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【コラム】多頭飼いの人たちへの反省回。

どうもこんにちわ。ワイです。
このところ忙しすぎてTwitterに全然顔を出せてないですが元気でやっていますw

言うてワイも毎日忙しくなってしまったので今回はさっそく本題に入ります。

今回は「お前はな~に当たり前のことを偉そうに言ってんだよ💢」という内容になりそうです┏○

■実は一年前はやさぐれていましたw

うちには昨年の5月まで、愛猫のへちま(享年25歳)がいました。
私にとってへちまの死は初めての飼い猫の死だったんですが、
そりゃあまぁ小学生の頃から40近くなるまで一緒にいて人生の半分以上を一緒に過ごしていたので、
へちまがいなくなった喪失感というものはハンパないものでした。
というか一年近く経った今でもそうです。本当に心の中がすっからかんですw

んでもって約一年ほど前のワイ、本当に嫌な奴でした。

へちまに対してお悔やみやは励ましの言葉をいただくと、ありがたくある半面、多頭飼いの人たちに関しては
ぶっちゃけこう思ってました。

「ありがたいけどあなた、ほかにも猫いるじゃんかよ。。。」

ってね。

■多頭飼いの人たちへの一年前の本音。

普段仲良くしてくれる人たちからのお悔やみや励ましの言葉は本当に嬉しかった。
その言葉や心遣いにどれだけ救われたかわからない。

そしてへちまのことをまるで自分ちの猫の死のようにみんな嘆いて悲しんでくれた。
それはどんな人からの言葉も本当に本当にありがたかった。

しかし、複数の猫と暮らしている、いわゆる「多頭飼い」の人からそのような温かい言葉をいただくと、
どうしても心のどこかに「とはいえ、誰か一匹亡くなっても、別でかわいがれる他の猫ちゃんがおるやんけ。。。」と
思っていたのも正直なところだ。

あんたには他にも猫がおるやんけ。
こちとらへちま一匹やぞ。
しかも25年も一緒に過ごしてたんやぞ。
ワイの喪失感なんてわからんやろ・・・

というのが一年前の私の本音である。


■フォロワーそれぞれの境遇

話は変わるが、ある時、たくさんの数の多頭飼いをしているフォロワーが
そのうちの一匹の猫ちゃんを病気で亡くし、いたく苦しみ、落ち込んでいた。

私もその子の様子をツイッターで見守ってきたので、
そんな私ですらその子の死はショックでややふさぎ込んだ。

それまで
例え一匹亡くなっても、他の子がその子の分の心の喪失感を埋めてくれるではないか

と若干ささくれ立っていた自分の心だったが、
そのフォロワーが日に日に落ち込んでいく様を見て、
「へちま一匹ですら別れがこんなに辛い。てことは多頭飼いの人たちは
愛猫が亡くなるたびにこの苦しさと悲しみを味わっているのではないか?」と
まるであたりまえかつ、いきなり今までとは真逆のことを感じるようになった。

そうなのだ。
確かに、もしかしたらその子が亡くなったことで大変なショックを受けていても、
他の子のお世話で気が紛れるのは確かかもしれないが、
他の子がその子の喪失感を埋めてくれるわけは決してない。

ただただ、わが子のような愛猫がいなくなって悲しいし寂しいし、苦しいのではないか?

その子はその子で他の誰でもなく、その子のかわいさはその子しか持たない特別なものだ。

いくら他の猫がいると言っても、他の子は亡くなったその子とはちがうし、その子の代わりには未来永劫なれないのだ。

多頭飼いの人たちは愛猫が亡くなる度にこの辛さを経験している。
それは「たった猫一匹の悲しみすら未だ受け入れきれずにもがいている、弱くて頼りない、情けない自分」
なんかよりも、よっぽど「飼い猫への愛にあふれていて、優しくそして強い心を持っている人」なんじゃないか
ってことに恥ずかしながら気が付いた。

また、あるフォロワーの子猫ちゃんは、引き取ってから10か月もしないうちに、
あっという間に病気で亡くなってしまった。

その方も、遺されたもう一匹の猫ちゃんともに悲しみを懸命に乗り越えようとしている。

愛猫と25年間という四半世紀を共に過ごしたことで、
「猫との別れの悲しみは、一緒に過ごした年数に比例するに違いない」と思い込んでいたが、
仮に自分の元に来て一週間でその猫ちゃんが亡くなってしまおうと、悲しみの度合いは変わらないのだということに
恥ずかしながら気づいたのである。

■どんな子でも「オンリーワン」ということ。

複数の猫と暮らす多頭飼い。
もう何十年も猫と暮らし、都度、愛猫が猫生を終えるところを見守ってきた人たちであっても、
「その子」を失った悲しみは消えない。

そして亡くなったその子は何物にも代えられない、たった一匹だけの猫なのだ。
世界中に似たような柄、似たような顔の子はいても、「その子はその子」である。

そしてその子と過ごした日数が25年であろうが、3年であろうが、9か月であろうが、3週間であろうが、
その子との思い出やその子が愛しかった気持ちは消えないし、その思い出も何物にも代えがたい。

今回はまるでまぁ当たり前のことを言っているが、
だからこそ今多頭飼いで複数の猫と暮らしている人々には、今目の前にいる「その子」に何があっても
深い愛情を注いでほしいし、とにかく思い出をたくさん残すためにも動画や写真を撮りまくってほしい。

なんてことない毎日、いつもと変わらない日常を宝物だと思って思い出を切り取っていってほしい。

そして今私は多頭飼いの飼い主さんたちの、猫たちに対する深い愛情にはただただ尊敬の念しかないのである┏○


▲実は多頭飼い出身の愛猫へちま。へちまの後に来た猫、そして犬とは折り合いが悪く、数年間へちまにとっては多大なストレスだったはずだ。
だからこそ、自分が一人暮らしをする時にへちまを引き取り、たくさんの愛情を与えた!
画像は犬小屋を占拠する若き日のへちま。

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