【ふくろう通信13】開高道子と「モンパルナスの灯」
エッセイストとして活躍した開高道子(1952~94年)は芥川賞作家・開高健と詩人・牧羊子の一人娘。世界中を食べ歩き、「新しい天体」「最後の晩餐」といった食の名作を残した父と、料理(とくに中華)が得意な母の影響を受け、道子自身も食への関心が強かった。多くの食エッセイを書き、イギリスの作家ジョン・フィッシャーの「アリスの国の不思議なお料理」を翻訳したこともある。この本はタイトルからもわかる通り、「不思議の国のアリス」に登場する不思議な食べ物のレシピを紹介した作品だ。「お飲みなさいスープ」「チェシャー猫のひげ風チーズ棒」といった料理を美しいイラストと共に紹介していて楽しい。
「父開高健から学んだこと」
エッセイでは父を取り上げることも多かった。1994年に出版されたエッセイ集「父開高健から学んだこと」(文芸春秋)は、娘から見た開高健の実像が詰まっていてとりわけ興味深い。
開高一家は1955年、大阪から東京都杉並区の西武新宿線沿線に引っ越す。「父開高健―」所収のエッセイ「ワンダーランド眩く」によると、家族で新宿に買い物に出かけることもあり、新宿角筈の都電の停留所近くのとんかつ店「すずや」に行くのが楽しみだった。
<その角筈にあった民芸調のたたずまいが売りものの<すずや>のヒレカツはもう十分にボリュームがあって、成長期に飢餓の時代を舐めさせられた世代の人だった父を喜ばせていた>
「モンパルナスの灯」を絶賛
開高健は1989年春、食道狭窄の診断を受けて東京都内の病院に長期入院した。結局その年の冬に58歳で亡くなるのだが、道子のエッセイ「最後の言葉」によると、開高はふだんと変わらず大量の本を読み、ビデオを病室内に持ち込んでたくさんの映画を見た。画家モジリアニの生涯を描いたフランス映画『モンパルナスの灯』(1958年)には「ようできとる。涙がでてきよるわ。モレル役のリノ・バンチュラが最高のできやで」と絶賛を惜しまなかった。
作品の出来に感動したのは間違いないとしても、一家が置かれた状況がいっそうの共感を誘ったことは、開高が家族に語った言葉からも明らかだ。
<(モレルは)ハイエナのようにモジリアニ役のジェラール・フィリップにくらいついて、モジが死んだとたん、モジの妻のジャンヌからはした金で絵を全部買いとり、かっさらっていくんや。(略)おい、お前ら。きいとんのか。オレが死んだら、しっかりやれや。特にママは詩人やから賢そうにみえてモロイ。負けたらあかんで!! オレが生きているうちは皆ヘーコラしとるが、死んだら、あることないこと言いちらし書きちらす卑劣なバカが多いから覚悟しとけ>
開高の死後、ビデオは知人に丸ごと譲ったが、「モンパルナスの灯」だけは最後まで手元に残した。道子は、<そこから父がエールを送っているように思えてならない>と書き残している。
6月22日、41歳で死去
道子は30年前の1994年6月22日、JR茅ヶ崎駅西側にあった大踏切で列車にひかれて死亡した。自殺とみられている。41歳だった。遺書もなく動機は明確ではないが、20代の頃に頭蓋硬膜腫瘍(髄膜腫)をわずらい、テニスボール大の腫瘍を摘出する手術を受けたこともあった。父が58歳の若さで亡くなっていたこともあり、体調への不安が募っていたのかもしれない。大踏切は現在は閉鎖され、地下道に変わっている。
では、また。