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デジタルネイチャーの『再・脱魔術化』はもう起きないのか(ベイトソン、落合陽一)

まず、ネイチャー(自然)が科学の進歩によって「脱魔術化」されたという観念について考えてみましょう。これは、自然現象が神秘的な力によるものではなく、一連の理解可能な物理的、化学的、生物学的過程によって説明可能であるという認識の変化を指します。つまり、我々が自然を理解するためのフレームワークが、神秘主義から科学的な視点にシフトしたのです。

次に、科学の進歩が一定のラインを越えて「再魔術化」のフェーズに突入したという考え方を見てみましょう。これは、科学と技術が進歩するにつれて、我々が理解し、操作できる範囲を超えて新たな現象や力が生まれ、自然が再び神秘的に感じられるようになるという概念です。この観念は、デジタルネイチャーと深く結びついています。デジタルネイチャーは、デジタル技術と人間の自然な生活が深く統合された状態を指します。

落合氏によれば、デジタルネイチャーは自然の新たな形態であり、その浸透によって、デジタル技術が生活の一部となり、その動作原理を理解することは一般的には困難になります。これにより、デジタルネイチャーはある種の「再魔術化」を経験します。

では、デジタルネイチャーが浸透し切った後、その新たなる自然が「再・脱魔術化」される可能性はあるのでしょうか? 私の視点からは、その可能性は十分にあると考えます。

デジタルネイチャーが浸透し、その新たなる自然が「再・脱魔術化」されるためには、デジタル技術の動作原理と影響についての理解が必要となります。これは、教育、透明性、アクセシビリティの改善によって可能になります。この過程においては、デジタルリテラシーの普及、教育システムの革新、科学の進歩が重要な役割を果たします。

また、科学の進歩により、新たな自然が再度「脱魔術化」される可能性は十分にあります。科学は常に新たな知識を探求し、未知を解明するための手段です。デジタルネイチャーが自然として受け入れられたとしても、そのメカニズムと可能性についての探求は続くでしょう。これは、科学が再熱する、つまり新たな研究領域や課題を生み出す可能性を示します。

しかし、この「再・脱魔術化」は、過去の自然現象の解明とは異なる一連の課題をもたらすでしょう。デジタルネイチャーの場合、解明すべき現象は物理的な自然現象だけではなく、人間の行動、感情、意思決定などといった複雑な要素も含まれます。これらの要素は、個々の人間の内面的な経験と深く結びついており、また自社の文化、社会、歴史的な背景によっても形成されます。したがって、デジタルネイチャーの「再・脱魔術化」は、科学だけでなく、心理学、社会学、人類学、哲学、倫理学など、さまざまな学問領域の統合されたアプローチを必要とするでしょう。

さらに、デジタルネイチャーの「再・脱魔術化」は、科学的な理解だけでなく、その理解を社会全体に広め、生活の中に反映させることも含むべきです。デジタルネイチャーは、我々の生活のあらゆる側面に浸透しています。よって、その理解は、一部の専門家だけでなく、一般の人々にも必要とされます。

このような観点から見ると、デジタルネイチャーの「再・脱魔術化」は、単なる科学的な挑戦ではなく、教育、社会、文化、倫理など、さまざまな領域にわたる広範な挑戦となるでしょう。この挑戦に取り組むことで、我々はデジタルネイチャーという新たなる自然を深く理解し、その可能性を最大限に活用する道を開くことができるでしょう。

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