種子島=侏儒国ですがタネガ訓読みは”手長(てなが)”由来と思う件そしてツチグモ

今日暑いねー!暑くてシャワー浴びたら逆に汗流れてきたwww。髪切っといてよかったw。アマゾンでもろもろ購入する用事があったのですが、ついでにぽちった車カバーが今日届きます。14時以降にしたんだけどまだ届いてないけども待ち遠しいw。青空駐車になって2年、絶対ボディー傷んでると思いカバーかけることにしました。おんぼろカーでも大事に使わないとね!w

さて、今日もオレヤマ小噺。漢字とか読み方とかにこだわりだした時は、つまり行き詰ってることを意味しておりますw。これまでをざくっと整理すると、邪馬台国はヤマトにあったことはほぼ確実だがそれは陳寿の付け足し。女王国関連の記載は魏略から引っ張ってきてるので邪馬台国に女王があるとは限らず、陳寿がぐっちゃぐちゃにかき回してくれてるのでなにしてくれとんじゃいといいつつも、魏略から引っ張ってきたところと陳寿オリジナルを区別して解釈していくことが必要と書きました。それのつながりで今九州に再ロックオンしてるのですw。

ではいきます。

土蜘蛛は日本書紀で何度か出てきますが、神武東征の時に神武天皇がだいたいこんなこといいます↓@奈良:

(俺たちの故郷である)九州南部の方にいた土蜘蛛にそっくりな、身長が低くて手が異様に長い部族が、奈良にもいるんだなぁ。

ここで土蜘蛛の容貌が定義されておりますね。

土蜘蛛の条件
(ヤマト政権族から見て)
①背が低い
②手が異様に長い(絶対的か相対的かは不明)

さらにこれにつづいて、仲哀天皇・神功皇后のあたりでも再度土蜘蛛が出てきます。また、東国にもいくつか出てきます。すべて九州南部にいたという、土蜘蛛から引っ張ってきて同じ名前を付けてるわけです。

②それで、魏志倭人伝を見てみると、下記のような説明があります:

又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。

これは、以前書いたと思うので詳細解釈は省略しますが、私的に種子島は確定しております。過去の投稿はこちら↓。人骨出土でも低身長の人が発見されております。

③それで、しゅじゅこくが転じて、種子(しゅし)国になったことまではわかったのですが、タネガっていう読みはどこから来たんだろうと思ってたのですが、それが昨日判明したのです。TENAGA(手長)だわ。あのね、いつものように中国思想から取ってきたようなんですね。どんだけ中国好きやねんっていうくらい古代の人はなんでも中国思想を借りてきたんだな~。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E9%95%B7%E6%89%8B%E9%95%B7

長臂人(ちょうひじん)は中国に伝わる伝説上の人種である。修臂(しゅうひ)とも。古代中国では南方に位置する国に棲んでいたとされる。長股国は三首国・周饒国の東にあり、長臂人は非常に長い手をもつ人間の姿だという。その長い手をつかい、魚を捕る。類書である王圻『三才図会』では長臂国は東の海にあり、長臂人たちは近くにすむ長股人(ちょうこじん)たちに背負われて海に入り魚を捕る。

日本書紀の記載もここから引っ張ってきてるようなんですね。海人族として描かれています。種子島はシュジュ国だったのですが、そこにテナガ→なまってたねがという読みを当てたわけで、それって手が長い、というところから来てるようなのです。日本の各地でもここから転じた伝承が作られたようです:

@日本の伝承:足長人は「足長国」の住民、手長人は「手長国」の住民。その名の通り、それぞれ脚と手の長さが体格に比較して非常に長いとされる。海で漁をする際には、常に足長人と手長人の1人ずつの組み合わせで海へ出て、足長人が手長人を背負い、手長人が獲物を捕らえるという
※ちなみに日本で手長足長関連の民間伝承があるのは、秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県だそうな。縄文系弥生人の匂いがぷんぷんする地域ですなw

そのほか手長足長の神話がある地域。どっちも縄文系弥生人の匂いしかしないw。ウィキより

壱岐(長崎県)では天手長男神社が国の一の宮であったとされ、天手長男神社と天手長比売神社の2社が存在していた。
→これ、なんの根拠もありませんが、長崎のナガもテナガのナガなんじゃね、とか見えてきてしまうけど、まあこれは古代の地名ではなさそうだから違うのでしょう。
長野の上諏訪町では、手長足長は諏訪明神の家来とされており、手長と足長の夫婦の神であるといわれ、手長足長を祀る手長神社、足長神社が存在する[。この二社は記紀神話に登場している出雲神奇稲田姫の父母・足名稚と手名稚が祭神とされている。→これもさ、長だわな。長野のナガも。。以下同文w。

つながってきたね。てながあしながは出雲族の元祖嫁の親。これについては別途書きます。そういえば、8人の娘って、九州の八女だわな。記紀では出雲になってるけど。ここ注目必要だな。そして稚ってのはもともとの意味は、若いとか幼いとかなので、小さいと連動します。手足が長くて、子供みたいに小さいので、やっぱりさ、手長足長だわな~。

画像5

話を戻しまして、種子島=

    ①音読み:しゅず(魏志倭人伝にひっぱられ) 

    ②訓読み:たねが(手が長いという評判にひっぱられ)

画像1

では、実際種子島人は背低くて手足が長いのだろうか?
まず背が低いというのはすでに人骨から確認されています。タネガ島の人は手や足は長かったのかというと、そういう事実は今のところ見当たっておりません。とすると、背が低いので、手が長く見えたのだろうか。。

一方で縄文人というのは胴長短足だったということも確認されております(下記参照)。日本人が中国人を見たときに、手足がすらっとして長いな~と感じるのも、我々にはきっと縄文の胴長短足の血が20%ばかり入っているからなのかしらねw。なので、手足が長いという事実は縄文人には求められないので、また疑問が迷宮に入りそうになるのですが。。しかしぱっとみて、この部族は容貌がずいぶん違ったから、タネガという名前が付いたと思うのですね。


縄文人は意外に胴長短足(脚)   
※独立行政法人国立科学博物館の調査結果なので真実なんだと思う。

たとえば、蜘蛛の足は8本のようです(蜘蛛が世界一苦手な生物でして、ググったら鳥肌が立った。今日夢見る絶対w)。で、負ぶって魚を捕獲してるとかいているではないですか?つまり2人の手足が重なると八本になるじゃないですか?そんな捕獲手法ってあったのだろうか?

 ※さがしちゅう。おんぶ漁があったら教えてください。ネットにはない。

では海に入って、漁業をする人々は、手足が長いのだろうか。。水泳特異な人って手足長いけどね。それでまたまでぶっ飛びたいと思います。呉の人々も海洋民族だったのね。※呉は魏略によると”女王たちが呉の末裔・後継・後続を自称”してた中国の南東岸の国です。

呉の海洋民族について

太伯は入れ墨を入れることで自ら蛮族の一員となった。当時入れ墨は漁業に関連している。

彼らはどこから来たのか。一説には、ポリネシアに起源をもつ民族という説があるので、ポリネシア人について調べてみましょう。ポリネシア人っていうのは、ここあとで書く。

   さがしちゅう。探し力、ないw。

では路線を変えてみます。

白水郎=海人について

九州地方では漁猟人を白水郎と呼んでいた。
白水村 (熊本県阿蘇郡) - 熊本県阿蘇郡にかつて所在。現・南阿蘇村。
白水村 (熊本県上益城郡) - 熊本県上益城郡にかつて所在。現・菊陽町。

画像4

オフコース白水も中国名起源:呉のあたりで探ると下記。
白水県(はくすい-けん)は中華人民共和国江蘇省淮安市にかつて存在した県。

画像2

そうしますと、たとえばこの”あま”とか”てなが”とか”はくすいろう”で探れる魏志倭人伝の地名はあるだろうか。私の読みによるとこの”近傍国”はきっと魏略から引っ張ってきてると思うんですね。前後のつぎはぎ感が凄いので、魏略由来に違いないと思うんです:

斯馬國、已百支國、伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國、奴國。 

な、ない。。。邪馬は、たぶん八女じゃんねー。あえていうなら、姐奴(ちぇぬ→てな?)か。

①斯馬國、②已百支國、③伊邪國、④都支國、⑤彌奴國、 ⑥好古都國、⑦不呼國、⑧姐奴國、⑨對蘇國、⑩蘇奴國、⑪ 呼邑國、⑫華奴蘇奴國、⑬鬼國、⑭爲吾國、⑮鬼奴國、⑯ 邪馬國、⑰躬臣國、⑱巴利國、⑲支惟國、⑳烏奴國、㉑奴國。 

あかん。ここに行くと必ずドツボにはまるので、一回保留。

で、話を飛ばしまくりまして、仲哀・神功皇后ではたびたび女性の敵対将軍みたいなのをやっつけるくだりが頻出します。たとえば、

かきかけすみません。今日中に仕上がらなかった。。。


中国南部と北部の平均身長(現代人) 引用元:https://ameblo.jp/rimdom/entry-12552844389.html

画像3

南部が低い。

日本人の平均股下比率は男女ともに約45%である。

※中国人・ベトナム人などの平均股下は残念ながら情報なし。しかしこれは世間のコメントだけど、身長低いわりに足長いよね、というのは下記のとおりベトナムやタイ人。私、シンガポールと中国いったことはあるのですが、やっぱね、日本人より足が長くてすらっとしてる人多いな~という印象でしたぞ。何かが根本的に体格が違うのです。シンガポールの中華系民族なんぞ、むしろ歩き方は欧米人に近い。日本人はわりとひょこひょこ歩くでしょ。そういうのじゃないので根本的に体格違うんだろうな~と思った経験がある。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14144682139

たぶんこれらを総合して推測できるのは、現代日本人が他の東アジア人よりスタイルがいまいちよくないのはw、縄文の血が20-30%入ってるためかと思うのよね。大陸の血が多ければ、割とスタイルはすらっと手足長くなると思われる。以下東大の情報なので信憑性はありそうw。↓

次、南越国 ベトナムのあたりのことで、魏は金印送ってます。
このあたり、調べたいな~。。。

なぜいつも収集つかなくなってくるのだろうかwww。。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?