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【チョコレートリリー寮の少年たち】安全飛行の魔法とモノクルのリュリュ

四限の飛行術の授業で、初めて、五メートルほど飛べた。自分でもびっくりしたし、皆に本当に上手になったねと抱きしめられ、讃えられた。
「みんなのおかげだよ、補講、してくれたから。ありがとう」
「とんでもない成長です、エーリク、すごい、すごい!」
一瞬で五十メートル先まで飛んだロロも僕の両手をとってぎゅっと握りしめてきた。
「本当にすごいよ、ぼく、なんだか感動しちゃった……
「おれも。なんだか感慨深いよ」
そこまで言ってもらえると、尻もちをつきまくったり、ほうきを何本もへし折って惨めな思いをした僕も本当に嬉しくて、涙が出そうになる。
「白線、消しちゃいますね。ぼく今日、当番なので」
「お、すごいものが見られそうだぞ」
ロロは右手で空中を薙ぎ払うような仕草をした。細かい砂利が静かに波のように揺れて、瞬く間に白線が消えていく。
「いつもの事ながら、お見事」
「すごいなぁ、ロロ」
「どうやったらそんなことが出来るの?」
「ぼくの魔力は風渡りの血を受け継いだだけですし、実力ではないんです、あと、その、それから……それから、」
ロロがひと呼吸おいてから、いった。
「あの……みんなについてきてもらいたいところがあるのです」
「ええっ、ロロからお誘いをうけるなんて」
「珍しいね」
「どこに行きたいの?ロロ」
「あ、あの、えっと……ぼくの母がこのほうきに、安全に飛べるように魔法をかけてくれていた、のですが」
「うん、」
「その魔法が切れそうなんです。だからぼくが一瞬で50メートル飛べちゃうのも、やや危険なんです。もっとふわふわっと飛んで、ゆっくり、とまりたいんです。少し前にエーリクのデッキブラシが暴走しましたよね、あんな感じで、制御ができないんです」
「なるほど、そんな事情があったんだね。いつも早くてすごいなあと思っていたけど、ロロなりの悩みがあった、と」
「はい、リヒト。付き合ってくださったら、みんなに氷菓子をご馳走します」
「やった!ついて行く!」
「おれも!」
「もちろん僕もだよ」
「では、アル・スハイル・アル・ワズン……杖をいただいた場所、覚えていますか」
「あ、モノクルの少年が店番をしていた」
「そうです、エーリク。あの少年のお師匠様にあたる方が、凄い方なんです。タリスマンを下さるのでそれを受け取りに行きたいのです」
ロロが鈴が鳴るような声で笑みを零し、小さなほうきを頭上に掲げた。
「他にも、なにかこまったことがあったら、その先生を頼りなさいと母に教わりました。参りましょう」

かくして僕たちはアル・スハイル・アル・ワズンへ向かう周回バスに乗り込んだ。もうすっかり夏だね、と言いながら、手のひらサイズが可愛いと思って購買で買った鉱物図鑑などを見て過ごす。
リヒトはまた手すりにつかまり身を乗り出して遊んでいる。薫風に、絹糸のような黒髪を揺らめかせて、向こうから来るバスの運転手に向かって手を振っている。ホイッスルを鳴らして応えてくれたのが嬉しかったようで、こちらを得意げに振り返る。
「危ないぞ!まあリヒトだから大丈夫なんだろうけど」
「うん、風が心地よいよ」
「本当に気をつけろよ」
「はーい」
スピカは今日もなんだか難しそうな本を読んでいる。僕は鉱物図鑑を閉じてロロをあやとりに誘った。
「あや、とり?」
「そうそう、紐を使うの。僕、ひと夏かけてマフラーを編もうと思って、この間手芸屋で毛糸を買ってきたんだ。その糸を切ってきた。えっとね、ロロ……ここに指をくぐらせてみて。そうそう」
「こんな感じですか」
「うん、指を離さないでね……ほら!そしたらここを……こうして……みてごらん!吊り橋が出来た!!」
「わあ!おもしろい!他にもなにか、作れますか?」
ぽかぽかと頬をそめてロロが僕の指先を眺めている。
「流れ星作るから、見ていて」
これは父に教わったとびきり可愛い技だ。僕は両手で毛糸を手繰った。
「出来たよ、ほら、星が流れてるように見えない?」
「わぁ!エーリク、すごい!!確かに、流れ星に見えます。あの、よかったら、もっとたくさん、色々……その、教えてもらいたいな……一本の紐だけでできる芸術ですね」
「芸術だなんて、そんなおおげさなものではないけど、喜んでもらえてよかった。僕の知ってるもので良かったら、何でも教えるよ」
リヒトが、到着!!と言って降車を報せるベルを鳴らした。スピカが本をバンドでたばねて肩にひっかける。
「おれも夢中になってしまっていた」
「わあ、大変!急がないと」
僕らはばたばたと忙しく周回バスから降りた。日差しが、夕方でも沈まず照りつけてくる。バスストップのすぐ目の前にあるセレスティアル舎は大盛況だ。
「今日もすごい人だね、セレスティアル舎。ルーヴィス先輩、いるかなぁ」
「あとで行きましょう」
「やった!わーい!!」
「こらこら、あまりはしゃぐな、リヒト。まあこんなこともあろうかと団体割引のチケットを持ってきてある」
「さすがスピカ」
「母親にしこまれたんだよ、クーポンとかチケットの類を集めるのは」
「ぼくの実家、ものすごく貧乏だから、氷菓子なんて本当にとてつもないご馳走なんだ、わー、後でよくよくメニューを見よう、何にしようかな」
「その前にロロのタリスマンだろ、ほら、リヒト」
スピカがリヒトにすらりとした腕を差しのべた。
リヒトはすぐに腕を絡めて、スピカを見上げている。
「スピカ、もしかして、背、伸びた?」
「うん、成長期ってやつなのかも。先月測定して五センチ伸びてたから」
「いいなあ、僕ももう少し、成長したいものだよ。毎日、美味しいものいっぱい食べているのになあ」
僕がちょっぴり拗ねたように言うと、ロロが僕のローブの袖をぎゅっと握った。
「ぼくもです、もっとおおきくなりたい」
「ロロは……そのままでいいよ」
スピカとリヒトがくすくすと笑っているのをみつめて、ロロが今にも泣き出しそうな顔をしている。
「どうしてですか、好き嫌いせずになんでも食べているし……最近はピーマンが食べられるようになったんです。ノエル先輩特製のマフィンや、シフォンケーキ、フロランタンやスイートポテト……あとは星屑駄菓子本舗のゆめみるプチタルト、それに、それに……AZUR〉のチョコチップクッキーだって……
「ロロ、ミケシュ先輩みたいになりたいの?」
僕が紺碧の瞳をのぞきこんで、問う。
「はい!目標は長兄のミケシュです」
「なれるよ、きっと!なれる!追い越しちゃうかもしれないよ、もしかしたら」
「はい!エーリクは優しいですね」
「おれたちだってやさしいよ」
「そうだよ、心外だなあ」
「スピカとリヒトは、ちょっといじわるです……さあ、タリスマンをいただきにいきましょう」
店の扉を引くと、大きな柱時計からカノンの旋律が流れ出した。
「時間、ぴったりだね。いらっしゃい」
椅子から立ち上がり、砂色の髪の青年が微笑んだ。まだ、ノエル先輩やミケシュ先輩と同じくらいの歳にみえる。
「本当に師匠の言った通りの時間にやって来た!マグノリアのみなさん、こんにちは」
「こんにちは!」
「お久しぶりです」
「先日は杖をありがとうございました」
「こんにちは、あ、あの、母からたぶん、連絡が……
「うん、きみがロロくんか。タリスマンが欲しいんだってね。すぐ用意するよ」
青年がカーテンをゆっくりした仕草ではらい、店の奥へと消えていった。
「えっと……きみは学院生じゃないのかい」
スピカが台帳に羽根ペンでなにやら書きつけているモノクルの少年に尋ねた。僕たちも興味津々だ。彼が目線を一瞬あげて、その後また何事も無かったかのように作業へ戻った。
……僕は少々体が弱くてね、ここで師匠に勉強を教わりながら、仕事をしてる」
「ごめん。そんな事情があったのに、突然訊いたりなんかして」
「ううん、僕も特別扱いがあまり好きじゃない。君たちが友達に接するように接して欲しい、かなうならね」
少年がモノクルを外し、クロスで拭きあげている。
「天鵞絨のその、リボンタイ。素敵だね。僕も学院に通っていたとしたら、一年生なんだ。杖もつい先日師匠から授けていただいた」
そこで師匠と呼ばれた青年が箱を持って、カーテンの隙間から顔をのぞかせた。
「タリスマン、持ってきたよ。リュリュ、渡してあげて」
「師匠、お疲れ様です!あとは僕がひきうけますので、おやすみになってください」
「頼んだよ、というわけで、僕は寝る。充分労働した」
「後ほどお食事を届けにあがりますので」
「ありがとう、みんな、また今度。元気な時に会おうね、帰り道、気をつけて」
師匠、と呼ばれていた青年がそう言い残し、手を振りながら、ふと姿を消した。
……師匠、あまりお天道様がぎらぎらしてると体調を崩しちゃうんだ。だから授業料として、店のあれやこれやは僕がやることにしてるのさ。さあ、ロロくん、君の可愛いほうきには、このチャームのタリスマンがぴったりだ。括り付けるね」
「あっ、あ、あの、わぁ、ありがとうございます」
淡い緑と青の、中心に向かって渦を巻いていくような文様のタリスマンだ。僕たちは思わず無遠慮に寄り集まってそれを眺めた。
「綺麗だ」
「ね!目の錯覚なのかな、模様が変わっていく」
「すごーい!ぼくもこれ、ほしいなあ」
「おひとつ500Sでお作りしてるから、良かったら注文して。確かチョコレートリリー寮の寮母さん……ママ・スノウだっけ、あの方に申しつけてくれたらいい。師匠、頑張って作ると思うよ」
「今ここで注文していってもいい?」
「承るよ。君は、えっと」
「リヒト。好きな色はピンク」
「わかった。僕のことは、リュリュでいい。ちょっとまっててね」
モノクルをかけ直すと、棚からとても重たそうな分厚いノオトを引きずり出して、どん、と音を立ててテーブルに置いた。付箋が無数につけられていて、ここは老舗なんだな、と思った。リュリュがぺらぺらと薄い紙をめくりはじめる。
「ピンクだと、こんな感じになるよ。段々と茜色に発光する、」
ホログラムが浮き上がる。渦をまく、というよりは、静かにだんだん、赤みが増してくる感じだ。
「リヒトなら、寒色も似合いそうだけどな」
リュリュが静かに頁を捲る。
「でもその辺は完全に趣味で決めていいと思うよ。籠る魔法の効果は一緒だから」
「それならやっぱり、ピンクがいいな」
「リヒトは本当にピンクが好きだね、ほうきも、パッションピンクのインクで塗装してたし。先日から給食の時、カトラリーを持ってこなきゃいけなくなったでしょ、それもピンクで揃えていたしさ」
「あの塗装、本当に大変だったよな……
「今度リュリュにも見せてあげなよ」
僕が笑いながらほっぺたをぷにりと触ってくすぐると、リヒトは小さく声を漏らして身をよじった。
「えっ、それは恥ずかしいよ、 エーリク。スピカ、あの時はいっぱい手助けしてくれてありがとう」
「ふるまってくれたエルダーフラワーのジュースでおあいこ!」
このふたりは阿吽の呼吸で生活しているなあと思いながら、せっかくなら僕もタリスマンを注文しようかな、と思い始めた。
「あの、リュリュ……カタログとか、ある?寮に帰って、ゆっくり見て決めたい」
「あるよ、そこに積んであるの物色して自由にもって行って。一応暖色、寒色で分かれてる。重たいけど、大丈夫?」
「学院指定の頑丈な鞄に入れて背負って帰るよ」
「その鞄も素敵だね。よかったら見せて」
僕が鞄をそっとテーブルに置くと、モノクルを掛けたり外したりしながら、リュリュが隅々まで鞄を見つめている。きっとあまり、視力も良くないのだろう。
……うん、ありがとう。僕もやっぱり、学院、通いたいな」
切ないつぶやきだった。
僕はふと思い立ち、リュリュの翠色の目をしっかり見て、きいた。
「ねえ、リュリュ、鉱物すき?」
「うん、詳しくはないけど」
「それなら、これ、図鑑。良かったら貸す。タリスマン以外の話でも、僕や皆がまたここへ来る時の口実になるよね」
リュリュはとても優しい眼差しで図鑑を眺めると、そっと手に取った。
……ありがとう。えっと、君の名前、教えてくれる?」
「エーリク」
「エーリク、素敵な名前だ。ありがとう。僕、これを隅々まで読むことにするよ。そうしたら、一緒に石の話をしよう、もしもきみがよかったら、だけど」
「勿論さ、リュリュと楽しいこと、たくさん共有したい」
「嬉しい。今まで、こんなこと言ってくれる人、居なかった。完全に病人扱いされて、とても辛かった」
リュリュは瞳を翳らせた、僕は言葉をよくよく考えて、言葉をつむぐ。
「それは悲しかったね。でも僕はそんな目で君を見ないよ。誓える」
「本当に?」
「うん、本当にだよ」
……ありがとう、いつか誰かに、こういって欲しかった、それを待ってた。僕は臆病者だ」
僕はしっかりとリュリュの手を握った。
……今日はここでお暇するけど、数日以内にまた来るよ」
「帰り道、気をつけて。マグノリアのみんな、今日はありがとう」
「リュリュも、体調にはくれぐれも気をつけて。じゃあ、また!」
順番にリュリュと握手して、店を後にした。
セレスティアル舎のあたりは、閑散としていた。あかりも点っていない。けれど、窓ガラスは煌々と光っている。ルーヴィス先輩か、アルバイトの双子が閉店準備をしているのだろう。僕たちは、氷菓子はまた今度だね!と言いながら、手を繋いでチョコレートリリー寮へ向かった。急がないと、オールドミスにまたどやされるとスピカが嘆くと、本当に!!とリヒトがおどけて言う。丁度バスストップに停車していた周回バスに乗り込んだ。何とか門限ぎりぎり、間に合いそうだ。

そこかしこに咲きはじめたおしろい花の蜜の香りが、真夏を連れて、やって来る。

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