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【連載】コロナ禍備忘録#1

※以前に投稿したものを誤って削除してしまったので再度の掲載となります。

「【連載】コロナ禍備忘録」は、単に私がコロナ禍に経験したことを書き留めることを目的とします。とりわけ何かを社会に訴えたいわけではありません。

 

2020年の1月~2月にかけてアジア各国を周遊した大型客船、ダイヤモンド・プリンセス号においてコロナの集団感染が発生した。2月3日に横浜港に接岸するも、感染者を含む乗客を下船されるまで一ヵ月もの期間を要す、まさに未曽有の事態であった。日本国内におけるコロナ禍の幕開けとも言えるこの事件は、その後連日トップニュースとして報じられることとなる。
 しかし私は、そんなことは露知らず、ヒマラヤの地、ネパールで国際交流プログラムの観察調査にいそしんでいた。「いや、外国に行っていてもインターネットは繋がっているでしょう」と言われそうである。その通り、私は大学の専任教員であり、外国での実地調査中も常に連絡が取れる状態を維持しなければならない。最近はどんな辺境に赴く時でも、現地の知人の力を借りてスマートフォンは常にオンラインだ。しかし、この時は私の初歩的なミスにより、世の中の情報から遮断される事態に陥ってしまった。

ネパールへ出発の前日


 ダイヤモンド・プリンセス号が横浜に接岸した2月3日、私は翌朝の出発便の前泊で空港近くのホテルにいた。国際交流プログラムの調査・指導は、私にとってスポーツに例えるならばオリンピックと同じ位重要なものであり、開始前日は、アスリートがスタジアムに向かう直前のような張り詰めた気分になる。他のことは何も視界に入らないほど集中する。さらに、このプログラムは、コロナ拡大の気配を感汁中ぎりぎりの判断での開催となったため、あらゆる事態への対応を想定しなければならなかった。
「備えあれば憂いなし」

 翌日4日、バンコクを経由してネパールの首都カトマンズに向かう飛行機の中でもひたすらプログラムのことを考え続けた。しかし、考えすぎて、一番大切なものを機内に置いてきてしまった。

機内にスマホを忘れる


 カトマンズ、トリブバン空港に着き、順調に入国審査を終えWifiが繋がる場所に辿り着いた。早速空港の外で待つ関係者や日本の家族に到着を告げようとポケットからスマホを取り出そうとした・・・。
「ん?あれ?ない。ああ、たぶんバッグの中に入れたのだな。見てみよう・・・え?あれ?ない・・・。」
 次の瞬間、私はダッシュで小さな空港内を駆け回った。ありとあらゆる手段を尽くして取り戻そうとしたが、結局出てこなかった。通信手段を失った私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。日本出国の段階で日本のsimカードを抜いておいたのが不幸中の幸いであった。

現地関係者の呆れ顔


 早速、空港で出迎えてくれたネパール人の関係者たちに困った顔で事情を話すと・・・
「ああ、もう!プロフェッサー。どうしてあなたはいつもそうなのですか!」
彼らは一様に頭を抱えた。それに対して何も言い返せない自分が腹立たしかった。そうなのである。私がモノを忘れるのはこの時が初めてではない。彼らと活動を始めて以降、毎回私は何か大事なモノを置き忘れ、その都度彼らはそれを見つけ出すために奔走する羽目になってきたのだ(そして大概発見してくれた)。しかし、今回ばかりは彼らの最強の情報網を駆使しても出てこなかった。

ネットから遮断された二週間


 以来、帰国した2月下旬まで外界の情報から遮断されることとなった。

 プログラム中、コロナのことは関係者の間で話題にはなりつつも、感染者が出たわけでもなく、「世界のどこか」の他人事であった。実際、当時のネパールは、日本含め東アジアにいるよりも感染リスクはずっと低かった。

 スマホを奪われ、「ネットサーフィン」という余暇を失った私は、2週間、目の前で異文化間交流に勤しむネパールと日本の学生の様子を、休むことなくつぶさに観察し記録し続けた。常に隣にいなければならないアシスタントやコーディネータからすると、息つく暇もなくいい迷惑だったであろう。

異変


 異変に気付いたのは帰国便のトランジットで立ち寄ったバンコクでのことだ。観光収入に強く依存するタイの玄関口、バンコクのスワンナプーム空港。観光客でごった返しているはずが、驚くほど閑散としていたのである。
「もしかしてコロナ、深刻なのかな・・・。」
若干の不安を覚えた。

 翌日帰国してネットにアクセスすると、日本のニュースは「コロナへの恐怖」「ダイヤモンド・プリンセス号」で埋め尽くされていた。

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