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【発見◇池上】『花魁に墓を作ってもらった男』



池上本門寺の墓地で古い縁者不明の墓の区画を整理して分譲し、新しいお墓が次々と出来ています。そんな中に不思議な墓碑が整理されずに残されているのを発見しました。《村島芳蔵之墓 明治9年2月29日 施主 金瓶楼内 小紫》とあります。金瓶楼といえば新吉原で格式の高い大遊郭。小紫は人気花魁の名です。売れっ子の花魁に墓を作ってもらったモテ男は一体どんな方だったのでしょうか。この墓碑を見ていると、何か激動の時代のドラマが潜んでいるような想像をしてしまいます。
 
以下、池上にお住いの歴史小説作家尾方佐羽さんに聞いてみました。
「知見は全くないものの、一個人の勝手な想像を述べたいと存じます。江戸幕府の旗本に村島という苗字が見られます。芳蔵という名は帯刀を止めたときに替えた名かもしれません。そうだとすればいったん新政府に入ったものの、例えば彰義隊のさまを見て、戊辰戦争に参加したのかもしれません。そして戦死された。幕府軍として戦った人の埋葬は普通になされない場合も多かった。彰義隊については寛永寺のほか日蓮宗でもそれを任ったとされています。戊辰戦争ならなおさらそうではないでしょうか。もし、村島さんが旗本だったのなら、吉原の太夫となじみがあったというのは十分に考えられます。太夫は、名もなく埋葬される自身の職業の人々を賊軍として名もなく散っていく人々の哀れを重ねて、もちろん、個人への愛情や哀惜を込めて建立したのではないでしょうか。以上は全く真偽の外の想像とお考え下さい。私がこの墓碑で小説を書くならそう書くという感じでしょうか。そうですね、ご本人か、例えば勝海舟さんに聞いたら、もっと真実に近いことが分かると思うのですが。聞いてみたいですね」

村島芳蔵墓碑
金瓶楼(転載不可)