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びびびび!古代中国の天=円・地=方と古墳の形マイセオリーをつなげる【俺の邪馬台国】

ふと気付いたのですが、私noteをノートとして使ってる気がする・・・!そういう意味の”ノート”ではないよね。。気づいたのに反省もなく懲りずに今日もノートに書くように昨夜の発見を下記に整理していきたいと思いますw。


古代中国の宇宙観”天円地方”にヒントがありそうと思って調べてたら、この思想と前方後円墳が関連しているというセオリーにたどり着いたのです。私もそう思うので、私の解釈を加えつつ今から整理にトライしてみます。いつも書きながら考えてるので錯乱したらあらかじめすみませんw。


日本書紀の神代を読み始めて、私の頭にできた位置関係:
①A面:高天原   B面:九州北部
②A面:葦原中つ国 B面:現在の中国地方の西半分・須佐(九州の東北地域の一部もかかってたかも)
③A面:根の国・黄泉国 B面:出雲近辺

で神代のストーリーを整理すると。
★高天原に伊邪那岐がいて、スサノオ・あまてるちゃんが発生(具体的に発生した場所としては中つ国っぽいニュアンス)
★スサノオにすぐに根の国担当司令。このときスサノオはもしかすると中つ国のあたりでぐずぐずしてた。
★スサノオは高天原とのインターアクションあり。結果高天原を追い出される。
★スサノオ根の国に定住☛大国主の代へ続く

ですね。
つまりB面で置き換えると、邪馬台国連合に追い出される形で出雲王になったわけですね。事実かどうかはおいといて少なくとも大和としてはそういうストーリーにまとめたかった。中つ国のオリジナルの意味合いとしては、出雲と邪馬台国の間にあるという意味での中国(間の国。つまりA面でいう葦原中つ国)だった。※前方後円墳期以降は大和と九州も間という意味での中国地方になった。

で、つぎ、古墳の形です。当方の以前作った仮説になぞらえますと
前方後円墳の●って、銅鏡(=天・太陽)だよね?つまりbased on 何に基づいて政を行っていたかというと
神道の概念に基づいた結束集団だった。この時円墳。八女市にある古墳は円墳の中に■がある。
これは銅鏡の方格きく型の銅鏡と酷似している。このタイプの道教は中国の宇宙観を表現している。
天=●。土地=■という概念。

そして出雲ではこのころには方墳。しかも4隅突出型方墳なんかが作られる。

その後、大和勢力が強大化した頃から出雲以外前方後円墳型に移行していく。出雲では方墳または前方後"方"墳をキープ。

その後、聖徳太子の頃に神道に代わって仏教を中央集権ツールとして使いだしてから前方後円墳は捨てられ
方墳になる(ただし秦氏が渡来人でありかつ皇族血統ではないのに方墳時期に
あえて前方後円墳を立てようとしてる形跡ありの謎もある。これは後日考える)。神道が政ツールとしてある意味第一義でなくなったのと同タイミングで、前方後円墳が終了する。
このことから前方後円墳と原始神道的概念は密接な関係があることが推測される。


で、方格きく型の銅鏡を見ると、下記。
外縁の●は天を意味していて、内側にある■は土地を意味してるのです。
このタイプの銅鏡はおもに九州北部から出ています。
天円地方の概念×九州北部×円墳 ☛ つまり九州北部は天だから円。
天円地方の概念×出雲×方墳 ☛つまり出雲地方は地だから方。婿の大国主の中国平定へ☛そしてそれをさらにヤマトに譲る(ここまでまだ精査できてここは一回ホールド)


でね、この鏡、L字型、▲字型のひかっかりみたいなのがあちこちにあるでしょ。これは天と地をつなぎ留めておくための
留め具なんだって。■からでてるT字型は柱で天を支えてるという意味なんだって。
これ、使えないかなと思って4角が突出している出雲の古墳に当てはめてみるよ。出雲大社の高層建物彷彿とさせるこの図面!

かきかけ。

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