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【コラム】想い出の一日

どうもこんにちわ。ワイです。

私は常々、猫と暮らしている人々に
小さいうちからスマホがぶっこわれるまで写真を撮れ、
特に動画を撮りまくれ!!
」と口うるさく言っている。

猫の成長は恐ろしく早く、小さいうちは本当にあっという間なのだ。
本当に本当に、人んちのガキと猫はあっという間に大きくなる。


25歳で逝去した愛猫へちまが生まれたのは1996年。
その頃はスマホはおろかPCだって、一家に一台ようやくあったかな?
レベルのデジタルデバイス黎明期もいいとこ。

動画は20万円は超えるハンディカムで8mmビデオなんかで撮っていたので
動画を撮るという行為は、運動会や結婚式などまさに「ハレの日」に撮るものだったと記憶している。

それが2000年代になると、あれよあれよという間に携帯電話の普及と進化が目まぐるしくなり、
今でこそ解像度?なにそれおいしいの?というレベルではあるものの、
我々のような一般人でも「ケータイで動画を撮る文化」というものが芽生え始めてきた。


▲これ画期的だったよなぁ。兄貴のおさがりを使っていたな。


故に、へちまは幼少期の頃の写真が少なく、動画などは全くない。
(もしかしたら探せばあるかもしれないが…)

だからこそスマホ文化・動画文化となった今、愛しい猫の写真そして動画を
小さなころから撮りまくってほしいのである。(特に動画!)

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話は変わるが、幼少期からのへちまの写真や動画が一体いくつあるのか調べてみたところ、
22934個のファイル、総容量は62.79GBだった。

とんでもねぇ数だと思いきや、へちまが生きた25年間を考えると、たったこれだけなのかぁ
と切なくならざるを得ない。
そしてもうその数は、決して増えることはないのだ。

携帯で写真を撮ることが普及し始めても、私の感覚では写真や動画はやはり「特別な時に撮る」
ものだったので、幼少期から比較的若い頃までのへちまの写真や動画は非常に少ない。
(動画なんか誕生日にメシ食ってるところ撮るくらい。)

ガラケーのカメラがデジカメ並みの進化を遂げたころから、ようやく写真は「特別な時に撮る」ものから
「日常を切り取るもの」に変わった気がする。

▲一番好きなガラケーだった。


よって、私のスマホに保存されている写真や動画は最も古いもの(ガラケー時代の引継ぎ)で
2005年頃、へちまが9歳くらいの頃から、やっとだった。



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私は毎日ツイッターにへちまの過去写真をハッシュタグ「 #この日 」をつけて投稿しているが、
度々思うことがある。

へちまの25年を考えると写真の数も動画の数も大変少ないが、
それでも「たくさん撮っておいてよかったな」ということだ。


▲初めて撮ったへちまの写真


もういつ何が理由で撮ったかなんか忘れちまったものもいっぱいあるが、
一枚一枚の写真の中のへちまは、本当にかわいい。

多分「あ!今かわいい顔(カッコ)してる!」と思って撮ったものが
ほとんどだろう。
動機はどうであれ、それは大好きなへちまの、【一生に一度の一瞬】
切り取りたかったものであり、
大好きなへちまへの【愛情】である以外に何物でもない。

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話は変わるが、お前らは、若かりし日のマイケル・ジャクソンが歌う
「One Day in Your Life」という曲をご存じだろうか?
邦題は「想い出の一日」だ。


にわかのマイケル好きではわからないレベルの古い名曲のため、
知らないやつはまずこの曲を聴いてほしい。
そして訳されたこの歌詞を是非読んでみてほしい。



いかがだろうか?
マイケルは晩年とはいろんな意味で別人のようではあるが、
そのピュアで透き通った歌声は変わらない。
(※今月はマイケルの命日があるので、マイケルのことをよく思い出す。)

ここに歌詞や対訳を書くと、なんかお金取られそうで怖いので
省略するが、離れ離れになった大切な存在を想う素敵な曲だ。

なんたって、邦題としてつけられた「想い出の一日」というタイトルがニクい。

この曲を聴くと、きまってへちまのことを思い出す。
全ての歌詞の意味がへちまに当てはまるわけではないが、
写真を見るとへちまのことを思い出す。

写真の一枚一枚に、へちまが懸命に生きた瞬間が閉じ込められている気がする。
スマホのカメラ性能がグングン上がるにつれて、
へちまのあのふわふわの毛並みも、
抱きしめた時の暖かさも、
重さも、
息遣いまでも、鮮明に思い出す。
ついさっきまで抱っこしていた時のように。

スマホの中のへちまの動画を見ると、
まるでへちまが生きているように感じる。
自分だけがすごく遠くにいて、家族から送られてきた
元気に動き回るへちまを
見ているような感覚になる。

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人間は、忘れる生き物だ。
どんなに強く思っていても、記憶や悲しみは薄れていく。

でも、人間は便利な生き物でもある。
こうして写真や動画に大切な存在を残しておける。

まるで思い出を封じ込めるように、いつまでも変わらない
愛しいその姿を残しておけるなら、その便利さに大いに乗っかろう。
写真を、動画を見て大好きなあの子を思い出せばいい。

どんなに月日が経っても、動画や写真に残されたあの子は
かわいいままこちらを見つめている。

きっと、この便利な時代に写真や動画を一枚も残せなかったとしたら、
いくらへちまを愛していても、時が経つにつれてだんだんとその
姿かたちを忘れていくだろう。

でも、写真や動画に残っていれば、いつでもへちまを
思い出すことができる。

思い出すのは姿形だけではない、へちまのぬくもり、
私を見つめるそのまなざし、
そして心が熱くなる愛しさも、まるごとよみがえらせることができるのだ。

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あるフォロワーが、へちまの写真見てこう言ってくれた。
意訳かもしれないが、

へちまさんの目線の先には、いつもあなただけが映っていたはずだよ。


大好きなあの子の写真を見てごらん。
写真の中のあの子は、まっすぐにあなただけを見つめているはずだ。


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猫の生涯は本当に短い。
特別な日じゃなくてもいい、なんてことのない毎日の写真や動画を
たくさん残してほしい。

だからこそ、どんなにムカつくことがあっても、疲れていても、
大好きな猫を抱っこして、頭を撫でて、目を見つめて、
名前を呼んであげてほしい。

その一日一日が、一瞬一瞬が、あの子にも、あなたにも
大切な想い出になる。
猫と過ごす一日一日が、宝物のような、想い出一日だから。

きっとあなたも私も、虹の橋に向かった大好きなあの子を、
へちまのことを撫でた日のことを想い出すだろう。
昔の気持ちが蘇って、立ち止まって、過去を振り返る時が訪れる。
この先、あなたと私の人生に訪れるであろう一日。
その時、あなたはここで一緒にあの子とはぐくんだ愛を想い出すだろう。
毎日忙しくしていても、ふと、なんとなく、あの子のことを想い出す日が訪れるはずだ。
今、あの子はそばにいないけれど、
あなたがあの子のことを忘れないことを、あの子は知っているよ。


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