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スンとした聴衆の前で歌うためのコミュ力を研究中

知らないスンとした聴衆の前で歌うこと

話し手として50人以上の講座で前で講義した経験もあり、聴き手として芸能人や著名人など大物を相手にインタビューしてきた私だが、歌い手としてのそれとは、また全然違うと感じている。

歌うという行為は、話すという行為とは、全然違う。

しかも、自分が書いた詩とメロディを聞いてもらうのに、振り向かせて聞かせる必要があるのかと、どこかで疑問を感じているし、どこかであきらめている自分もいる。

今回、よく歌わせてもらっている「とある場所」で久しぶりに歌ってみて、これまでにはないアウェイ感を感じた。

それはなぜか。

自分なりに分析をしてみたところ、「歌い手」としての雰囲気が、「素人感」から少し離脱できたからこその「アウェイ感」だったのだと、気づいた。

そこで、このことについて書いてみようと思う。

聴きたくなるような存在とは?

初対面でも、その人の「言葉」を聴きたいと思うのは、どんな人か。

①魅了する存在
②尊敬する存在
③応援したくなる存在

大まかにはこんなところだろうか。

①は、なかなか年齢的にも難しい(笑)。
②は、すでに有名であるとか、その道のプロであるとかだから、これも難しい。

③応援したくなる存在
おそらく、ここしか道は残されていない(笑)。

では、この応援したくなる存在を紐解いていこう。

応援したくなる存在とは?

人が応援したくなるのはどんな人なのか。

①かわいい・かっこいい
②親しみを感じる存在
③助けが必要な存在
(頼りない感じ)

といったところだろうか。

①かわいい
というのは、年齢や見た目も含めたかわいさ、
そして、無邪気さであり、
懐に飛び込める真っ直ぐさでもある。
アラフィフには難しいな。

そして、
②親しみを感じる存在
というのも、どうやら私の場合
話してみないと難しい。らしい。
「なんかちょっと人と違う雰囲気」が
あるという。

ハイテンションなMCで
自己紹介しつつ始めることも
これも該当するだろう。

自分から距離を詰めることで
親しみを感じてもらう手法だ。

③助けが必要な存在
というのは、
どこか頼りない感じや
不器用さが感じられること。

人は、そういう人に
「どうしたの?」「大丈夫?」と
声をかけたくなる。知りたくなる。


さて、この3つのなかで、
「かわいさ」はちょっと置いておいて。

かけ出しのミュージシャンが
工夫できるとしたら、
②親しみを感じる存在
だろう。

親しみを感じてもらうには、

・自分から積極的に話しかける
・「おっちょこちょい」「不器用」な面が見える
・素朴な風貌でいる

といったところではないか。

でも、自らテンションを上げて
相手にもテンションを上げてもらう
つまり、こちらからグンと
気持ちを引き上げるということは苦手だ。

パーソナリティをしていても
ちょっと元気めに話し始めることはできても
緊張で汗がダラダラ出てしまう。

私は、演じるのが苦手だ。

上手下手という意味では、そこそこ「可能」、
つまり、やろうと思えば、
演技力はそこそこあると思う(笑)。

そうではなくて、
おそらく、もう演じたくないのだ。
自分らしい生き方を
やっと選べるようになったから。

でも、そこが、歌い手となってから、
一つの足枷になっている気がする。

小さいころから、
心のうちと、発する言葉が違う違和感に
すぐに気づけてしまう人だった。

本人がどれだけ完璧に演じているつもりでも
見抜く人は、見抜く。

だから、自分も極力
人を褒める時にも
思ってもみないようなごますりはせず
誠実にいようと思ってきた。

でも、それではうまくいかず、
10〜20代のころは、
いろいろな自分を演じた。

嘘はつきにくいので
2〜3ぐらいのことを
7〜8にして褒める
ぐらいのことはした。

キャラを演じてみてわかったのは
「人間関係はうまくいくが
 私が望むような心から深く信頼し合える関係」
は築けないのだということだった。

そのことは過去のブログ記事
「人気者になりたくて捨ててしまったもの」にも書いた。

そこそこなかよくはできる。
だけど、そこまでだ。

それから、紆余曲折を経て
心から深く理解し、信頼し合える
パートナーも見つかったことで
ますます演じるのが苦手になった。

でも、今、再び、
・パーソナリティ
・シンガー
としては、
「ある種の演技」が必要だなと
感じる状況にいるからおもしろい。

演技しなくても済む程度に
自分のペースで
自分のテンションで
積極的に話しかけていく

必要があるようだ。

そして、
今回、同じような場なのに
いつもよりアウェイだなと感じた
いちばんの理由が、
③助けが必要な存在
ではなかったからではないかと
分析している。

これまでの私は、
「これから歌わせてもらいます」
「よかったら聞いて」
みたいな、肝っ玉の小ささを
前面に出してしまっているような
心もとないシンガーソングライターで(汗)
エネルギーを小さくしたまま
挑んでいたように思う。

つまり、
「シンガー」としてではなく
「応援したい一人の人間」として
彼らは私のほうを見てくれていたのだろう。

つまり、私の「素人感」によって
③助けが必要な存在となって
あたたかい気持ちで
こちらに目を向けさせていたから
アウェイ感が少し和らいでいたんだなと。

今回、ステージ慣れしてきて
前日に、大きな野外ステージで歌った後だったのと
一人でピアノに緊張して向かうシンガーではなく
サポートミュージシャンのギタリストと
登場した、こなれた感じのシンガー(?)
だったのだろうと思う。

わかりやすく「拒否」のエネルギーを
出している一部の人たちがいたことに
私は、驚いた。

「あなたのことなんて知らないし」
「別に歌なんて聞きたくないし」
という無表情の彼らの前で歌う苦痛(笑)。

ほとんどの時間を背中を向けてた
女性がいたことについて
「じゃ、いいです」と
どこかで思っていた。
無理に聞かなくていいよ〜と。

でも、そうじゃないんだよね。きっと。

前説は前戯と同じ。丁寧におこなうべし

ステージが終わってから
ずっとモヤモヤしていた。

小さいころから
コミュニケーションの尺度が男性的で
女性には合わなかったこともあり
私は、コミュニケーションを
あきらめるのが早いのだ。

だけど、気づいた。

「これって、もしやセッ●スと同じじゃないか」と。

気持ちを高めてあげないまま
「歌う」というコミュニケーションを
してしまった。

時間を気にした私が、
前説を、簡単な自己紹介だけで済ませて
歌い始めてしまったことも
ひとつの問題だったのではないか。

仕事ではアイスブレイクをしてから
本題に入るという心がけをしてきたのに。

ちゃんと話しかけて
どんな思いで歌を作っているのか
どんな歌を聞いてほしいのか
語りかけるべきだった。

前戯が雑なまま、
私がプレイを始めてしまったから
まだ心の準備ができていなかった
聴衆を相手に歌うことになった。

それって、結果的に
マス●ーベーションに
なっていたんだろうなと。

人とのコミュニケーションを
あきらめるのが早い私は
プロ意識に欠けている
のだなと
そう、反省した。

聞く人を
「楽しませてあげたい」
という気持ちには欠けていた。

前日の大きなステージではできたのに
そのステージでの疲れもあった。

まずは「場」を温めるということを
しっかりと心得ていなければ
双方向にエネルギーが流れることはない。

「親しみを感じさせるため」の
自己紹介、前説をすべきだった。

そこが欠けていたのだ。

保育士時代を思い出すべきだ。
子どもたちは、話を聞かない。
だから、手遊びをするし、
話しかけたり、歌ったり
気を引いてから話をする。

かわいい、若い、歌い手のような
やり方では、心を開いてもらえない。

私には、私のやり方があるはずだ。
ということで、前説を研究していこう。
と、思ったのだった。

前戯は大切!
というオトナな回答に
辿り着いたのでした(笑)。

リハーサルが大事!
に加えて、
前説が大事!」を
私の、心得に入れたいと思います。

なにもテンションをぶち上げなくても
静かな語りで「場」を作ることは
仕事でずっとやってきたことなんだから
できるはず。

落ち着いて、やってみようと思う。

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