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楽しみたいだけ

平素よりお世話になっております。高島です。

あけましておめでとうございます。そして、先日誕生日を迎えました。
お祝いしてくださった皆さま、ありがとうございました。
本年もしっかり、はっきり、演奏していこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

と、毎年同じことを思います。
学生時分に「もっと自分の言葉で演奏なさい」「ヘッド(皮)の裏側まで叩くように」等と教授によく諭されていました。

ドラムという楽器(学問)はギターやピアノのスケール・調性が存在しないので、このような抽象的な言語でやりとりをすることが多いです。ジャズドラマーで、僕の祖父ぐらい年齢が離れている先生はまるで哲学者のような言語を操り、僕に道を示してくれました。

このような文脈で綴るとまるで悲しい出来事のように聞こえますが、先生はいまも現役バリバリ。SNS上で拝見する以上今もバッキバキ、むしろ加齢とともにより鋭く、ディープな境地に到達された模様。
こういった観点からも楽器の演奏はいじらしく、面白い。そう思えるのも一つの財産です。

「しっかり、はっきり演奏する」というのを僕なりの解釈で読み取ると、情報・表現が溢れかえってる現代でも埋没せず、どれだけ物理距離があろうともくっきりを見える塔(タワー)のような感覚。

ステージの真ん中へ全員で音を投げ込み、それが積みあがっていき、最後にはタワーが完成する。時にはいびつであり、時には直線的な建造物であったり。そういった意味でも「100人乗っても大丈夫!」な強固な基礎を鋳造すつ必要があります。
だから自分の演奏は必然的に「しっかり、はっきり」してなければいません。ここまで書いて俺なにいってんだろう、と思いますが続けます。

楽器の演奏は僕にとって世を生き抜く業(わざ)。
短略的にいえば金稼ぎの道具、同時に自分が自分であり続けるための術。100%のアイデンティティ。かれこれ20年以上このことだけを考えて生きてるワケですから、自分自身も「高島一航=ドラム・楽器・演奏」と認識しています。

ではこの業の原資がなにであるか、といえば「感性」になります。
美しいものをみて自分がなにを感じるのか、はたまたなにを恐ろしいと感じるのか。これが楽器演奏の源(みなもと)となります。

もっと具体的にいえば一つの旋律があり、どこにリズムがあるのか、奏者としてどの音符をフックアップすればより強固な音楽になるのか。
例の教授は「音楽とは時間の芸術」と論じましたがそのとおり、この作業をリアルタイムで行います。
自分の一つの結論ではこの情報処理スピード・能力が高ければ高いほど、優れたプレイヤーといわれます。
ことドラムにおいては一定のラインまではフィジカル(肉体)でどうにかなりますが、そのさらに上に到達するにはこういった能力が必須であろう、と考えています。

おおよそ一年前になりますが、気分が落ち込んでしょうがない日々がありました。
どちらかといえば考え込みやすい性格ではあるので、最近忙しくしすぎたかな、と気分転換に本でも読んでみようと思えど文字がまったく頭に入ってきません。
もう少しハードルを下げて映画を観てみるも内容が入ってこないし、なにより集中できない。お酒を飲んでも「これからどうしよう…」とよくない想像ばかりに取り囲まれる。

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