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崇神天皇はアマテル物語(天津編)を国津編としてなぞってる?&箸墓古墳は昼は人が作り夜は神が作ってる意味がどうやらド深い件【俺の邪馬台国】

今健康診断の結果を受け取りました。これについては明日書く(涙)。。オレヤマ案件はいつも仕事の息抜きと休憩として取り組もうというのが当初の私のスタンスでして休みの日は休む、というのがマイルールだったのですが、今日は日曜ですが、ドツボにはまって気になりすぎて、今日はまるっと終日本気で取り組むつもりですw。いくつか見えてきたことがあるのだけど、奥歯にものが挟まってる感じがすごい。自分的に解決しないとむずむずが気持ち悪すぎるw。がっつりやったるで~!!

長いので先に結論書いちゃうと、サンドイッチ仮説に自信がなくなってきました。。いえでもまだ可能性は全然ある。という結論となっております。ちなみに本日解決したかな、と思ったこと★前方後円墳の意味。★昼と夜と天と地と神と人間について天変地異レベルの逆転が崇神パートで起こしてるっぽいことが分かった件w。

日本書紀で崇神天皇パートを読んでいるとどうしてもアマテルちゃんのエピソードが絶妙にかぶってるように見えてしかたないのでまとめてみた。かぶっている点は、おもに下記画像のとおり。比較一覧PDFも一応はっとく。PDFは雑の極みなのでご注意くださいw

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★女性の陰部に棒が刺さって負傷または死亡する件

‣神代ではスサノオの暴力によってアマテルちゃんが負傷。一書によるとアマテルちゃんもしくはその弟子の姫の陰部に機織の棒が刺さって死亡。
→意味合い:高天原での地神による天神の殺害・損害・危害。
‣崇神期では、天孫の姫(特技が神憑りの姫)が、地神系大物主神により殺害される。陰部に箸が刺さって死ぬ。※所感:転倒したとき床に箸が落ちてたらしいのだけど、縦になって箸って転がってるもの?しかも床に?汚部屋なのか?w
→意味合い:中つ国での地神子孫による天孫系の殺害。

★祭り→開扉→日昇る→問題解決する件

‣神代で戸が開いていない状態=岩戸隠れ=天変異常。 場所:岩戸
‣崇神期で戸が開いていない状態=不作・流民=飢饉・病。場所:三輪山

なんかなぞってますよね確実に。ということは、私の解釈では、日本書紀に置き換えると、まず伊邪那岐が邪馬台国連合の素で、その子の天照・スサノオあたりが卑弥呼期。日本書紀神代がそれにあたり、同書では、それは高天原でのエピソードとして語られる。そして、崇神期には地べたの時代(天孫による東征直後)になっている。地べたで、高天原のエピソードをなぞることの意味は何か。

大国主の表記ゆれがすごくて、日本書紀では諸説交えることであえてぼかしているんだろうなと思うのですが、結局、このなぞり方の意味することって、天(マイセオリーでは九州)であったことを、地(近畿)で置き換えてゼロからスタートさせてるよね。つまり、九州のエピソードを挿入することで、近畿統治の正統性を増し増ししたかったのかと思う。

そしてヤマトトちゃんは、一部セオリーによるとこの姫こそが卑弥呼だという人がいるみたいだけど、私はもちろんそうは思わない。ただ天を地で置き換えてるから似せられて語られているというのが真実かと思う。それで、このヤマトトちゃんは、箸墓古墳(出現期前方後円墳!)に埋葬されたときっちり日本書紀に記載されているではありませんか!前方後円墳の形の由来についての説明はないものの、初めて前方後円墳である墓に葬られたと明記されている。それがヤマトトちゃんということの意味深さが凄そうなので考えてみる。

ヤマトトの存在意義とは何か?

ヤマトトちゃんは、欠史8代の時の天皇から生まれてきた子供なのです。故にオリジンは天孫軸。そして母細媛命の血脈をみると磯城県主大目の娘。

磯城県主大目とは、一つさかのぼって神武東征期に、やっつけられた奈良の橿原に入る前に、ある兄弟がやっつけられたのですが、そのときの弟。この弟は兄を裏切って、天孫側についたのです。兄は無残な殺され方をしてます。で、服従した弟が、天孫軍に加わり東征の続きをするのですが、弟磯城、名は黒速を磯城の県主とされたと書いてあります。ですので近畿土着の有力者だったということになります。直属の親の片方が、大国系ではなくて土着の人間。

で、ヤマトトちゃんのミックス具合も見てみましょう。見切れてるけどヤマトトちゃんは赤セルのところで誕生してます。

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母方の先祖血統一覧:

①五十鈴依媛命=事代主神の次女
②鴨王の娘  =事代主神のひ孫
③天豊津媛命 =前の懿徳天皇の兄息石耳命の子。近親相関
④世襲足媛  =尾張連先祖の瀛津世襲の兄弟(妹)
⑤押媛    =欠史4代目の子”天足彦国押人命”の子。近親相関
⑥細媛命   =シキ県主大目の娘

これらと天孫が混血してできたのが、モモトトちゃんです。
この後、穂積臣先祖である欝色雄命の妹の欝色謎命ちゃんも混血しますが、これは入れてないです。ちなみに崇神天皇は穂積の血が入ってます。※○○の先祖っていう記載が要所要所大量に出てきて覚えきれないのですが、中臣と物部の先祖の天神がやたら出てくる気がするw。

で一言で言ってしまうと、天孫と国津神と混血がまずあります、そのあとに土着系有力軍団とも混血しています。地図でまとめると下記:

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で、モモトトちゃんは、そういう人でして、となると地図からみると落ち着く先は自然に考えると3つの密接に関連した先祖に囲まれた纏向(=箸墓古墳の位置)であるのは自然に見えるね。あれ、何を探してたんだっけ。話がそれると本題を忘れがちになるw。

そうだ、実際の発掘視点の第一弾の古墳年代はおいといて、あくまで”日本書紀で”主張されるという意味での初めての前方後円墳がヤマトトちゃん。ヤマトトちゃんは前方後円墳に入る資格があった。女性なのに。単品で。天皇でもないのに。婚姻条件としては夫は大物主で地神系。血統的条件としてはタカミ天孫であり、かつ大国主系および近隣の有力者で人間のトリプル混血。この3つの要素を持っているのが、ヤマトトちゃん。実務的役割としては巫女でつまり作者にとって魏志倭人伝に既出だった卑弥呼の要素を入れている。卑弥呼の要素を入れているからこそ、親の代の項目としてこの墓の記載をあえてしていない。年が長大になったころに登場させて、墓に入れている。この墓は、”昼に人間が作り、夜は神が作った”と記載されている。ということはこの崇神項で出てくる大国主の夜祭りから朝戸が開く描写からも、大物主大国主血統はいつのまにか地べたでは夜扱いになっている。いつのまにか月読尊の役割も担ってるのね。それで、つまり夜神が作って昼人間が作ったということの意味することは、つまりつまり、天とか地とかの意味合いがこのあたりでどんどん微調整されてきているではないか。つまり。このあたりからの意味合いの微調整点としては、

  神=神なんだけど天孫(タカミ交じり)ではなくて出雲由来の神。夜

  地=天孫なんだけどいろいろ混じって今、人間側。昼(日)。

ここで重要なのは。天と神が切り離れたということ。神代では天と神はセットだったけどもろもろあって、今、脱皮した。それが崇神。

  神代上     神代下~神武      欠史8代と崇神
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 天神あまてる   タカミ天孫   ハイパーミックスタカミ天孫の地化

 神すさのお  大国主 大物主   →  大国主大物主の神化

天地逆転してるやん!!いえ天が逆転したというのは言い過ぎか、それは今は不明にしておくとして、神的なものが逆転してるというか、これ以降で言われる神が天を意味しないことになってくるよ、という宣言を崇神パートでしていることになるよね。微調整の果てに根本設定が大きく変わってる!ミラクル!いつのまに!そっか、だからその調整のために欠史8代が必要だったんだね。つまり天と神を離脱させるため、天孫と神を切り離して、神を出雲に役割を振り返るための欠史が必要だったのだよ!!!!がちょーん。

整理してみると、
 オリジナル設定:
    ★アマテル=天・高天原     B面で九州
    ★スサノオ=根の国・中津国   B面で出雲およびその周辺

 崇神設定:
    ★神担当=大国血統 (出雲)
    ★人・地担当=天孫(タカミ混血、そして大国および人間混血前提)

そういえば、日本書紀でちょっとさかのぼって、国譲りの時に下記のような契約をしているよね。崇神でばっちりと契約遂行してるのね。

(天孫の使者が大国主(あるいは大己貴神オオアナノムチ)に条件交渉したくだり)  詳しく条件を揃えて申しましょう。あなたが行なわれる現世の政治のことは、皇孫が致しましょう。あなたは幽界の神事を受け持って下さい。また、あなたの祭祀を掌るのは、天穂日命あめのほひのみことが致します」

そしてこのミックスを繰り返して人間化したタカミ天孫は、崇神時点でとうとう九州天津神とは設定と役割が別物となってるよね。

で、人間と大国血統とタカミ天孫がミックスした結果が、初期前方後円墳の資格があり、それこそが、方墳と円墳が合体した天円地方的な前方後円墳。出現期は円が大きくて、四角が極めて小さい。”昼は人間が作って夜はが作った”というときの昼(日)は天孫で、夜神が出雲系の方墳。になるよね。そうすると、丸い部分はタカミ天孫製、四角の部分が出雲大国製。って言ってるってことになるよね。はっきりと。はっきりと、前方後円墳の由来が書いているではありませんか!この神武の段階で神はすでに出雲系になってたのだから!!

わおー見つけたw。私的にだけどw。

しかしながらこの事実と、先に書いたアマテル物語を崇神でなぞってるのであれば、それで時代的に調整がつくということはですね、崇神とアマテルちゃんは時系列的にそんなに離れていてはいけないということになりますよね。無理があるか?以下考えてみる↓

つまり本日の結論として、アマテルちゃんは議論の余地のないくらい、魏志倭人伝を踏まえてのアマテルちゃんを九州高天原に登場させてるわけですが、それをコピペ的に大和に引っ張ってきてることになります。その威厳を引き継いでるのです崇神物語で。となると、崇神期は、魏志倭人伝に記載のある。。。ごめんここ脳みそが足りないのでホールドします。

でね、時代が下って随書倭国伝ありますでしょ。あれにも天と日の下りがばちっと記載されてますでしょ。聖徳太子が590年頃に書いて送ったやつ。

抜粋:王はを以て兄と為し、を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時に、出でて政(まつりごと)を聴くに跏趺(かふ)して坐す。日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて、我が弟に委(ゆだ)ぬと云う。高祖曰く、此れ太(はなはだ)義理なし。

なんでこんなこと言ったんだろうねーとみんな不思議なのですが、私も不思議なのですが、中国思想にのっとって聖徳太子は書いただけで悪気はないのだ!っと言ってる人もいるらしいけど、。。お遊びでこれを前述の解釈に(強引に)当てはめてみるとどうなる。

 ①箸墓古墳は、昼は人間が作って、夜は神が作った。
  訳:箸墓古墳は、昼はハイパー天孫血統が担当して、夜は出雲系が担当した。そしたら●と■が合体した前方後円墳ができた。

 ②天が兄で、日が弟。聖徳たんは天が未明のときは政務して。日が昇ったら終了する。。。。これってまるで逆じゃないですか。つまり夜担当ってことでしょ。夜担当って、出雲たんだひょ。うん?ももももも、ももももも、もしや。。。まさか。。。

エネルギー切れたwww。

話を戻して、見えてきた可能性として、

日本書紀書いた人の思惑として、

 可能性1:魏志倭人伝の存在を知っていたわけで、魏志倭人伝の卑弥呼のすり替えを行うために、崇神エピソードを入れたのか。だから九州を神代の話にしないと都合がわかるかったのか。

 可能性2:そういう腹黒さはなしに本当に九州からの移転事業が存在しており、対中国的に先祖の御威光を借りて倭国統一の正統性を持たせるために、同類エピソードをぶっこんだのか。

魏志倭人伝をいずれにしてもものすごく意識して崇神をぶっ込んでいることは間違いないわけです。

どっち。。

天神エリア九州では、鉄器が作れてたのに、3Cの近畿では鉄器が極めて少ない。もしサンドイッチさせてたなら、鉄器を使って東征してたはず。なのにもかかわらず、なぜ日本書紀に記載された東征期に鉄器が近畿から出土しないのか。

しかしいずれの場合も、日本書紀での扱いは、魏志倭人伝意識しているのは明白で、かつ近畿のヤマトトが卑弥呼みたいな扱いにしていたとしても、出土状況として当時九州に強大な勢力が事実は確実で、その勢力と親戚、オリジンはそこ、そこと合意の上、近畿を制覇したという筋書きにしている。つまり魏志倭人伝を意識する限り、自分たちの出自が九州にあったと主張しないわけにはいかなかった。ということはつまり、魏志倭人伝に記載されてる事項はすべて九州にあったことになる。あれ、なんかおかしい?混乱が激しい。どういうことなんだろ。。もうだめじゃ。力尽きた。。。

たとえば、アマテルちゃんのエピソードはなくてもよかった。でも倭全体を統一するために、対中国目的でどうしても必要だったわけでしょ。最初からアマテルちゃんが近畿にいてもよかった。にもかかわらずぼかした。ぼかして九州の方に神代エピソードを置いた。アマテルちゃんといえば九州。そうじゃないと都合が悪かった。都合が悪いのはなぜかというと魏志倭人伝と辻褄を合わせないといけないから。

アマテルちゃんのパートは近畿勢にとってなぜ必要だったのか。別になくてもよかったんである。こたえは既存の書物、魏志倭人伝と辻褄を合わせるためしかない。

しかし別に、アマテルちゃん勢力を制覇して全然別の出自の俺たちが新しい政権を近畿に作った、そしてそれが魏志倭人伝の俺たち、と主張しても全然よかったのに、なぜそうしなかったのか。100年くらいあとにはどっちにしろ九州を敵対勢力として制覇しにいってるんだから。最初から九州を敵対勢力として描いても良かった。にもかかわらず、天を九州に置いた。

まずい同じことを延々と書いている。。。

となると、魏と親睦・同盟関係を作って利害を先に合わせていたのは、やはり九州勢力となるよね?じゃないと、九州を天設定にして近畿勢力が対中国的に得することってなにもない。つまり、九州さんに敵対勢力として認識されてしまっては、魏と同盟を結べなくなる。と考えると、やはり、フェイク作話としての東征ではありえないはず。九州が合意の上で、九州が持ってる中国との利権をキープする形で、近畿勢力が成立しなければいけない。それ以外に天を九州に設定する意味は、何もない。

まだ、いける。まだ、サンドイッチ戦略は破たんしていない。


追伸:

いっぱい書きたいことあるねんで。とりあえず下記にはっとくで。ちからつきたのでまた明日続きかくで。

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★弥生時代中期 BC2C-1C
★弥生時代後期 1C-3C

メモ1 1C-2C朝鮮東南域で出雲土器出土。

出雲弥生土器が朝鮮半島南部~東南部出土してる件@韓国の大学教授の研究より。
@朝鮮半島南部 勒島遺跡

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中期までは倭国では九州南部産土器のみ。中期後半~後期前半の出雲型弥生土器が出土。※中期後半&後期前半 1C-2C。出雲型方墳出現期と連動か。出雲が朝鮮に鉄を求めて進出し始めたの、か?先発で独占してた九州北部勢力は邪魔になって争った、それが出雲、そしてやっぱりそれが狗奴国か。

メモ2

炭素による年代測定の問題点:補正基準はアメリカ・欧州の炭素量をベースに作られているが、地域によって大きく異なるため、グランドルールとしてこの補正基準が適応できないためアメリカ欧州以外では正しい年代が測定できない可能性指摘あり。この辺日本はどう対応しているのか知りたい。私は、実際よりやや古く(時代をさかのぼる形)で測定されてしまっているのではいかと推測している。各方面測定結果が早すぎる感覚あり。

メモ3

突出型出雲の方墳に使用された”朱”は中国産であったことが近年判明。出雲シンポジウムパネルディスカッションより。

メモ4 193年倭地の大飢饉 ref.新羅本紀

3Cごろは冷害あったらしい。新羅本紀には大飢饉で倭人が避難してきた旨の記載あり。日本書紀崇神期に下記記載あり:
「崇神六年、百姓の流離する者、或いは反逆する者あり」
定説では崇神6年はBC92年。。

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日本では弥生時代にあたる1~2世紀頃には寒冷期を迎えました。 西暦300年頃に温暖な状態に一旦落ち着きましたが,400年頃には冷涼化のトレンドに戻り,5世紀中はそれが続きました。 600~750年には再び著しく気候が寒冷化しました。

メモ5 飛び地的古墳ペタ。

古墳前期には、近畿・出雲・北陸・吉備にペタ大量。古墳後半になると関東にペタ大量についてくる。後期の戦略は飛び地的サンドイッチ。後期の飛び地サンドイッチ戦略から逆算で、九州近畿サンドイッチ詰められないか。関東を古墳後期にぺたぺたすることで対朝鮮的メリットは薄い。資源目的か?なぜこの時期からペタが関東に突き出したかチェック要。古墳前期から大和との土器視点交流はあり。

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メモ7-1 

夫婦ペアで攻略戦の設定多い件。女性も戦力描写するのはなぜ。崇神の吉備・神功皇后・女賊。武力を使う女と、神がかる女。両方いる件。

メモ7-2 

神功皇后の女武将具合ってどこから引っ張ってきた?中国しかないので探してみたら、似てるエピソードの女性発見:

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   候補:婦好さん
  ★BC10C以上前の殷時代の女性。
     ★中国史に登場する最初の女性政治家、軍事家
         墓発掘済み↓

武丁の在位中は周辺国家・部族に対し戦闘が行われており、婦好も数多く兵を率いて出兵した。羌人征伐のときには13,000もの軍勢を率いている。また、祭祀を執り行ってもいたようである。このほか、男児を生むかどうかといった出産に関する卜辞や、体調・病気に関する卜辞などが残されている。婦好の生死を占った卜辞もあり、のち武丁の在位中に死去した。武丁期以降の甲骨文には祭祀対象の先祖として登場する。

似てる。。

メモ8 鶏林=新羅。にわとり。

新羅は古代通称鶏林






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