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神武天皇の妄想つづき:平瓦って土製鋳型じゃね?の件

個人的に今日わかったポイントを先に書いておきます!
なぜ神武天皇のくだりで、飴と書いてタガネと読むのか。

先日からのお題:神武天皇の時代の飴はなぜ飴とかいてタガネと読むのか。
今日のマイ結論:
田金=たがね=飴
田んぼでできるのは米。米から酒を造る。それらからできるのがでんぷん。でんぷんから飴を作る(古代中国の飴(あめ)は酒の残りかすから作られてた)。どろりと飴を作る工程は鉱物(古代ではまとめてカネ)から鋳物を作る工程に似ている。ゆえ、田からとれるカネ=タガネ=飴となった!!!!!

そして、”水をつかわないタガネ”というのはやっぱり金属のこと?ここはまだわからない

あたってるでしょきっと!


神武天皇は飴を作ったのです。吉野から北上するときに。
で、飴と書いてタガネと読むそうで、その正体は何かわからないんだけどたぶん食物だろうね、とのこと(ぐぐより)。

しかしながら、唐突すぎて不思議なんです。
で、仮説作ってみた。

マイ仮説:
平瓦というのは銅鏡の鋳型。
鋳型はもともと石だった。しかし技術の進歩により土器に変えた。
ゆえ、水を使わない飴というのは、銅鏡のこと。

ではいきます。昨夜お風呂で調べたことと、今から調べながら生きます。

①青銅はスズと銅の混合物で比率はタイプがあるらしい。詳細はこちら。
銅鏡の基礎②「銅鏡は何でできている?」 (kodaikyou.blogspot.com)

②石製の銅鏡鋳型は九州でしか出土しない。
土製鋳型は九州で殆ど例がなく、銅戈の鋳型などは類例が殆どない一対のものでした。石製鋳型は朝鮮半島にも見られる滑石系の石材を使用しており、

③古代の銅や錫はどこからとってたんだろう。
鹿児島はあらゆる鉱物の産地らしいんです。神武って、九州南部から来たでしょ。

三角縁神獣鏡の成分分析によって銅の産地は神尾銅山らしい。ぐぐると下記。これはまさに神武天皇が飴を作ったところではないでしょうか。
「文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に、「大和高尾」の地で「水無」を作ったという記載が、『日本書紀』の「神武紀」にある。」

””唐古・鍵遺跡に近い銅鉱山としては東吉野村の三尾鉱山があり、弥生産銅の手がかりとして考えられるとする(久野邦雄『青銅器の考古学』)。同遺跡には青銅器の工房跡もあって、物部氏関連の遺跡であり、鏡作造は物部氏の同族であった”
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/sankakuen.htm

仮説:九州では銅鏡を石の鋳型で作ってた。鉱山を支配してたのが天孫系。奈良に飛んでもまず鉱山を押さえた。そして、鋳型を石製から土製に変えて和製銅鏡(三角縁?)の生産性を上げた。それが神武の下りのお話ってこと?

八十の平瓦というのを見てみましょう。鋳型っぽいかしら。
今はこんな感じで投げる行事があるらしい。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%A4%A9%E3%81%AE%E5%B9%B3%E7%93%AE%E6%8A%95%E3%81%92_%286367945201%29.jpg
やそのひらか

銅銭って銅鏡のミニミニ版みたいだね。□に〇。

中国のお金

あ、土製鋳型は崩して銅鏡を取り出すので、ほとんど残らないんだって。。。残念だね。でもさ、下記の最近出土した盾をみてください。平瓦にもみえる。平瓦ってなにー。

みてこれ。平瓦・丸瓦ってこんなんだよ。簡略版銅鏡じゃないですか。

もはや土製鋳型の名残にしか見えないw
銅鏡とエッセンスが同じというかまんま神道といいましょうか。
なぜ、このような模様をつける必要があったのでしょうか。別にいらない。

やはり。八十平瓦って銅鏡の鋳型であり、その名残が屋根の平瓦なんじゃないの??

軒丸瓦、軒平瓦(端っこの瓦のこと)

どうやって設置するのこれ?あった

丸瓦は筒状なのね。
左が玉縁式、右が行基式(元興寺)

鋳型の作り方には彫り型と込め型(粘土を対象物にかぶせて歯医者みたいに型をとる)の2つあるらしい。

中国の周(紀元前900年〜800年頃)の時代には、屋根瓦として使われていたことがわかっているようです。日本には588年頃に朝鮮半島から、4名の瓦作りの技術者(麻奈文奴、陽貴文、陵貴文、昔麻帝弥)によって伝えられたとされています。

ペルシャ人なんだって。うーむ。
周の瓦が見たい。
これは現物の型を取る鋳型づくりの映像↓平瓦っぽくない?気のせい?w
弥生・土製鋳型を造る「須玖タカウタ遺跡 土製鋳型再現実験」 (youtube.com)

めっちゃ楽しそう!職人!こういうのになりたかったぜw。

鋳型に入れて金属器をつくることを鋳るっていうんだって。射ると同発音。
鋳るの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典
更級日記 鏡のかげ「母一尺の鏡をいさせて」
[訳] 母は直径一尺(=約三〇センチメートル)の鏡を造らせて⇒い(射)る

おもえば鏡の”反射”の射も射るです。
射るの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典
ヤ行上一段活用の動詞は「射る」「沃(い)る」「鋳(い)る」の三語だけである

「沃(い)る」ってなに。
「沃る」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書
[動ヤ上一]などを注ぐ。かける。浴びせる
「僧は腰に湯をいさせて」〈今昔二〇・二〉

矢はなぜ”射る”のだろう。的を射る。
あかんまた思考が飛んできた。飛びついでにこちらもお願いします:

これは中国祭祀の道具なんですが、非常にあやしい。3本足。3本足といえば、中国の神話で,太陽のなかに住むという3本足のからす。金烏。金の鳥(古代中国では金というのは青銅などの鉱物全般)。饕餮文で以前調べましたが。3本足。3つの勢力を指してるらしい。
鼎 - Wikipedia

鼎(かなえ、てい)

そもそも神武天皇のパパの名前自体が、屋根関連なんである。
日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうかやふきあえず)」と名付けたという。

屋根が名前のキーワード。そして瓦。草でも羽でもなくて、土製品の屋根。


たがね。飴。
かなえ
金ってつくんだから。飴はもとも金なのでは。
田(米つまり酒)からできる金=残りかすであるでんぷんから作る飴?

じゃない?ですよねきっと?
もう一回整理:
田金=たがね=飴
田んぼでできるのは米。米から酒を造る。それらからできるのがでんぷん。でんぷんから飴を作る。飴を作る工程は鉱物(古代ではまとめてカネ)を作る工程に似ている。ゆえ、田からとれるカネ=タガネ=飴となった!!!!!

だよ!きっと!!!!!
で、なんだっけ。飴ってもともとでんぷんから作ってたというのを押さえておきたい。

神話での酒初出は八塩折酒
米と水を主な原料とし、麹カビによって、デンプンをブドウ糖に分解する行程と、酵母菌によってブドウ糖を分解してアルコール発酵する行程を通して、造られます。この二つの行程が同時進行する(これを「並行複発酵」と言います)のが日本酒醸造の特色なのです。八塩折酒はこの醸造によってできたお酒を水の代わりにして、さらに醸造することを繰り返すのです。

塩?麹のこと?

味については発酵した麹の甘みの中にも、ほんのりとした塩辛さを感じる、絶妙な甘辛さが特徴です。

どっちやねん


であれば、鋳造関連の道具がこういったものに変身していったとは考えられないかしら。酒や飴や食べ物と関連させて。


飴の由来
紀元前7世紀の時点で、中国の人々はすでに稲や麦から製造した酒の副産物、つまり麦芽糖を利用し、それに蜂蜜を加えて固めた飴を作り出していました。 健康維持や栄養補足、そして長期保存に役立つ食品として、その発祥の地では重宝されていたと伝えられています。

なるほどー!酒の副産物が飴なのね。
だから神武天皇のところでは、酒と並走して飴が出てきたと。
でも、水がない飴。
つまり。

酒パート夢:
夢に天つ神あまつかみが現われてこう言った。
「天香具山あまのかぐやまの社の中の土を取って、平瓦八十枚をつくり、同じくお神酒みきを入れる瓶をつくり、天神地祇をお祀りせよ。また身を清めて行う呪詛をせよ。このようにすれば敵は自然に降伏するだろう」
その次に神武天皇の命令:
「お前達二人、香具山かぐやまに行って、こっそりと頂きの土を取ってきなさい。大業の成否は、お前達で占おう。しっかりやってこい」
※香具山:粘土質の土が採取される。赤土。

「倭の国の磯城邑しきのむらに、磯城しきの八十梟帥ヤソタケルがいます。また葛城邑かずらきむらに、赤銅あかがねの八十梟帥ヤソタケル

そして、宇陀川朝原で、ちょうど水沫のように固まり着くところがあった。
天皇はまた神意を占い、
「私は今、沢山の平瓦で水なしに飴を造ろうもし飴ができればきっと武器を使わないで、天下を居ながらに平げるだろう」
飴造りをされると、たやすく飴はできた。
また神意を占って言われた。
「私は今、御神酒瓮おみさかめを、丹生にふの川に沈めよう。 もし魚が大小となく全部酔って流れるのが、ちょうど槇葉のように浮き流れるようであれば、 私はきっとこの国を平定するだろう」そして瓮を川に沈めた。
するとそのロが下に向いた。
しばらくすると、魚は皆浮き上がってロをパクパク開いた。

神道祭祀の起源の説明なのかしら。

めっちゃ、鉱物の香りがするんです神武天皇のくだり一式が。
しませんか?するよね?


もう一回やる。丁寧にやる。
古代の砂糖は米から作ってたかどうか。
米飴は、お米を麦芽で糖化させた、昔ながらの甘味料です。 昔から、喉が痛い時や咳が出る時の「のど飴」として、白砂糖の代わりとして親しまれてきました。 甘さは白砂糖の半分程。 白砂糖よりもゆっくりと身体に吸収されるため、血糖値の上昇が緩やかです。

米あめは甘味料以上の存在 – Japonte
日本における飴(あめ)の歴史は、古代にまでさかのぼるといわれています。飴は、遠い昔から日本人に親しまれた甘味料といわれ、「琥珀色の米あめ」が主流であったのではないかと考えられます。
原料は水、米、麦だけ
米あめをつくるためには、清冽な水、表作で栽培されたもち米と裏作の大麦が必要とされますが、これはお酒やビール造りに似ているような気がします。麦芽に含まれる酵素がもち米のでんぷんを分解していき、きれいな琥珀色をした甘い液体に変えていくのです。優しくまろやかな甘みの米あめには、オリゴ糖、ミネラル類、各種アミノ酸など滋養豊富でもあるため、単なる甘味料以上の貴重な存在だったことでしょう。

米飴の歴史は長く、1000年以上前からあったとされています。 文献上では飴を指すとされている言葉「阿米(あめ)」が奈良時代の始まったころに記されているそうです。 また、日本で最初に編纂された歴史書である『日本書紀』にもその記載はあり、その飴を作ったと言われるのは初代天皇である神武天皇だと記されています。

自然のお米の甘味「米飴」 - ならBonbon (narabonbon.news)

逆に、たがねだったのになんでアメ(阿米)になったんだろう。あめ。天。

わかんないね。調べてもわからなさそうなのはいったんおいとく。特に字数が少ないものは絶対わからないということを最近悟った。

ちょ。ちょちょちょちょ。今洗濯物取り込んで気づいたんだけど、私の家から二上山が見えている!!!えーーーーー!すごいー!行ってこような。
そうなんだ。へー!そうかそうか。

さて、続き。
水飴は奈良時代からつくられていたようで、米を主材料に大麦、小麦、米などのもやしを加えて糖化させている。 『和漢三才図会』(1712成立)にも、水飴の糖化に麦もやしや穀芽を用いることが記されている。 水飴は単なる甘味料ではなく、平安時代には薬用として貴重品であったとある。

飴の制作工程

https://sugar.alic.go.jp/japan/view/jv_9912b.htm

古代の青銅の制作工程

http://ohmura-study.net/401.html

詳しすぎてわからない

「倭の国の磯城邑しきのむらに、磯城しきの八十梟帥ヤソタケルがいます。また葛城邑かずらきむらに、赤銅あかがねの八十梟帥ヤソタケルがいます。この者たちは皆、天皇にそむき、戦おうとしています。手前は天皇のために案じます。今、天香具山あまのかぐやまの赤土をとって平瓦をつくり、天神地祇てんじんちぎをお祀り下さい。それから敵を討たれたら討ち払いやすいでしょう」というものだった。

磯城:「石城」(イシキ)が変化したもので、石でかためた堅固な城があった場所だという。
赤銅:は日本でも古くから知られており、和語では「あかがね」と言います。 時代はぐっと下りま すが、江戸時代初頭に発行された「日葡辞書」にも銅が Acagane「アカガネ」として掲載されて います。

石資源を押さえるタケルと、銅資源を押さえるタケルがいた。そして神武は石でも銅でもない土をとってきて、”瓦”を作った。
そして、それらの土器で、”飴”を作れたら天下をおさめられるってことにした。それってやっぱり、鋳造に土器を導入するかどうかってこと?

天皇はこれに大いに喜び、この土で多くの平瓦や、手抉たくじり(丸めた土の真中を指先で窪めて造った土器)、厳瓮いつへ(御神酒瓷のこと)などを造り、丹生の川上に上って、天神地祇を祀られた。

宇陀川の朝原で、ちょうど水沫のように固まり着くところがあった。天皇はまた神意を占い、
「私は今、沢山の平瓦で水なしに飴を造ろう。もし飴ができればきっと武器を使わないで、天下を居ながらに平げるだろう」
と言われた。飴造りをされると、たやすく飴はできた。

水沫のように固まりつくところってなに?

水泡/水沫(みなわ). 水の泡のこと。 「ミナアワ(水泡)」が転じて「ミナワ」になったと言われている。

錫の産地
日本では錫鋳物の産地として、大阪、鹿児島

鉄:近年の発掘、研究の進展によって、福岡県福岡市博多遺跡群や、長崎県壱岐カラカミ遺跡などでは、弥生時代の製鉄遺跡と思われる痕跡が相次いで見つかっている
※出雲は、かつてたたら製鉄が盛んに行われた地域で、国内有数の鉄生産地でした。 そして、今もなお、この地でたたら製鉄の技術が伝承されています。 出雲はまさに「鉄の国」と言っても過言ではありません。出雲、伯耆、備後、備中。

古来人々は、山や川、海から採れる砂鉄を原料とし、木炭の火力を用いて製錬する ... 五十鈴姫命 ( ひめたたらいすずひめのみこと ) 」と出てくるのが初見です。

たたら=ふいご

五十鈴川では砂鉄が取れる。

砂鉄がいすず?
いさっていうのは磯らしい。岩と石の違いはおおきさ。
石ず。「さ・ささ」は砂鉄古語
”たくさんの鈴石(褐鉄鉱石)が採れる川で、五十鈴川。河岸に内宮の末社の葭原神社(式内社の荻原神社の比定社)が建ち、祭神は葦原の神格化。砂鉄も採れる川。”

鈴石ってなに?
鈴石(スズイシ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
珍石の一種。鳴石rattle stoneと同類。球ないし楕円体の小さい土塊(結核体)で,振ると鈴のように音をだす。北海道名寄市郊外より産出するものが有名で,名寄の鈴石とよばれ,1939年天然記念物に指定された。これは径3~6cmの中空の土塊で,粘土や砂が固まってできた鉄分の多い結核体が,その中心部で溶けだし(石灰分の多い中核が溶出するといわれる),まわりの砂などが中に残ることによって形成された。第四紀更新世の河岸段丘層から産出する。
★「さきゆすすず(咲き・先揺す鈴)」。これが「いすず(五十鈴)」にかかる。「いすずがは(五十鈴川)」の「いすず」を「いしすず(鈴)」と解したことによるもの。
★「すず」とは、古代より製鉄の原料として、温泉地帯の湿地帯に生える植物(葦や茅,薦等)の根に,ある種の鉄鉱石(褐鉄鉱)が付着した塊をいいます。

は?諸説ありすぎない?w

錫と鈴は関係ありますか?発音同じですけど。




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