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ChatGPTで遊ぼう 戦国絵巻-if part2

前回、川中島の合戦を生き延びた山本勘助は長篠の合戦にて徳川に寝返り、徳川を織田と争うように仕向け、勝利に導きました。
その後、徳川の世になったものの、家康にその才は平和な世には危険物と判断され討たれてしまいました。(注:脳内補完多)

手なりにキャスティングした山本勘助でしたが、いいチョイスでしたね。

一方、徳川に滅ぼされた織田方ですが、もう一人の天下人秀吉はこの時、何をしていたのでしょうか?
ChartGPTに描いてもらいましょう。

ありがとうございます。一方、織田方には有名な武将「羽柴秀吉」がいたはずですが、この世界線ではどのような活躍をしたのでしょうか?山本勘助が歩んだ即席に照らし合わせながら記述してください。

確かに、織田方には羽柴秀吉という有名な武将がいました。この世界線でも、彼は織田方の中心人物として活躍しています。

長篠の戦いにおいては、羽柴秀吉は織田信長の命を受けて、総大将として参戦していました。彼は自ら先頭に立って、徳川軍に猛攻を仕掛けます。その勇猛さと戦術眼によって、徳川軍を苦しめました。

また、山本勘助とは対照的に、羽柴秀吉は織田方の中心人物として活躍していたため、織田信長やその側近たちとの交流も深かったとされています。彼は信長からの信頼も厚く、後に天下人として君臨することになります。

ただし、山本勘助と羽柴秀吉は性格や出自などに大きな違いがあるため、彼らの活躍や立場は必ずしも対比されるものではありません。

ありがとうございます。総大将として戦った秀吉のワンシーンを会話劇で描いてください。

以下は、長篠の戦いにおいて、織田方の総大将として参戦した羽柴秀吉のワンシーンの会話劇です。

【場面:長篠の戦場、織田方の陣地】

羽柴秀吉:(声をかける)各隊、前進せよ!徳川軍を追い込め!

織田軍兵士A:はい、了解しました!(叫びながら前進する)

織田軍兵士B:秀吉様、徳川軍が猛反撃を仕掛けてきています!

羽柴秀吉:(手を挙げて指示を出す)分断して攻撃を続けろ!慎重に、しかし迅速に動け!

織田軍兵士B:はい、分かりました!(走り去る)

織田信長:(近づいてくる)秀吉、お前の指揮がなければ、今頃我々は苦境に立たされていただろう。

羽柴秀吉:光栄です、信長殿。この戦い、必ず勝ち抜きます!

織田信長:(頷きながら)おお、よい心意気だ。その調子で、がんばれ!

【場面:長篠の戦場、徳川方の陣地】

徳川軍兵士:(叫びながら攻撃してくる)

徳川家康:(後方で指揮を取りながら)羽柴秀吉か…相手が強いな。

伊達政宗:家康様、どうしますか?敵の攻勢が激しいです。

徳川家康:(にやりと笑いながら)まあ、これも戦いのうちだ。私たちも、しっかりと応戦しようではないか。

伊達政宗:(頷きながら)かしこまりました、家康様。

以上、織田方の総大将である羽柴秀吉の指揮の様子を会話劇で描いてみました。

なるほどなー、政宗が徳川についたんだ。北条もいるだろうし、この戦は徳川+武田残党+北条+伊達の連合軍だったと思われる。そりゃ織田も負けるわな。(政宗が何歳とか、この当時の伊達の地盤とか無視しつつ)

しかし、ですよ。東国諸連合で織田を破ったとなると近畿以西の諸大名が黙って徳川の天下を許したとは思えません。特に秀吉が対徳川に手を取られていますから、毛利は西から織田の所領を奪ったと想像できます。

この世界線では織田が徳川に敗れています。つまり、畿内一圓の所領が他大名に渡ったと推測できます。どの勢力が台頭したのでしょうか?

そのような世界線の場合、織田が敗れた後に畿内を支配する勢力としては、豊臣秀吉や徳川家康などが考えられます。しかし、具体的にどちらが台頭したかは想定された世界線の設定によって異なるため、特定することはできません。

秀吉と家康は長篠や小牧・長久手でぶつかってるんですよね?その隙をついて他の西国諸大名が勢力を伸ばしそうなんですが、何が起きたと考えられますか?

そのような世界線の場合、豊臣秀吉や徳川家康が長篠や小牧・長久手で衝突することになると思われます。この戦いでどちらかが勝利した場合、その勝者が畿内を支配することになり、他の西国諸大名がその勢力下に入ることになると思われます。

もし豊臣秀吉が勝利した場合、彼は関ヶ原の戦いで徳川家康を破り、天下統一を果たします。その後、西国の戦国大名を次々と制圧して畿内を支配下に収め、大坂の陣で豊臣氏の滅亡まで勢力を拡大することになります。

一方、もし徳川家康が勝利した場合、彼は江戸時代を開き、大名の支配体制を確立します。彼は西国の戦国大名を従えることによって畿内を支配することになり、江戸時代の政治・文化を発展させることになります。

どちらが勝利するかによって畿内を支配する勢力が異なるため、その後の展開も変化することになります。

あくまで、西国諸侯は日和見を決め込んでいたといってますね。
でも、そういわれるとたしかにって気もするんですよね、本能寺の変後、毛利は秀吉と対峙しないどころか友好国の代表だったと思われます。

長曾我部あたりはまだ元気な時期と思いますが、四国統一で手いっぱいだったとも言えますね。

ふむふむ一理ある。

最後に双方の主役に交流してもらいましょう。

もし、この世界線で織田方の秀吉と徳川方の山本勘助に交流があったとするとどういうものだったと考えられるでしょうか?会話劇をお願いします。

以下は、架空の世界線での秀吉と山本勘助の交流を描いた会話劇です。

【場面:秀吉の陣営】

秀吉:山本殿、お疲れ様です。戦場においては、いつも勇敢なご活躍を見せていただいております。

山本勘助:光栄に存じます。我々も、織田家に負けじと、全力を尽くして参ります。

秀吉:そうだな。確かに、徳川家康も手強い相手だ。しかし、私は彼の野望を食い止めてみせる。あの男が畿内を手中に収める前に、討ち取ってやる。

山本勘助:織田家を滅ぼすことができなかった私にとって、家康様を倒すことは非常に難しい課題となります。

秀吉:そうか。しかし、私には一つの考えがある。今後、私たちは協力して戦おうではないか。

山本勘助:協力とは、具体的にどういうことでしょうか?

秀吉:まずは、徳川家康が握る三河地方への攻撃を行おう。私たちは、東から攻めて、山本殿は西から攻める。彼を挟み撃ちにすることで、その勢力を一挙に削ぎ落とすことができるだろう。

山本勘助:なるほど。しかし、それだけでは勝利することはできません。その後、織田氏や北条氏といった勢力との戦いも待っていることは、承知しております。

秀吉:そうだな。しかし、私たちは互いに協力し合い、敵に立ち向かっていく。その中で、未来を切り開いていこうではないか。

山本勘助:あなたの言葉には力があります。私も、協力して戦おうという気持ちになりました。どうか、引き続きご指導をお願い致します。

秀吉:お互いに助け合い、共に戦いましょう。それが、未来につながる道だ。

これじゃーん。家康に山本勘助が討たれた理由。
なんと、秀吉は徳川優勢の状況を覆すべく、山本勘助を調略していたのですね。さすが人たらし。

しかし、疑り深い古狸は看破したと、おお、怖い。

いい感じに落ちもつきました。

やはり、ある程度時代背景や人物相関がわかっていると、こっちでお化粧してあげられるので遊べますな。
多少、AIが土地勘がねえとか、数年単位の時代の不整合が起きてるとかは無視するしかないとしても、ChartGPT、いいクリエイターだと思います。

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