関係が注目
蜂比礼(はちのひれ)…大国主神話に出てくる比礼との関係が注目
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」
つまり50の神が降る神社。10じゃなくて50なのが不思議なのだが。
八百万のやおでもなく、イソ。なんでイソにしたんだろう。
五十鈴川
石上神宮
伊勢神宮
50についてウィキ(うぃきばっかりw)
古来、「五十」は「い」と読んだ。崇神天皇の和風諡号である御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)、垂仁天皇の和風諡号である活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)はいずれも「五十」を「い」と読んでいる。また和歌山県和歌山市にある伊太祁曽神社では祭神である五十猛命を「いたけるのみこと」と読むとしている[1]。
五十日足彦命/五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)のように「五十日」を「いか」と読んだ。ここから「五十」を「いか」と読み、「五十嵐(いからし、いがらし)」「五十里(いかり)」等の表記が生まれた。五十日帯日子命を祀る新潟県三条市の五十嵐神社は全国の「五十嵐」姓の発祥の地とされている[2]。
万葉集には「五十日太(いかだ)」(五〇)「五十母不宿二(いも寝ずに)」(一七八七)「五十寸手(生きて)」(二九〇四)「五十戸常(言へど)」(六七四)のように「五十」を借訓仮名の「い」として用いた例が多数ある[3]。
「五十」は「いそ」とも読む。島根県太田市五十猛町や西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の五十猛駅はいずれも読みは「いそたけ」。また「五十」に接尾辞の「ぢ(路)」を付けて「いそぢ」と読み、50歳を表す。
わーお。つまり島根的な読み方の場合のみ50がイソなのね。どういうことだこれは。つまりまとめると、
い=50、いか=50日、そして出雲だけで、いそ=50。
となると、いかにも石上や五十鈴川や伊勢は、出雲の匂いがしてきますよね。どゆことだ。
伊勢:伊勢の地名の由来は、『日本書紀』の垂仁天皇の条で、五十鈴川上の宮を「磯宮」とし、現在の伊勢神宮のことを指していることから、「イソ(磯)」が変化した説が有力とされている。 しかし、伊勢湾岸は磯浜ではなく砂浜のため、多くの川瀬を意味する「イセ(五十瀬)」に由来するとも考えられている。
わし的には50ですね。伊勢も石上も五十鈴川も全部イソの50そして出雲読み。
どうして50なんだろう。10じゃないのか。
しかも、50が”い”なんだったらその場合5は何になりますか?これも”い”のまま?
うむむむむむむむ。
あわないねー。うむむむむむ。
こんなのもありますね。いろんなひとがいろんなことを言っていて混乱してきたww
ここになんか深い考察をしているのがありそう。
対馬文字はこれらしい。平田氏によると。
↑あないちって何だろうね。
ひふみについて調べてるとなんかスピ系に行きがちなので、気を付けないとw
三輪田高房の鎮魂論と「日文」
https://kogakkan.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=848&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
ひふみよ
いむなや
こともちろらね
これは今晩読みます。本件も、続く。
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