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「世界は美しい」と信じたい

平素よりお世話になっております。高島です。

毎年恒例の慌ただしいゴールデンウィークを通り越し、ゆっくりと日常に戻っていきます。
お呼ばれのツアー、渋谷でのコンベンション等、ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。

年下のバンドマン・ミュージシャンと一緒にいる時間が多く、ステージ観るたび若いのにすげーなぁ、となどと驚嘆します。
が、「いうて俺かて全然負けてねーし」と大人な振りして夜な夜なドラムをぶっ叩いてきた日々でした。配信等も含め、お楽しみいただけたのなら此れ幸いです。

大阪での夜、ホテルから移動し梅田にある小さなバーを訪ねました。
「NO CHARGE」の看板に惹かれ重たいドアを開けると、オーセンティックなカウンターに数名のお客さん。聞こえ漏れてくる言葉の端々からするに、おもに地元の方が立ち寄るお店のようです。

オーバーオールにタンクトップ、よりによってとんでもない恰好で来てしまった。カウンターの端に座り、一人小さくお酒を飲みます。

音楽はいろんな姿があり、時にはなにかを変革させるツールに、時には物事のバックグラウンドに変容します。

今こうして「今日のライブどうだったっけなぁ」と振り返っている瞬間も音楽はまた別の姿になっている。ステージで座っていたのは他でもない自分なので当然、自分にしか見えなかった姿になっている。

反対に、会場にいた一人一人にもそれぞれの音楽がある。
理想と言い換えても良いかもしれない「ソレ」の共通項を見つけ、即座に撃ち抜ければ最高なモノが仕上がるんだけどもそう簡単にもいかない。

「音楽とは時間の芸術」とは師の受け売りですが、空気や雰囲気、天候までもが「時間」を表現する一端ならば当然「正解」は毎回違う。
むしろ違っていないといけない。昨日「失敗」とされたことが、今日は「正解」になる世界。「世界は美しい」ことが大前提だとして。
そうなると「○○+○○=△」のな公式・ロジックも通用しない。決して「ツーバス踏める!=メタラー!」ではないのだ。メタルとは人生。

そんなことに頭を巡らせつつ煙草を切らしたことをきっかけにお会計へ。
仕立ての良いシャツに身を纏ったマスターが「これからどこか(遊びに)行かれるんですか?」と誘惑してくる。
夜もまだ浅く、それもアリかと店を出るとここは大阪梅田。酔っぱらいの奇声、眼光鋭い黒服たち。呆気なくパワー負け、コンビニで買ったビールを飲みながらそれとなく徒歩でホテルを目指してみる。

梅田駅から離れると途端に街灯が弱くなっていく。道が暗くなりすぎない内に良い店があれば…、と思うもコンビニすら見当たらない。
住宅地をさまよい続け30分、突然拓けた視界。「淀川 河川敷」と看板にあります。

この川を渡らないことにはどうにもならないのだけども、見渡す限り工事現場で何一つヒントがない。どうにか見つけた工事現場のおっちゃんに橋の場所を教えてもらい、車の行き交う側道をひたすら歩く。

眼下に広がる巨大で真っ暗な河川敷。「万一、ここに落ちたりしたら一週間は見つからんやろうな…」と要らぬ想像で勝手に怖くなり、すれ違う人たちに怯えつつ、足早に橋を渡り抜けタクシーへ乗車。

「これぞ大阪!」という嘘みたいな運転で、嘘みたいな番号の部屋に泊まり翌日を迎えたのでした。

以上になります。
それでは引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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