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メイズラン

平素よりお世話になっております。高島です。

毎年この時期になると「新年あけまして」と「誕生日ー」が重なり、幼少期なんかは「はい、いっこう君はお年玉とお祝い一緒ね」とまとめられることも多く、なんだか損した気分というか、貰いそびれた、というか。そんな気持ちになってました。

成人式の祝日と重なることもあり、面と向かっておめでとうといわれるのは今でも少し気恥ずかしい。しかしもういい大人、シャイぶってる場合じゃありません。
ありがとうございます。新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

装い新たに、となにか目標を立てたりするのは既に辞めてしまい、それは自分の継続力の不足もありますが、その場その場で心の赴くままに判断していくのが生物として自然なのではないか、という思惑の元です。

例えば「今年はSNSフォロワー5000人を目指します!」と目標立てたとして(実際にやった)、その後の行動がその意図に即したものになる、成果に支配されるのがどうしても嫌だ。
行きたいところがあったとして、その行程が辛く、険しい道のりになるのはどうも納得がいかない。

数年前の感染症の件もそうですが、この世界には到底予測できなかったことが平気で起こる。世界中でSNSが終了する、なんてことが起きてしまえば先の目標なんか露と消える(もちろんその過程でのスキルは蓄積されるけども)。

つまり目標や計画みたいなものは他所の評価軸に乗ったものでなく個人、極めてプリミティブな世界に打ち立てないとそもそも意味のないことだ、と考えたりします。

そうなるとどんどん資本主義社会の現代から遠のいていき、ゴッホや古の伝説ミュージシャンみたいな生き方しか残らない。
それでいいのか?となんども自問しますが今はこの考え方しかできない。未来のことは自分にはわからないしどうしても興味を持てない。

「今をしっかり生きます、その結果どこに行くのか自分ではわかりません、先々で文句も(あまり)言いません。」、そんなところでしょうか。


他人の世界観に迷い込まない

「他所の評価軸に乗らない」は良いヒントかもしれません。

「世界は案外小さい」と感じたのが昨年のトピックとしてあって、東京と拠点として北は北海道、南は福岡まで、ありとあらゆる場所へ演奏で赴きました。

僕らが日常的に見る世界地図は「メルカトル図法」という球体である地球を平面で表したもので、実際のサイズでみれば昨年の移動距離だけでいうと北欧三か国デンマーク、ノルウェー、スウェーデンあたりは網羅しています。

人種のるつぼ、ニューヨークと比べてもこんな感じ。

大型フェスや音楽番組等にも出演させてもらいましたが、よく知られたミュージシャンやタレントさんが自分の周りをウロウロしていたり。その観点を以てしてもやはり世界は小さい、と感じざるを得ません。

井の中の蛙として大海を知った次にどうするか、というと下に下に掘っていく。
そこにある世界を掘り下げて、そこにいる人間がなにを考えているか、文化がいかに設計されているか、それを学んだ自分がどう思ったのか。

なにを見てなにを感じてなにを返すのか。そのためには他人の世界観でない、強固な自分の評価軸を持っていないと正しく査定ができないのではないか、と考えています。

自分のサイズを知る

演奏の仕事で初めてニューヨークを訪れたおよそ十年前のこと。

現地に住む日本人スタッフさんとバーで飲み、煙草を吸うべく店の外で涼んでいると前方の暗闇から2m近い黒人の男が近づいてくる。
ボロボロのキャリーカートを引きながら「よぉ、俺はアリっていうんだ、よろしくな」と僕にグータッチを求めてくる。

おぉこれがニューヨークのノリか、と感動していると「お前ここで何やってんの?旅行?」とアリ。

いや俺はミュージシャンで仕事で来てるんだ、とたまたま手元にあった公演のフライヤーを渡すとそれを一瞥、雑にポケットに突っ込み「サンキュー、変わりにコレやるよ。」と手を差し出してきた。

その大きな手の中にあったのは二センチ四方ぐらいの青いビニールパック。なにこれ?と聞くと「コークだよ、コーク。」。
コーク?昔あった水で溶かすとコーラになる駄菓子のヤツ?ガキだと思われてる?そんなワケないよな、え、なにこれ?

「コ〇インだよ、コ〇イン。知らねぇの?」

まさかニューヨーク初日でこうくるとは思わなかった。
あ、いやオレそういうんじゃなくて、僕は日本人で、あ、やべ、電話だそろそろ店戻らないと、などと思いつく限りの英語でNoを示す。
結果どうにかアリから切り抜けることができたが、ヤツは最後まで「Open Ear!!」「Why? Open Ear!!」と僕に投げかけていた。

店に戻り、ビビったー!オレ今コ〇イン売られかけたわー!とドアマンに話す(IDチェックのために店にドアマンが常駐してることが多い)。

「ワッツ?コ〇イン?」

少し声が大きかったかもしれない。口にしてはいけない言葉だったのか店内がすこしピリついた気がした。

自分たちのテーブルに戻り、スタッフさんになんか最後までオープンイヤー、オープンイヤーって言われてたんすけど、どういう意味っすか?スラング?と聞いてみる。

「アレでしょ、そんなでっかいピアスしてんのになんでド〇ッグやんないの、ってことじゃない?」(当時の僕は両耳に3cmのピアス穴が開いていた)。

「普通タイムズスクエアでコ〇インなんか売らないよ」「あのグループでしょ、あいつらガチだもん」「マジ?最近この辺りマジで治安悪くなったよな」とそう広くない店内は一斉にヒソヒソしだす。

危なかったなー、もし知らずに貰ったりしてたら一撃逮捕よ、で、一航くんなんて言って逃げ出してこれたの?とスタッフさん。

「I'm Buddhist(私は仏教徒です)」

HAHAHA!まぁそんな耳しとったらホトケか菩薩かなんかに見えるわ~!体張りすぎやろHAHAHA~!

ジャパニーズ・コ〇インジョーク。店内に笑顔が戻る。
ここまではオッケー、こっから先はダメ。自分の手の届く範囲・サイズ感や、こんな極端な社会が世界にはあるんだ、と20代前半で知れたのはかなり大きい、と今となっては思えます。

このように名実ともに多少信心深いところもあり(ビビり)、今年も欠かすことなく初詣には参りました。

「あなたは子どものころから何事でもドン欲なほどに、知りたがった。」「あくことない知識欲が積み重なったものが、あなたの性格です。」とおみくじにあったよう、今年も「知る」に重きをおいた一年になるかと思われます。

以上となります。
それでは引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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