2001年ディベート甲子園 楢原中学校ディベート部の記録
もう20年も前になります。
生徒たちと熱い夏を過ごしました。
そのときの記録が出てきたので、乗せておきます。
口上
「ビックサイトでディベートをしたい!」
この思いを実現させるために、楢原中学校ディベート部は、昨年のディベート甲子園予選リーグ敗退から一年間いろいろなことをやってきました。これは、その試行錯誤の記録です。ディベート甲子園を目指すディベーター、指導者にとってなにかの参考になることを願い、また、自分たちの活動の証を残すために、ここに記します。長いんですけど最後までじっくりお楽しみください。
目次
「放牧」指導とは何か?
春の関東大会まで
夏の関東大会まで
全国大会出場を賭けた夏の関東大会
夏の関東大会から夏休みまで
夏休みに入った
全国大会 前日
全国大会 初日
全国大会 二日目
全国大会 三日目
ディベート甲子園 戦いの後に
1 「放牧」指導とは何か?
中学校のクラブでのディベートの指導には、三段階あると考えている。第一段階が「授乳」指導。第二段階が「牧場」指導。第三段階が「放牧」指導である。
楢原中学校に転勤してきた二年前、中学一年生を連れて全国大会に出場することができた。このときの指導は、まさに生まれたばかりの子牛を育てるようであった。決まった時間に決まったように食事の用意をし、食べ方まで教えるのである。つまり毎日資料を用意し、立論原稿を示し、反駁カードの作り方と例を提示しとこちらでほとんどのお膳立てをするつきっきりの指導である。素直な生徒たちはこれをきちんと受け入れ、自分たちのディベートを作り上げた。
二年目は、メンバーががらりと変わった。しかし、授業でディベートを扱っているので全くの素人ではない。自分たちで作り上げる部分が多くなった。資料に関しても積極的に図書館に出かけていき、その解釈を行う。また、立論の柱も自分たちで作り上げることができた。ただ、まだ、私の方から定期的に与える部分があり、これを牧場指導と呼んだ。
そして、三年目の今年である。ディベートの基礎ができている生徒は、自分たちでディベートを作り上げることができるだろうと考えた。また、ここで自分たちで作り上げることがディベート甲子園に参加する生徒として最も重要なことだと考えた。
この先は崖だから危険とわかる。ここに水飲み場があり、ここに餌があり、自分たちで取ってこれる。それは毒を含んだ餌なのか、栄養がある餌なのかの判断ができて、どの順番で食べるのが良いのかがわかる。これらの基礎がほぼできあがっていたので、放牧指導をしようと考えたのだ。
◆
ディベートは、「わかる」と「できる」との差が非常に大きな競技である。わかってもできないことが非常に多い。この差を埋めるには、十分に理解を深め、スピーチのトレーニングを繰り返し行うことしか方法はないように思う。
勢い、わかることの指導に関して、教員は説明を丁寧にしてわからせる指導をしてしまうのだが、教師がわからせる説明と子どもが自分の頭で考えて理解した指導を比べると、ディベートシーズンの後半になるに従って、後者の指導の方が論題の理解と、試合でのレスポンスがいいようである。
私の場合、すばらしい生徒たちに恵まれたことでこの指導方法ができたという側面も大きいとは思うが、ある程度の基礎を教えたら挑戦してみる指導方法ではないかとも思う。
◆
ディベートの試合が始まると、顧問にできることは大きくうなずくことだけである。サッカーやバスケットボールの試合を見ていると顧問は試合中に大きな声でアドヴァイスをしているが、ディベートはこれが一切できない。
試合中に
『発生過程1はターンアラウンドして、デメリット2を作り出せ!』
『質疑のポイントが違う!』
なんてことはできない。試合が始まってしまえば、すべてディベーターの判断に任される。ラグビーの監督が試合が始まったらスタンドから応援するのと同じである。だから試合の始まるまでの指導が大切になる。
このとき、「授乳」指導を行っていると顧問は不安である。
(ああ、あれも言っておけば良かった)
と後悔の念でいっぱいである。
しかし、「放牧」指導では
(ま、彼らに任せておけば大丈夫だろう)
と思える。また、思えるだけでなく実際、試合の安定感もいい。それは、自分たちの議論を自分たちで考えていることによる理解度の深さによるのであろう。
◆
いや、もう少し正直に書いておこう。
今年の論題、【日本は環境税を導入すべきである。是か非か】では、炭素税導入後の影響についていろいろな試算を出す必要がある。しかし、私は数学ができない。見事にできない。特に小学校五年生の比率のところで躓いてから、どうしようもなくできない。生徒が質問に来る。
『お、なんだ?質問ならどんどん受け付けるぞ』
「先生、ここのプラン導入後の失業者の増加率ですけど」
『うーむ。良く聞くように。私は質問は受け付けるといったが、答えるとは言っていないぞ』
「え?」
ということなのである。
子どもたちは、数学のできる生徒に相談したり、職員室で数学の教師に計算の方法が正しいのか質問に行くようになった。また、税金の話や大気中における二酸化炭素濃度の人体に与える影響などは社会や理科の先生に質問に行かせるようにした。(磯野先生、河内先生、吉岡先生、奥村先生ありがとうございます)
私は、自分のふがいなさを感じつつも、
(待てよ、これはこれで一つの指導方法ではないだろうか?)
と思うようになった。
(私が答えてしまっては、子どもたちの世界が広がらない。それに、私が正しいと言えば正しくなるなんて、変じゃないか。ディベートは、さまざまな意見を採り入れて自分の頭で判断することができる人間の成長を目指して指導するべきなのではないか?)
私は、こうして(今年は放牧指導でいこう)と決意したのだった。
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2 春の関東大会まで
年度末に大会を開くと年度末の事務処理に忙殺される中で指導するので、とにかく大変である。その上、平成11年度の三学期は、スキー教室、百人一首大会、公開授業、日本コミュニケーション学会での発表、修学旅行の準備と仕事が津波のように襲ってきた。一つ一つを乗り越えるのがやっとで、なかなかクラブ指導に手が回らなかった。
ところがこの状態にも関わらず、論題が発表され、期末考査が終わるとクラブの生徒諸君は自分たちだけで春の大会に向けて動き出した。
3月24日(土)に行われた春の大会は、一ヶ月前に発表された論題で、とりあえず今シーズンの論題で立論を作って戦ってみて、自分たちの今後のリサーチの方向やトレーニングの内容を確認することが大きな目的であると考えている。つまり、勝敗よりは自分たちの手応えを大切にする大会といっても良い。チームも3チーム出してみた。
ところが、実際に試合をしてみると割といい結果が残せた。春の関東大会は、準優勝の結果であった。決勝戦の相手は下館市立南中学校。私たちは肯定側で結果は2対3で負けた。
南中学校は昨年の関東大会の敗者復活戦で戦った。このときは3対2で楢原中学校が辛勝し、全国大会出場の権利を得たのだった。今回は去年の雪辱に燃えてシーズン当初からがんがん飛ばしているらしく、その結果が決勝戦にもでていた。今シーズンも強敵になりそうである。
ちなみに、この大会で印象的だったのは渋谷幕張中学校の立論。地球環境に視点を合わせるのではなく、環境税によって日本の環境を改善しようというもの。この考え方を広げて楢原中学校の肯定側立論が作られることになる。
また、この大会でのベストディベーターは、楢原中学校肯定側第一反駁の脇田愛美さん。昨年に比べて反駁の安定感が増した。重要な争点に関して、違う角度から多角的に反駁することができるようになったことが評価されたのであろう。
さらに、ビデオ撮り専門で来てくれた戸田君にも感謝したい。
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3 夏の関東大会まで
3月24日(土)の春の関東大会が終わると、ちょっと活動も一休みになる。クラブの主力メンバーは三年生になる。春休みの塾の講習会があるのだ。残念なことに4人いた一年生は二年生に進級するときに3人がやめて他のクラブに移った。クラブ活動が教育課程から法的には教育課程から切り離され、必ず何かのクラブにはいることが義務づけられた時代は終わり、さらに入ったら三年間続けるのが原則ということがなくなった今ではこれも仕方がない。しかし、逆に言えば途中から参加することもできるし、掛け部もできるのだから前向きに考えよう。
◆
4月8日(日)には全国教室ディベート連盟関東支部の花見が、多摩市関戸橋の河原で行われた。日頃大会を支えてくれる大学生スタッフや会員との親睦である。河原でバーベキュウをするのが初めてという学生も多く、和気藹々と語らった。
中高生諸君、こうして君たちのことを支えてくれる大人がいることを忘れるぢゃないぞ。こういう人たちがいてくれるお陰で諸君は十分に遊べるのだから。やがて、君らも支える側に回ることを期待している。
その後、私の家に集合し学習ゲームを楽しんだ。親睦に学習ゲームとはなかなかぢゃわい。思い出したが、なぜか宴会の後半は英語で話していたなあ。
◆
新学期のクラブの大きな活動といえば、新入部員勧誘である。今年は新二年生が四人のうち三人がやめてしまったので、存続のためにも頑張らなければならない。しかし、新入生にディベートを説明するのは難しい。結局見に来た一年生に三年生が即興ディベートをしてみせる方法で説明していた。
また、生徒総会長で第二反駁担当の常盤正太くんが、生徒総会で見事な論戦を繰り広げ各クラスからでる質問にきちんと答えていた姿も一年生に
(ディベートをやるとあんな風になれるのか)
と思わせたのかもしれない。
結果、6人の新入部員が入った。
◆
5月13日(日)に論題検討会があった。講師は女子聖学院高校の筑田先生。論点の整理をしながら説明。今回のポイントは政策実施の前提としての哲学の存在になるのではないかと提言されていた。私もそう思った。参加した中学は、八王子市立楢原中学校、下館市立南中学校、創価中学校、八潮市立八潮中学校。この4校のうち、一つは全国大会に参加できないのかと思うと、切ないものがあった。
◆
5月26日(土)、5月27日(日)に第五回全日本学生ディベート大会が、楢原中学校のすぐそばの創価大学で行われた。論題は【世界紛争を解決する手段として日本政府は武力行使を認めるべきである】という環境税論題とは全く別物であるが、私もジャッジに呼ばれていて解説できることもあり、見学させた。
普段、関東支部の練習試合や大会でジャッジをしてくれる大学生のディベートの試合を見ることは、勉強になる。試合の後にコメントをしてくれるが、それが実際の試合でどのように活かされているのかを見ることができるからだ。
一年生にとっては、本格的な試合を見てフローシートを取る良い機会になる。内容の理解は期待しない。ディベートの大会の雰囲気を知り、トレーニングのチャンスを得ることが大切なのである。
◆
この時期の練習は、立論を書いては直し試合をし、書いては直し試合をしである。中間考査、体育大会と学校行事の合間を縫って自分たちを高めなければならない。
ディベートの準備は、どこでもできるということが良い面であり困った面でもある。図書館に行って調べる場合、閉館の時間が限度になるのだが、インターネットの出現で事実上無制限に調べることができるようになったともいえる。
ときに、熱中しすぎて体力をすり減らしてしまうことがある。ここは指導者が常に見ておかなければならないと思う。
◆
今年のチーム作りで挑戦してみたいことがあった。それは反駁のできる質疑者の養成である。質疑と反駁のつながりをきちんと作り出すには、反駁のできる質疑者がポイントになると考えていた。昨年のチームでは、質疑が脇田愛美、第一反駁が大木麻紗美と固定していたが、今年は肯定側の場合、質疑が脇田愛美、第一反駁が大木麻紗美とし、否定側の場合質疑が大木麻紗美、第一反駁が脇田愛美とした。
これはつながりのある反駁を作り出すためにも良かったが、反駁者の負担を半分にするという点でも良かったし、反駁もできると充実感も発生するようで良かったようだ。
◆
6月24日(日)の練習試合でそれなりに感触を掴み、あとは関東大会までに肯定側立論を完成させればいいところまできていた。
(放牧指導もそれなりに結果がでたなあ)
とうれしく思っていた。この時期の課題は以下の通りである。
ディベート部 今後の課題
バイオマスの調査、説明。(肯定側立論強化)担当:中島、佐藤、山本、三輪
二酸化炭素抑制技術
具体例を3つ。
二酸化炭素回収技術
具体例を3つ。
どのぐらいのコストで開発できる?
どのぐらいの期間で開発できる?80から100年で間に合えばいい。
海外移転企業の現状。(否定側立論強化・二酸化炭素はプランでかえって増える)担当:常盤
移転企業の数。
移転企業の種類。
移転コスト。
移転企業の撤退状況。
環境税導入で移転している海外の例。
海外で二酸化炭素を沢山出す可能性。
消費税が3%から5%になったときに、貿易黒字はどれぐらい減ったか?
中国の自動車事情(肯定側立論強化)担当:青木
二酸化炭素抑制技術
中国が日本の技術をほしがっている例。
国境税対策(肯定側のプラン強化・否定側の海外移転潰し)担当:佐野坂
国境税によって減る税収、増える税収。その差はどのぐらい?
否定側立論を二つ作る?
国境税を設置することで発生するデメリットは?
日本の社会保障制度の現状(失業しても大丈夫のために)担当:宮崎、森住
失業保険
税金の免除 (330万円未満?)
市営住宅の使用料免除
生活保護
憲法24条?
数字の根拠(根拠の根拠)
5%二酸化炭素を削減すると、190万人の失業増加というがどういう試算ででそのようになったのかなど。
◆
この流れでやっていたのだが、期末試験後、大会の四日前に完成立論で試合をさせたところ、これがぼろぼろであった。肯定側立論を途中まで聞いたところで試合を止めてしまった。立論を改善しようとしていじくっているうちに、壊してしまったのだ。
放牧させていたら、崖から落ちて複雑骨折を起こしてしまっていたのだ。
さすがに崖の下でうずくまったままにさせておく訳にはいかない。子どもたちの作った立論のあらすじに従い、黒板に立論の流れを書き出し、現在足りない資料や論点を確認する。そして、一人一人に役割分担をしてラストスパートを掛けた。
立論ができあがったのは、大会の前日であった。
◆
肯定側立論である。
肯定側立論です。定義です。環境税とは、環境に有害な行為によって利益を得ている人から税金を取り、被害に遭っているところの有害行為を減らすための税とします。
まず、現在の地球が危機的な状況にあることに説明です。
証拠資料です。出典は、「このままでは人類は80年で窒息死も」『週間東洋経済』2000年6月3日号から。
引用開始ーーーー
大気中のCO2濃度がこのまま上昇してゆけば、人間を含む動物が呼吸困難に陥り、窒息して絶滅するおそれすらあります。
引用終了ーーーー
この窒息死は2080年にCO2濃度の上昇によってガス交換ができなくなり起こります。私たちに残された時間はあと80年しかないのです。
私たちは後どれくらいCO2を排出してしまうと窒息してしまうのでしょうか?現在地球上に存在しているCO2は、7500億トンで濃度は0.036%。80年後にはCO2濃度は0.3%になります。私たちの資産では、あと5兆5000億トン排出されると窒息します。
現在、世界で毎年排出されているCO2は、約64億トンです。その中でもCO2排出抑制に関する発展途上国である中国、南アフリカなどで45・5%を占めています。しかし、これらの国ではCO2削減が行われていません。
しかし、いまCO2削減の有効な対策をとらなければなりません。なぜならば、温暖化問題は後からでは解決できない、不可逆な問題なのです。
この問題を改善するためのプランは全部で3点。
1点目、実施は2003年から。
2点目、化石燃料1トンあたり、3万円の税をかけます。税収は年間9兆円を見込みます。
3点目、9兆円を財源として日本国内の機材、人材を活用して発展途上国のCO2削減事業に取り組みます。
このプランから発生するメリットは【窒息死を遅らせる】です。
発生過程のラベルは「発展途上国のCO2削減」です。
日本には世界トップクラスの環境対策技術があります。証拠資料です。出典は、『環境税とは何か』一橋大学学長・石弘光
引用開始ーーーー
世界最高の技術水準を達成することにより、過去20年間にエネルギー利用効率を倍近く改善し、CO2排出量を横ばいに抑えてきた。
引用終了ーーーー
しかし、現在これ以上の技術開発は難しいのです。
証拠資料です、出典は通産省「地球環境とCOP3に関する疑問シリーズ」1997年から。
引用開始ーーーー
現在の措置以上の省エネルギーを行うことを企業に強要しても、技術的、経済的に可能な省エネの余地はほとんどない
引用終了ーーーー
現状でも、5600億円の費用をかけています。しかし、これ以上の開発は今の日本では無理だといっているわけです。
ところが、その一方で、世界のCO2排出量の半分を出している発展途上国ではCO2削減の技術をほとんど持っていません。
証拠資料です。出典は『人類は80年で滅亡する』岩手大学学長・西沢潤一 2000年2月です。
引用開始ーーーー
中国の二酸化炭素排出規制は日本に比べて遙かに遅れている。排出規制でたいした技術進歩もなく中国の工業化が進んでいくと、日本の4倍増の排出量では収まらない大変な事態になる。
引用終了ーーーー
ここに日本の技術、人材、資金を使って発展途上国のCO2を削減し、地球規模の温暖化を遅らせるのです。
発展途上国は、日本の支援を望んでいます。
証拠資料です。出典は「朝日新聞」2001年6月22日
引用開始ーーーー
「インドをはじめ発展途上国は、米国が京都議定書に反対していることを憂慮している。日本など先進諸国から技術支援が得られるようなら参加の準備はできている」と語った。
引用終了ーーーー
発展途上国は日本の技術支援を待っています。
重要性です。
地球温暖化は、私たちがこれからも生きていけるのか、絶滅してしまうのかのとても重要な問題です。このプランでは、温暖化への時間を遅らせるだけで根本的な解決にはならないと思われるかもしれません。しかし、何もしないで窒息死を待つのではなく、日本の技術で温暖化を遅らせ、科学技術の進歩を待って滅亡回避の可能性を高めるべきなのです。なぜならば、日本にはその技術と資金があり、いままでCO2を排出して地球を汚して発展してきた責任があります。自分たちだけ発展して、発展途上国にはCO2を出すから発展するなとはいえません。
私たちは、根本的な解決ができないのならば、温暖化を少しでも遅らせて次の世代に生き残れるチャンスを少しでも多く作るべきです。そのために環境税は導入すべきです。
否定側立論である。
否定側立論です。定義は肯定側に従い、立場は現状維持。
それではプランから発生するデメリットを説明します。
デメリットは【失業者の増加】です。
発生過程を3点に渡って説明します。
一点目は、日本企業の国際競争力の低下です。ポイントは二つです。
ポイント1。輸入品に負けるです。
プラン導入で、CO2排出するものにはすべて炭素税がかかります。私たちの身の回りには、CO2を出しているものがたくさんありますが、たとえば、自動車では26520円かかります。
証拠資料です。出典は『地球の経済学』中央大学教授・宇沢弘文より
引用開始ーーーー
自動車の生産1台あたり平均して、844kgの二酸化炭素を大気中に排出している
引用終了ーーーー
プランでは1トンあたり3万円ですから、自動車1台あたり26520円かかります。運輸交通省『陸運統計要覧』によると今全国にはタクシーが25万7780台あります。タクシーは平均して三年で新車になりますから、今後三年間で約68億円の負担になります。これでは日本の車ではなく、韓国などの安い車に太刀打ちできなくなります。自動車以外でも、ユニクロ、100円ショップなど海外で安く製品を作り、日本で売っている企業が増えたために、そごうなどのデパートやスーパーなどはそのあおりを受けて売れなくなるのです。
ポイント2。日本の輸出力低下です。
ポイント1の通り、日本の商品は高くなります。現在、日本は年間に約440万台の自動車を輸出しています。
証拠資料です。出典は読売新聞2000年12月28日
引用開始ーーーー
99年実績440万台の輸出
引用終了ーーーー
ここに26520円の税金がかかれば1166億円もの値上げになります。
このようにして、日本企業の競争力の低下があります。
証拠資料です。出典は『日本の論点99』より。
引用開始ーーーー
エネルギー多消費型製造業のコストが上がり、国際競争力が損なわれるおそれは確かにある。
引用終了ーーーー
日本は国際競争で負けまいとしてリストラを行ったり、負けてしまって倒産したりしてデメリットが発生します。
発生過程2点目。企業の海外移転です。
現在の日本は、税による日本離れは進んでいます。
証拠資料です。出典は日本経済新聞97年7月10日より、
引用開始ーーーー
日本の法人税は国税と地方税を合わせて調整した実効税率が49.98%で米国の41.05%や英国の33%と比べてとびきり高い。(中略)安い税を求めた企業の日本離れは進んでいる。
引用終了ーーーー
では、どのぐらい移転しているのでしょうか?4割というデータがあります。
証拠資料です。出典は運輸交通省のHP「製造業の海外移転と物流への影響」から
引用開始ーーーー
平成6年から三カ年において取引先などが海外に移転した企業は、(中略)4割を越す
引用終了ーーーー
税金だけでもこれだけ移転していますが、日本では税だけではなく、ppp、cop3などの環境問題への対応なども問題です。
しかし、日本企業が海外に移転すればこれらから解放されます。
証拠資料です。出典は、『環境問題の社史』都立大学教授飯島伸子著、2000年7月です。
引用開始ーーーー
アジアには、日本などの先進開発諸国による環境侵害に対して、抗議運動をするも命がけであるような国が、今も存続しているのである
引用終了ーーーー
人件費は安く、環境問題にも甘い海外に移転してしまいます。さらにそこで二酸化炭素をたくさん出すわけです。
ではどのぐらいの企業が移転するのでしょうか?
現在、残っている6割の企業も、1トンあたり3万円の高税率がかかるようになれば、耐えきれなくなり、かなりの数の企業が海外に移転することが考えられます。こうして日本国内に仕事がなくなり、デメリットが発生します。
発生過程3点目は、国内の消費者の購買意欲の低下です。
消費税が3%から5%にあがったとき、97年度の日本総合研究所の調査によると、日本の世帯の平均負担額は年間49600円でした。この値上げで売れ行きは大幅ダウンでした。
証拠資料です。出典は、三重県内景況調査結果HPより
引用開始ーーーー
平成9年4月からの消費税上昇の影響については(中略)「売り上げ減少55社」「利益の減少43社」で合計60%の企業に影響があった。
引用終了ーーーー
プランを導入すると一世帯あたり年間30万円の増税になります。消費税の6倍です。これでは、ものが売れません。こうしてデメリットが発生します。
では、実際にどのぐらいの失業者が増加するのでしょうか?CO2の5%削減で190万人の失業増加します。
証拠資料です。出典は、NHKのHP「地球法廷」より
引用開始ーーーー
通産省の試算では、90年比5%の二酸化炭素の排出削減をすると、機械・鉄鋼・化学などで生産活動の縮小がさけられず、(中略)2010年には190万人の雇用が減るという影響予測もあります。
引用終了ーーーー
京都議定書では、日本は世界に「CO2を6%減らす」という約束をしています。つまり新たに190万人以上の失業者がでるのです。
深刻性を述べます。
190万人の失業増加が発生するわけです。失業しなくとも一世帯あたり30万円の負担増のほかになります。失業者が増えれば、所得税、法人税、地方税などの税収が減り、逆に失業保険などの支出がふえ、治安が乱れることから対策費用などもかかります。
現在日本の財政赤字は715兆円あり、一秒ごとに200万円の利子が増えています。これではますます日本の財政赤字が深刻になるだけです。労働生産性を高め、景気を向上させるために雇用を増やす政策につながらない環境税の導入はすべきではありません。
◆
こうして関東大会を迎えるのであった。
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4 全国大会出場を賭けた夏の関東大会
顧問の素直な気持ちは、
(勝たせてあげたい)
これだけであった。
この思いはどこの中学校のどんな顧問でも同じであろう。そしてどの顧問もうちが一番頑張っていると思っているはずだ。私もそうであった。
特に、今年は自分で動くと言うよりは、子どもたちの動きを見ていた時間が圧倒的に多いため彼らの努力がよくわかる。わかるだけに一層その思いが強い。
今年の関東大会は、中学校の出場校が12校。全国大会出場枠は3校(のちに、4校となる)。試合形式は、はじめに4校ずつ3つのブロックに分かれてリーグ戦を戦い、その中のトップは決勝トーナメントに出場。また、各ブロックのトップ以外の学校で一番の勝率を得た学校も決勝トーナメントに出場。4校で決勝トーナメント戦ということである。
◆
ここでは印象に残った試合を4つ書いておきたい。
初戦は、横浜市立奈良中学校戦である。顧問は北村先生。第二回ディベート甲子園の優勝監督である。立論の作り込みが丁寧であることで評判が高い。社会科の先生らしく資料が豊富でしかも、的確な理由付けが施されている。
実はこの試合で、猿井鮎子はとんでもない失敗をしていたのだ。肯定側立論の作り込みに時間がかかり、試合当日の朝に見せて貰ったときには10分間もかかってしまう内容になっていた。電車の中で削ってなんとか6分で読み終わる立論をこしらえた。が、しかし、鮎子は古い立論を読み始めてしまったのだ。
「発生過程を述べます。発生過程は二点です。一点目・・・・」
これを聞いた瞬間、さすがに笑顔でうなずくことはできなかった。
(げげげ。鮎子、発生過程は一点に絞ったろ。それ、古い立論だろ!!)
どうするのかと心配しながら聞いていたら、発生過程の二点目は不自然にならないように削除して時間内に読み終えていた。さすがは立論スペシャリストの鮎子であった。結果は2対1の辛勝であった。関東大会では、この一試合が一番辛かった。
二試合目は、東海大学付属第一中学校。顧問は若林先生。初出場とはいえ、気合いが入っている。大会前に行われた関東支部の交流試合に静岡から新幹線を使って見学に来ていた。遠くから見学に来て力を付けていることは十分に考えられた。また、その通りであった。来年以降、かなり実力を付けてくると考えられる。3対0で勝利。
予選リーグを勝ち上がり決勝トーナメントで当たったのが創価中学校である。顧問は菊池先生。この試合に勝てば全国大会出場である。練習試合では全勝していたので、試合が始まる前から落ち着いていられた。ただし、創価中学校は一気に立論を変えてくることや、他の学校の立論を使ってくるなどトリッキーな面もある。一つだけアドヴァイスをした。
『立論が変わってきたときのポイントは?』
「落ち着いて立論を聞くこと」
『そうだね。そして、そのポイントは?』
「そのデメリットが本当にプランから発生しているのか、深刻なのかを聞くこと」
『そうだ。大丈夫だ』
結果は3対0で勝った。終わってみればあっけない全国大会出場決定である。努力が実るときと言うのはこういうものなのだろう。
全国大会出場決定が決まった後の試合は、ディベーターも顧問もジャッジものびのびすることができる。決勝戦の相手は因縁の下館市立南中学校。顧問は中沢先生。昨年は、三位決定戦で戦い僅差で楢原中学校が全国大会出場を決めた相手である。楢原中学校は否定側であった。南中学校は発生過程を細かく述べる立論に変えてきていた。
しかし、楢原中学校のメンバーはきちんと対応できていた。私も知らない資料を使い、的確に反駁していた。結果、2対3で勝てた。考えてみたら、公式戦初優勝だなあ。おめでとう。うれしいねえ。
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5 夏の関東大会から夏休みまで
関東大会で優勝してからしばらくは、大会を思い出しては
(むふふふふ)
という感じであった。
やっと優勝できた。地区大会を優勝すると全国大会でのブロック分けの時に有利になるのでビックサイトに出場できる可能性があがるのだ。なんといっても一番は気持ちがいい。しばらくはこの思いに浸っていた。しかし、浮かれる顧問とは違い、生徒は別のことを考えていた。「名古屋に行きたい」という常盤部長の声である。
八潮大会の前日、7月14日(土)に東海支部の地区大会がある。全国教室ディベート連盟のHPにあるラウンジで東海地区の生徒と交流していた部長は、どうしても東海地区を見ておきたいという。そういえば、東海地区の愛知教育大学付属岡崎中学校の生徒も関東大会を見に来ていた。
私は翌日の八潮大会のことを考えると体力がもたないのではないかと思い、ためらった。また、毎月集めている月1000円の部費では一人分の旅費しか出ない。さんざん悩んだが、2000円の臨時部費を徴収することをお願いして、名古屋に日帰りで行くことにした。今年はビックサイトに出場するチャンスである。チャンスは活かさなければならない。
◆
常盤部長と朝、八王子駅で待ち合わせて横浜線に乗り込んだ。新横浜から新幹線に乗り込むためだ。ところが、生徒の体調を気にしていた私のお腹がおかしくなっていた。横浜線の中で無口になる私。しかし、限界はやってきた。
『常盤、私は次の町田駅でトイレに行く。一人で名古屋に行けるな。後から追う』
試合開始の時間が決まっているため、彼を先に行かせるしかない。
「はい」
トイレからホームに戻ると、ラッキーなことにすぐに電車が来た。時間を見ると新幹線が発車する二分前に新横浜駅に到着する。新横浜で駆けてホームに到着したらちょうど入線するところであった。とにかく乗り込んで自由席を目指す。すると、常盤部長は席を確保し、英語の問題集を解いていた。大物である。
◆
名古屋は暑かった。
金城学院大学までは迷わずに行けたのだが、大学に着いてから迷子になった。広いのである。副支部長の笠井さんに電話をすると、理事長の二杉先生が迎えに来てくださるという。ありがたい。試合開始の3分前ぐらいに会場に飛び込む。
予選の試合を二試合ずつ見て、東京に帰ることになる。
この名古屋遠征でわかったことは、今年の東海はそれほど強くないということであった。正直な感触としては春の関東大会のレベルである。相手が見えない不安を取りのぞくことはできたのが最大の収穫であろう。しかし、東海地区は全国大会に出場するまでに合宿を繰り返し、実力を上げていく。侮ることはできないという思いもあった。
「放牧」指導を目指しているのだが、「遊牧」指導までするとは思わなかった。
◆
顧問の、関東大会優勝の浮かれた気持ちが変わったのは、八潮大会である。
八潮大会とは、埼玉県八潮市が生涯学習宣言都市を記念して行っている大会である。関東大会で全国大会出場を決めた中学校が、基本的に招待される。そして、大人のチームと戦うことができる。毎年八潮市の市役所チームと青年会議所のチームが出場している。大人のチームと戦い、実社会の中から生まれてくる議論と戦うことができるのは、関東支部の中学校にとっては非常にありがたいことである。
ここでは、八潮中学、八潮市役所、創価中学校、下館市立南中学校と戦い、優勝することができた。しかし、八潮中学校顧問の川畑先生によると、
「八潮大会で優勝すると、全国大会でいい結果が残せないんですよ。そういうジンクスがあるんです」
とのこと。
確かに、去年も優勝したが、決勝トーナメントに出場することができなかった。しかし、今年のチームはそんなジンクスなど全く不安に思うことがないチームに育っている実感があった。
問題は、変わってしまった気持ちである。その気持ちとは「追いかけられている」という思いである。関東大会から一週間後に八潮大会が開催されたわけだが、その一週間で他の中学校は楢原中学校対策をきちんとしてきているのである。これは、試合ごとに楢原中学校も強くなっていかないと追いつかれてしまうと言うことである。追う立場と追われる立場、辛いのは追われる立場である。ここを最大の収穫として、一学期の活動を終える。
さあ、夏休み。仕上げの15日間である。
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6 夏休みに入った
夏休みは基本的に、毎日練習である。練習といってもスポーツ系の練習とは違う。いろいろな役割分担に従って、それぞれを行う。曰く、
立論づくり
質疑カード作り
反駁カード作り
証拠資料探し
証拠資料整理
証拠資料読み込み
これらは、バラバラに行う。図書館に行くもの、市役所に行くもの、学校でインターネットにかじりつくものなどに分かれる。楢原中学校のパソコン室は、この夏改良工事が入るために、夏休み前に旧型のマシーンを撤去してしまい、教室二個分の絨毯教室ができあがっていた。そこに机を持ち込んで準備をしたり、絨毯の上に資料を並べて検討したりする姿は、獺祭(だっさい)のようであった。
最初、パソコン室の改良工事が夏休みに入ることがわかったとき、
(うひゃあ。これではインターネットが使えなくなる)
と思ったのだが、鈴木教頭先生が一台だけインターネットが使えるマシーンをパソコン準備室に設置してくれた。
「だって使えないと困るでしょ?」
その通りです。実にありがたかったです。
この間、顧問は何をしているのかというと「ディベート甲子園のご案内」「教育委員会への届け出」「会計事務」「ホテルの予約」「クラブ保護者会の準備」などを行っている。コーチをしつつ、これらの事務仕事をするのは非常に忙しいのだが、今回はコーチに関しては子どもたちが自主的に行うので、随分と負担が減った。
しかし、この夏の猛暑。私は食事の後はクーラーの利いているパソコン室の絨毯に寝転がり昼寝を30分取るようにした。体調管理も重要な作戦である。
◆
関東支部では、関東大会前、全国大会前に交流試合を行う。大変ありがたいことである。自分の立論は、自分たちでは最高のできばえと思っている。または、思いこんでいる。しかし、これは相手に反駁されることで揺らぐ。または、ジャッジにコメントをもらうことで崩壊する。これがありがたいのである。
ちなみに、7月22日(日)の交流試合で貰ったコメント、コメントから思いついた顧問の考えは以下のようなものである。
◆
プランの導入前と、導入後でどのような変化があるのかを常に意識して行う。プラン導入後のユニークネスをしっかり述べよう。
ディベートは、必要性があるからやるのではなく、いい結果がでるからやる。(悪い結果がでるからやらない)を証明したい。
「○○さんが~と言っているから、××である」ではなくて、「○○さんが~と言っているこの根拠は、△△である。だから、××である」
スピードをあげてスピーチをするときには、次の三点が必要である。
原稿の構成をしっかり。
読み始めをゆっくりと読む。
伝える努力をする。
否定側の第二反駁の最後は、「二酸化炭素が増加し、失業者増加させる炭素税は導入するべきではない」とまとめよう。
現在の二酸化炭素濃度は、0.036%で、平均0.3%になると窒息死が始まる。3.0%になると全員死亡である。3.0%になると死ぬのではなく、0.3%から死に始めるのである。0.3%は、平均値であるから局地的には0.3%を越えることもあるのだ。0.3%は平均であり、局地的には3.0%を越えることもあるのだ。実際、196×年にロンドンでは大気汚染で局地的に死亡者が発生したことがある。また、地球温暖化は直線で進むのではなく、二次曲線のように急激に増加するのである。だから、80年後ではなく800年後なんてことはないのである。
なぜ、税金を使って他の国の二酸化炭素を削減するのか、その哲学をしっかりと述べよう。
どの段階で税金を掛けるのか。
国境税が論題内にカウントされる場合、国境税を導入することで発生するデメリットはなにかを考える。また、国境税が導入されたとしても海外移転は発生することを証明できるはずである。
なぜ、税金を使って環境を良くするのかの説明がほしい。
9兆円の税収があるが、国境税の関係で実際は貿易黒字のため、実際はもう少し少なくなるのではないか。
状況が悪いときは、第二反駁でつぶされずに、残ったMDでどのように勝ちに行くのかを考える。
哲学の構造を考える。
◆
この時期に肯定側立論を作る段階で頭を悩ましていたものが三つある。
肯定側立論は、論題の中にある?外にある?
国境税はスパイクプランか?
哲学・重要性の述べ方はこれでいいのか?
これらの問題をクリアに解決することが、肯定側立論を強化する道につながるとはわかっていたのだが、なかなか解決できないでいた。国境税の議論は、常盤が3月の段階で全国教室ディベート連盟のHPのラウンジに書き込んでいたが、そのスレッドは延々と続きまだ決着が出ないでいた。
顧問の方で、
『それじゃあ、このポイントは××のように解釈して立論を作りなさい』
と言えばそれなりに解決するが、それでは生徒の理解を深める解決にはならない。私がアドバイスしたことは
『ネット上で知り合った方にメールで相談してみてはどうだろうか?』
というものであった。
一見遠回しであるし、学校外の人たちに相談するのは迷惑を掛けることになるのではないかとも思った。が、自分で得たものでなければ力は付きにくいし、自分を頼って中学生が相談のメールを送ってきたらうれしいよなあと思って、勧めてしまいました。九州の吉村隆文さん、関東支部のみなさん、ありがとうございました。
◆
交流試合や名古屋遠征でわかったことは、証拠資料のなかの数字の根拠をきちんと理解することが大事であると言うことだ。高井美佳リサーチ主任の指示の下、一年生部員も総動員でいくつかの資料の根拠を探した。しかし、見つからない。こうなったら電話である。証拠資料の根拠を求めて、NHKと本の著者に質問の電話を掛けた。
特に、『ディベートで学ぶ国際関係』(玉川大学出版)で環境税ディベートを行っている茂木さんには常盤がお世話になった。本の著者一覧に勤務先の大学名が書かれていたので、
『大学に電話して事情を話せば、メールアドレスか電話番号かなにか接触の手がかりは教えてくれるんじゃないかな?』
とアドヴァイスした。
常盤は早速学校から電話をしてみた。すると、なんと茂木さんが大学にいらっしゃるから研究室に電話をつないでくれるというのである。電話で用件を話すと茂木さんは心地よくメールアドレスを教えてくださった。そしてその後、指導を受けることになる。ありがたいことである。
◆
一年生には、証拠資料の一覧を作るように指示した。エクセルに本のタイトル、出版社、使っていた学校などを入力させた。その過程で思いついたのが、本の著者に参観勧誘メールを送るというものである。
一年生に著者のホームページやメールアドレスを発見させて、そこに以下の文章を送ることにした。
引用開始ーーーー
(注:ただいま、データを調査中です。しばらくお待ちください)
引用終了ーーーー
これも私の勝手な思いこみであるが、こういうメールが来ると著者はうれしいのではないだろうかというものである。自分の研究分野に中学生が関心を持ち、自分の主張を根拠にして議論を重ねているなんて、私だったら非常にうれしい。
返事はほとんどなかったが、この方法は来年も続けたいと思う。
◆
他にも細々としたことがあった。
楢原中学校の制服では女子はリボンで男子がネクタイになっている。が、女子がディベート部の制服としてネクタイをしたいというのである。そのぐらいはいいだろうと思ったが、ネクタイはきちんとしたものを選ばなければならない。私が出した条件は3つ。
レジメンタルスタイルであること。
ネクタイに使われている色は3色以内であること。
費用は3000円以下であること。
八王子は織物の町であり、なんとか捜せるかとも思っていたが大会には間に合わなかった。結局学校のネクタイで出場することになる。ネクタイ一つでも結構大変なのである。
他にも夏の講習会とクラブが重なった三年生、大変なのでクラブを辞めたいと言い出した一年生などいろいろな問題が出てきた。どこの学校でもいろいろとあると思うが、まあ、ここを一つ一つ見ていくことがクラブ運営なのだと思う。
また、全国大会には多額の費用がかかるため、その説明も兼ねてクラブ保護者会を開く。一年生の保護者の中には心配をする方もいらっしゃったが、去年、一昨年と知っている保護者から
「池田先生に任せておけば大丈夫よ」
という声が出たのがうれしかった。
◆
最後の関東支部の交流試合は7月28日であった。参加は、楢原中学校、創価中学校、繰り上げで出場が決まった江戸川学園取手中学校の三校。どの学校も最終立論を完成させての参加だろう。せっかくなので総当たりで肯定側と否定側を行うことにした。生徒は4試合、顧問は6試合である。瀬能さん、長良君に一試合ずつジャッジをして貰い、あとは西沢さんに4試合見て貰う。
実を言うと、楢原中学校は春の関東大会で準優勝してから連勝し続けており、今回の練習試合でも最終戦の一歩手前まで勝ち続け、今シーズン18連勝していた。しかし、これはなんか変で、最終戦で負けたことがかえって落ち着きを得られた。
それにしても子どもたちの試合ぶりはたいしたものである。試合中に、
(うーん、この立論、反駁はつらいなあ)
と思っているとそれに対してきちんと反駁の用意がしてある。特筆したいのは、自分たちの作った立論や反駁にも対応して用意してあることだ。自分の立論を作りながら、同じ立論が出てきたことを想定して反駁を作っていたのだ。たいしたものだ。
私が子どもたちに常に言っていたのは、
「練習試合では手の内を出す。練習試合で使っていない議論は、本番の試合では使わない」
というものである。
議論を隠しておいて本番で使うというのは、正々堂々としていないからというのではない。使い慣れていない議論を使うと、口も頭も混乱してしまいきちんと戦えないことが多いからである。もちろん、その場で考えてやらなければならないものもあるが、それは準備が不足しているからそうなるのだという考えで臨んでいた。それが試合の中で生きているのを見て、子どもたちの成長をとてもうれしく思った。
◆
実は、私は全国教室ディベート連盟の常任理事もしている。理事会にも参加している。6月17日の理事会で近畿支部の梅本先生にお願いされたことがあった。
「池田さん、8月1日開いている?」
関東大会前ではあるが、全国大会出場を大前提にしていた私にとって、これは大会の4日前を意味する。それは梅本先生も十分ご存じのはず。それでも
「この日に、講座をやってくれない?」
と言われれば、断ることはできない。そういう事情もわかった上で呼んでくださるんだからやりましょう、引き受けましょう。
7月31日(火)の午前中まで指導して、午後の新幹線に乗る。午後と翌日のクラブ指導を中俣先生にお願いしたところ快く引き受けてくださった。ありがたいことでした。というわけで、8月1日(水)は京都橘女子大学で英語科の先生を相手に、言語技術に関する講座を行ってきました。
この日は、私がいないのでオフにしても良かったのですが、国境税問題で丁寧に指導してくれた早稲田大学の山中君が臨時コーチに来てくれるというので、お願いしてしまいました。証拠資料や反駁のカードを丁寧に見てくれて、戦いの安定度を上げてくれました。ありがとうございました。
◆
京都から帰ってきたら全国大会まであと三日である。
『京都から帰ってきたら立論ができあがっているとうれしいなあ』
の言葉を残して出かけていったのだが、肯定側立論はほぼできあがっていた。
楢原中学校の立論は、立論の猿井鮎子と質疑・一反の大木麻紗美が書いてきた。しかし、最終立論は、第二反駁の常盤正太が書く。この書くは核でもある。立論は、自分たちの持っている最強の議論で構成する。そして、これを元手にして相手の議論に反駁を行い、自分たちの議論の優位性を第二反駁で主張するのである。であるから、立論の内容、第一反駁の内容を十分に第二反駁者は理解している必要がある。だから、第二反駁は核であり書くのである。
あとは、立論者に合わせて言い回しを整えたりしながら、文字数を削る作業があるが、例年に比べると二日間の余裕がある。常盤は、立論を離れ第二反駁の最終原稿を作り始めることができる。
◆
この間、顧問も日本酒で頑張っていた。なんのこっちゃと思うかもしれないが、飲む銘柄にこだわっていたのである。京都に行く前は『獺祭(だっさい)』で、帰ってきてからは『義侠(ぎきょう)』である。その心がわかった人はかなりの文学通か、かなりの酔っぱらいである。
『獺祭』とは、かわうその祭という意味である。獺は、餌の小魚を大量に捕まえたときその収穫を祝って河原に魚を並べるという言い伝えがある。これが獺祭である。これを自分に準えたのが正岡子規である。彼は後年脊椎カリエスを患い、病床から出ることができなかった。その状態で江戸時代の俳諧を整理し、俳句という文学ジャンルを確立したのである。寝床に資料を並べる姿が、獺祭のようで、彼は自分のことを獺祭と称した。
おわかりであろう、パソコン室のフロアーに資料を並べ準備をしている姿が「獺祭」そのものであり、私は応援のつもりで『獺祭 本生純米吟醸遠心分離50』を飲んでいた。
では、『義侠』はなんでありましょうか。おわかりの方は、pxw05264@nifty.comまでメールをください。正解の方には、「豪華賞品」を贈らせていただきますf(^^;。
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7 全国大会 前日
あと一週間あればと思うのは、どこの学校も同じであろう。あんなに時間があったはずなのに、あっという間に前日になってしまったわけである。時間は限られている。そのことに気が付き、その限られた時間の中で精一杯自分ができることをやりきったとき、充実した人生を得られるのだと思う。
後一週間あれば、議論はもっと強くできるが、逆にこのペースで一週間引っ張れば生徒は倒れてしまうだろう。前日は、自分たちの立論の確認も兼ねてその立論を使って試合の流れを確認した。ところが、試合後選手は自信喪失の顔をしている。その理由は
(こんな弱い立論で戦えるのであろうか?)
ということである。
自分たちの立論に対してボコボコに反駁してしまったのである。
私は、
(をを、反駁の力が付いたなあ。立論の理解が増したなあ)
と思って前向きに評価していたのだが、子どもたちはそうは思わなかったようだ。
しかし、自分たちの立論は自分たちが一番良く知っているわけで、どこが弱いかも知っている。完璧な立論、絶対的な立論というものはなく、あくまでも相手の立論との比較の中でその優位性が決まる。そうだとすれば、どこが強くてどこが弱いのかを知っておくことは戦いにとても大切なことである。
◆
この日の日直は、山本先生。女子バスケットで全国大会出場の経験もある指導者だ。私もいろいろとチーム作りに関してアドヴァイスを貰った。休憩時間に職員室に戻ると
「今日はどのぐらいに終わる?」
『ん~~、明るいうちには終わりたいなあ』
「そう。じゃあ日直が終わっちゃうなあ。修ちゃん、これでガキどもにジュースでも飲ませてやって」
と全国大会出場のお祝いをいただいた。
疲れが溜まった体と心には、こういう心配りがとってもうれしい。
(むを~~~~、ビックサイトに行くぞお)
と改めて思った。
◆
ただ、立論に関しては私も気になったことがある。それは、肯定側立論のラベルである。当初、メリットのラベルは【窒息死までの時間を延ばせる】であった。これでは、最終的に窒息死してしまうことには変わらないのではないかというアドヴァイスを受けて、【窒息死を防げる】のラベルで立論を作ろうとしていた。
良いところまで行っていたのだが、世界の二酸化炭素の排出量と日本の技術で削減(抑制と回収)できる二酸化炭素量の差が縮まらない。日本の技術で押し進めれば世界は、二酸化炭素抑制と回収の技術を日本に奪われてしまうことを嫌い、このマーケットに参入してくることは予測できるのだが、6分では立証しにくい。
どうしようかと考えていたときに、とんでもないことを思いついた。たしか最近の新聞に「世界の総人口は2070年を境に減少に転じる」という記事があったことを思い出したのである。これは何を示しているのかというと、人類の減少は即ち二酸化炭素排出の自然減少を示しているのではないかということである。
楢原中学校の肯定側立論では、このままでは2080年で人類は窒息死するというものである。だから、二酸化炭素排出を抑制してこれから数十年の急激な二酸化炭素排出増加を防いでいれば、なんとかなるというストーリーである。
私たちはこのアイディアに浮かれた。証拠資料もインターネットで検索してみるとロイター電で8月1日付けで見つけることができた。
引用開始ーーーー
世界の全人口は2070年前後に約90億人に達し、その後は減少に転じる見通し。オーストリアのシンクタンクの専門家、ウォルフガング・ルッツ氏が、ロイター通信の電話取材で明らかにした。今世紀末にはほぼ84億人まで減少すると予測される。(中略)同氏の予測は、科学専門誌ネイチャーに掲載されている。
引用終了ーーーー
この証拠資料に心が揺らいだ。
しばらくこれで立論を作り替えることに挑戦した。しかし、結局はあきらめた。理由は二つ。
今まで戦ったことのない立論で戦うことは、リスクが大きい。
人口の減少と二酸化炭素排出量減少のリンク、減少した二酸化炭素と窒息死回避のリンクの証明が甘い。
ということである。この判断が大会では良い結果を出したようだ。
◆
この時点で時間は夕方の6時を過ぎていた。
いかん。生徒を帰さなければならない。あわてて明日の集合時間と場所を確認して帰宅させる。持ち物の分担などは大会の前々日に二年生の森住さんを中心に一年生と用意しておいたのが良かった。最終確認するだけで大丈夫であった。こういうところがチームプレーである。
生徒は帰したが、常盤部長だけは立論づくりがあるので帰れない。
肯定側立論のラベルを【窒息死を防げる】から【人類存続の可能性を伸ばす】に変えるため、立論内の証拠資料の整合性を取らなければならない。リサーチ主任の高井さんが見つけてきた新しく強い証拠資料を使って改善する。入力スピードは顧問の方が速いため、ここではibookを取り出して打ち込む。打ち込む。打ち込む。
立論が完成したのは午後8時30分。いつも残っている小海先生も、警備の橋本さんもいない。あわてて印刷室に入り、立論を組み込んだフローシートを作る。完成した立論入りフローシートを見て部長がつぶやいた。
「この立論の中にすべてが入っているんですねえ。すごく不思議な気持ちです」
そうだ。まさに、この立論にすべてが入っている。文字数にすると、肯定側立論2481文字、否定側立論2511字。時間で6分。できあがってみればあまりの少なさに頼りなくも思える。しかし、私たちのチームのすべてがここに凝縮されているのだ。自信を持とう。
常盤はさらに言った。
「先生、ここまでやったんだから負けても悔いはないですよね」
私は答えた。
『あほぬかせ。ここまでやったんだ。他に誰が勝つというのだ』
常盤を車で自宅に送り届けた私は、
(をー、明日だああああああああああああ)
と叫びながら、中央高速道路を走らせ自宅に向かいました。自宅につくとメールアドレスのあるディベーターに完成した立論を送り、『義侠』を飲み寝ました。
◆
完成した立論は以下の通りです。
【肯定側立論】
肯定側立論です。この立論では、定義、哲学、現状、プラン、メリットの発生の順番で述べます。また、現状を改善することが重要性です。
まず、定義をします。環境税とは、環境に有害な行為をして利益を得てる人から税金を取り、被害にあってるところの有害行為を減らすための目的税とします。
哲学です。CO2を排出して高度経済成長を遂げた日本は、世界中のCO2を減らす責任があります。日本はCO2を出して発展しました。途上国に「CO2を出すな!」とはいえません。一方、温暖化問題は、大気を区切れない以上、地球全体で考える必要があります。日本は先進国であり地球温暖化に過去も現在も悪影響を与えてます。だから日本はプランを導入し、改善すべきなのです。
現状です。今、地球環境悪化で人類の危機が生じてます。証拠資料です。出典は、鳥取大学学長加藤尚武(ひさたけ)『図解スーパーゼミナール環境学』2001年4月より引用開始
大気中の二酸化炭素濃度の現在値は約0.036%となっています。しかし、その数値が現在の100倍の3%台に上昇する時期はもうそこまで近づいているのではないかと思うのです。(中略)北極や南極の永久凍土や海底に広がる無限ともいえるこのメタンハイドレードが、温暖化を引き金にして大気中に放出されることになれば、メタンガスは分解して水と二酸化炭素になるので、大気中の二酸化炭素濃度はたちまちのうちに3%を超えてしまうでしょう。その時期は2080年頃になる公算です。
引用終了。同資料によると、人類は3%で窒息死します。引用開始。
大気中の二酸化炭素濃度が3%になると、人間にどのような影響を与えるのでしょうか。生理学者による答えはきわめて明快で「人間は生きていられない。窒息死する」という結論です。
引用終了。3%では肺でガス交換ができないのです。環境問題は、限界を超えると不可逆な問題になります。温暖化が問題になった今、すぐにできる限りの手を打たなければならないのです。将来の科学技術の可能性にかけるのです。62億の命と人類の未来を救うのが環境税です。
環境税のプランは4点です。
1点目、実施は2003年から。
2点目、炭素1トンあたり3万円の課税。税収は年間9兆円です。これは環境省の年間予算の100倍です。
3点目、消費段階で税をかけます。
4点目、税収9兆円の使い方は二つです。
a)7兆円を発展途上国のCO2削減事業に取り組ませるための日本の機材、人材に活用。
b)2兆円をCO2回収技術の研究費用に活用。
メリットは「人類存続の可能性を伸ばす」「人類存続の可能性を伸ばす」です。
発生過程です。ラベルは「途上国のCO2を抑制する」です。
日本には世界最高のCO2抑制技術があります。証拠資料です。出典は「環境税とは何か」1999年 石弘光 より引用開始。
「世界最高の技術水準を達成する事により、過去20年間にエネルギー利用効率を倍近く改善し、CO2排出量を横這いに抑えてきた」
引用終了。一方、世界のCO2排出量64億トンの45,4%を排出してる途上国は、この技術をほとんど持ってません。証拠資料です。出典は「人類は80年で滅亡する」2000年2月西澤潤一より引用開始。
「中国の二酸化炭素排出規制は日本に比べてはるかに遅れている。排出規制でたいした技術進歩もなく中国の工業化が進んでいくと、日本の4倍増の排出量では収まらない」
引用終了。ここにプランを導入し、地球規模で温暖化を遅らせます。この技術支援を、途上国も望んでます。証拠資料です。出典は「朝日新聞」2001年6月22日より引用開始。
「途上国は(中略)『日本など先進諸国から技術支援が得られるようなら参加の準備はできている』と語った」
引用終了。この参加とは、COP3のことを指します。日本の技術支援で、途上国はCO2削減に乗り出します。
具体的な支援例を「発電方法」に絞って説明します。現在、途上国は、発電量の多くを石炭に頼ってます。中国では71%、南アフリカでは75%、途上国全体でも3分の2以上が石炭です。石炭発電は多くのCO2を出します。証拠資料です。出典は「発電システムのライフサイクル分析」1995年3月 電力中央研究所より引用開始。
石炭1kWh当たりのCO2排出量270炭素g
引用終了。これは太陽発電の8倍です。CO2排出量が少ない発電は、多くの設備投資が必要で、貧困な途上国は手が出せません。ところが、途上国は、アフリカや、中央・南アメリカなどの日射量の多い地域や中国やロシア、インドなどの広い土地を持った地域など太陽発電には適した地域です。ここに日本の技術と資金で太陽発電を導入しCO2を削減します。
次に、税収7兆円での削減量です。「太陽光発電の実用化展望」原子力図書館をもとにした試算では、発電機建設に6兆円、人件費、維持費などに1兆円使うと、太陽発電と現在のCO2抑止の技術で毎年3億トン分CO2削減できます。これはCOP3で日本に求められている6%の 倍に当たります。このようにそれぞれの途上国に応じた削減方法を導入することで窒息死までの期間を少なくとも20年間延ばすことができます。日本の技術はこれだけのことができるのです。
発生過程2点目は、「CO2を回収技術の促進」です。
今の日本にはCO2回収の技術例としてCO2を固形化する「圧力温度スイング法」「バイオマス」などがあります。「圧力温度スイング法」の証拠資料です。出典は東京電力のホームページより引用開始。
回収性能の目標値であるCO2回収率90%、純度99%を達成しました。
引用終了。しかし、元関東特殊製鋼常任監査、中山 哲氏のHPによると、圧力温度スイング法は現状では1日20トンしかCO2を回収できません。プランで環境省予算の20倍の開発資金をつぎ込み、日本の技術で回収量を増やす製品を作り出します。
プランは、発生過程1でCO2の排出を抑制し、発生過程2で回収技術も同時に発達させてメリットを発生させます。日本は今、環境税を導入し地球環境を改善すべきです。
◆
【否定側立論】
否定側立論です。定義は肯定側に従い、立場は現状維持。肯定側プランから発生するデメリットは【国内産業の衰退】【国内産業の衰退】です。発生過程は4点です。
1点目、「国内消費者の購買意欲低下」です。消費税が5%にあがったとき、97年度の日本総合研究所調査によると、1世帯あたり平均負担額は年間「49600円」で、売れ行きは大幅ダウンでした。証拠資料です。出典は、三重県内景況調査結果HPより引用開始。
平成9年4月からの消費税上昇の影響については(中略)「売り上げ減少55社」「利益の減少43社」で合計60%の企業に影響があった。
引用終了。プラン導入で1世帯あたり年間「30万円」負担が増えます。消費税の「6倍」です。消費が冷えてデメリットが発生します。
2点目、「日本企業の国際競争力低下」です。プラン導入で、CO2を排出するものに税がかかり、企業全体で9兆円の負担が増えます。これは法人税の税収とほぼ同額です。たとえば、自動車では1台当たり「25320円」の負担増です。証拠資料です。出典は「地球の経済学」中央大学教授・宇沢弘文より引用開始。
自動車の生産1台あたり平均して、844kgの二酸化炭素を大気中に排出している。
引用終了。計算では、生産時に自動車1台あたり25320円かかります。「読売新聞」2000年12月28日によると現在、日本は年間約「440万台」もの自動車を輸出しています。これは「1114億円」も値上がりになります。日本の産業を支える自動車産業で輸出力は著しく低下し、日本企業の競争力が低下します。こうしてデメリットが発生します。
発生過程の3点目、「省エネ投資の失敗」「省エネ投資の失敗」です。プラン導入で(肯定側が主張するように)企業はコストダウンのため省エネに取り組むかもしれません。しかし、ほとんどの日本企業は、過去2度の石油危機の時や、省エネ法の制定などで、すでに省エネ設備を備えています。証拠資料です。出典は「地球環境とCOP3に関する疑問」1997年通産省より引用開始。
日本の産業界の省エネ設備の導入比率は既に現時点において飛び抜けています。
引用終了。そして、その省エネ設備は世界トップレベルにあります。証拠資料です。出典「環境税とは何か」1999年石弘光より引用開始。
世界最高の技術水準を達成することにより過去20年間にエネルギー利用効率を倍近く改善しCO2排出量を横這いに抑えてきた。
引用終了。ここまでして、やっと年間炭素排出量を3億トンに抑えています。この状況に、プランを導入すれば多くの企業を倒産させます。証拠資料です。出典は先ほどの通産省の資料から引用開始。
現在の措置以上の省エネルギーを行うことを企業に強要しても、技術的、経済的に可能な省エネの余地はほとんどないため、省エネ投資を行ったとしても投資回収期間が極めて長い不採算投資となり、収益悪化を招き、相当数の企業が撤退に追い込まれることとなります。
引用終了。このように、省エネ投資に失敗し、デメリットが発生します。
4点目、「企業の海外移転」です。企業は利益を伸ばすため、海外に移転します。実際、日本企業は、「安い税」を求めて海外に移転しています。証拠資料です。出典は日本経済新聞97年7月10日より引用開始。
日本の法人税は国税と地方税を合わせて調整した実効税率が49.98%で米国の41.05%や英国の33%と比べてとびきり高い。(中略)安い税を求めた企業の日本離れは進んでいる。
引用終了。現在、企業の4割が海外に移転しています。証拠資料です。出典は「製造業の海外移転と物流への影響」運輸交通省HPより引用開始。
平成6年から三カ年において取引先などが海外に移転した企業は、(中略)4割を越す
引用終了。その上日本では税だけでなく、ppp、cop3などの環境問題への対応もしなければなりません。しかし、日本企業が海外に移転すればこれらから解放されます。アジアの途上国では経済発展を重視するあまり、環境問題への抗議ができない国があります。証拠資料です。 出典は、『環境問題の社会史』2000年7月都立大学教授飯島伸子より引用開始。
アジアには、日本などの先進開発諸国による環境侵害に対して、抗議運動をするも命がけであるような国が、今も存続しているのである。
引用終了。こうして海外に移転し、さらにそこでCO2をたくさん出すわけです。どのぐらいの企業が移転するかというと、現状の法人税負担は10兆円で、その内の約10%が外国に比べて多く取られていますから1兆円負担が大きいです。1兆円で4割の企業が移転しているのに、それが、9兆円、9倍の負担になります。現在、国内に残っている6割の企業も、かなりの税負担があり、損失覚悟で環境対策を取っています。ここに、さらに炭素1トンあたり3万円の高い税がかかるようになれば、耐えきれなくなり、かなりの数の企業が海外に移転し、デメリットが発生します。
深刻性です。ラベルは【失業者の増加】【失業者の増加】です。発生過程から、企業は最終的にはリストラをしたり、倒産したり、海外移転をします。失業者数は、現状の約340万人の55%に当たる190万人以上が出ます。証拠資料です。出典は、NHKのHP「地球法廷」より引用開始。
通産省の試算では、90年比5%の二酸化炭素の排出削減をすると、機械・鉄鋼・化学などで生産活動の縮小がさけられず、(中略)2010年には190万人の雇用が減る。
引用終了。京都議定書では、日本は世界に「CO2を6%減らす」という約束をしています。つまりプランを導入で新たに190万人以上の失業者がでるのです。失業しなくとも一世帯あたり30万円の負担増になります。今、日本は過去最悪の失業者数、約340万人に達し、これからも景気回復の見通しは立っていません。ここにプランを導入すると失業者は550万人以上になります。本来、国民を守るはずの国の政策によって、国民がさらに苦しみます。
将来の地球よりも、今の私たちの生活がなくなってしまうことの方が深刻です。
ですから、環境税は導入すべきでないと主張します。
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8 全国大会 初日
平成12年8月4日(土)。第六回全国中学・高等学校ディベート選手権大会。通称ディベート甲子園が開催された。各地区予選を勝ち抜いた中学校16校、高等学校32校が幕張にある神田外語大学に集合した。それぞれの思いは、「まずはビックサイトのステージに立つ」。そして、「優勝を狙う」であろう。もちろん、楢原中学校も同じだ。
◆
関東の交流試合は多くは女子聖学院高校や開成高校で行うことが多い。会場に向かうには京王線で都心に出る。私は聖蹟桜ヶ丘駅で京王線に乗り込み、子どもたちに車内で会うことになっている。ところが、今回は新宿駅で中央線に乗り込むことになった。神田外語大学がある海浜幕張駅は、JRで行った方が早いのだ。
何かあると私の携帯電話に連絡が入ることになっているのだが、このときは何もなかったので無事に中央線に乗っていることだろうとは思っていたのだが、顔を見るまでは安心できない。以前、乗り遅れたり気分が悪くなったりという生徒がいたからだ。
乗り込んでみると全員いる。大木、脇田の質疑・反駁コンビはカードの読み込みをしている。常盤は作り切れていない第二反駁を考えている。立論の猿井は出口付近に立っている。次は顔色だ。一人ひとり見ていくと猿井の顔色が悪い。
『鮎子、どうした?』
「あ、大丈夫です」
『大丈夫なわけないだろう。何時間寝た?』
「二時間ぐらい」
とんでもない。練習をしていたというのだが、これでは戦えない。優先シートが空いていたので今回は特別に、
『あそこでとにかく寝なさい』
「大丈夫です」
『大丈夫じゃない。とにかく立論を読む練習はいいから、眠れなくてもいいから、目を閉じて座っていなさい』
「はい」
と指示をする。
関東大会の時に、開会の時間を一時間間違えてしまい、ついたら開会式が始まっているというミスをしてしまったので、今回は早く会場に着くことになっている。受付開始が12時で試合開始が3時30分であるのに、試合会場には午前11時過ぎには到着するようにしてあるのだ。体調を戻してからでも十分に口を慣らす時間はある。
東京駅で中央線から京葉線快速マリンドリームに乗り換える。連絡通路で女子聖学院高校の筑田先生と生徒たちに会う。筑田先生も関東大会ではぎりぎりに来ていたはずだ。さすが同じ年である。考えることが一緒である(笑)。
八王子に住んでいる子どもたちは、ディズニーランドに電車で行く機会でもないと京葉線には乗らない。海沿いを走る京葉線は八王子の風景とは違う。一年生達は電車の中で、
「海だ~~!」
「川だ~~!」
「ディズニーランドだ~~!」
と叫んでいる。
『これこれ、静かにしなさい。それでは自分で田舎者を証明しているぞ(笑)』
鮎子を見てみると、うるさい中でもぐっすりと寝ている。ああ良かった。これなら大丈夫だ。
◆
海浜幕張駅に着くと、改札口付近に一団がいる。創価高校の集団だ。中には3年前からその成長を見ている生徒達もいる。東海地区の光ヶ丘中学校もいる。こうして自分の学校ではない生徒達の成長も見られるのがディベート甲子園の楽しみでもある。勝手に自分の教え子のように思えてしまう。
『がんばろうな』
「はい」
そうだ、みんな気合いが入っている。よいよい。
駅で確認をする。
『昼ご飯を忘れたり、調子の悪い人はいるか?』
どうやら大丈夫のようである。ホッと一安心。
ただ、神田外語大学の飲み物はすぐに売り切れてしまうことがあるので、駅のコンビニで買っておくことにする。
体調も直り、開会式まで時間があるので神田外語大学まで20分ほどの道のりを歩こうかと提案したところ、三年女子はすでにタクシー乗り場の方に心が行ってしまっていた。はいはい、タクシーにしましょう。4台を借りて大学に向かった。
◆
大学に着くと、中学では一番乗りであった。101号教室は階段教室である。その中程に楢原中学校の席はある。6人の登録メンバーの他の席も近くに確保することができた。この会場があと一時間でいっぱいになる。そして、三日後にはすべてが終わっているのだと思うと不思議な気持ちになる。
早速予選リーグの対戦相手を確認する。我が楢原中学校は第1組である。第1組には次の学校がいた。
八王子市立楢原中学校
関東大会一位
飯田市立高陵中学校
北信越大会一位
嬉野町立嬉野中学校
九州大会二位
愛知教育大学付属岡崎中学校
東海大会三位
どの学校も強豪である。特に付属岡崎中学校は、関東大会の様子をわざわざ見に来ており、楢原中学校の試合も見ている。また、ラウンジでは活発に意見を交わしていて、オンラインでの交流もある。東海大会で三位になったと言う話を聞いたとき、
(同じグループになるのではないかな?)
と思っていたが、実にその通りになった。
縁があるなあ。相手にとって不足はない。
他の組も見てみる。
第2組
福岡教育大学付属小倉中学校
南山国際中学校
創価中学校
徳島文理中学校
第3組
小牧市立光ヶ丘中学校
下館市立南中学校
北海道教育大学付属札幌中学校
岡山白陵中学校
第4組
会津若松市立第二中学校
神戸大学付属明石中学校
多久市立東部中学校
江戸川学園取手中学校
である。
◆
開会式が終わり、いよいよ高校の対戦が始まる。
私は、今日誰がどの試合を見に行くのかの割り振りを終わらせて、決勝トーナメントに勝ち上がった時を想定して翌日の割り振りを考えていた。すると、もし、楢原中学校が一位で勝ち抜け、創価中学校が二位で勝ち抜けると、ビックサイト出場を懸けた準々決勝でぶつかることが分かった。うちが二位であちらが一位でも同じである。つくづく縁がある学校だ。
割り振りを終えて、子ども達と一緒に発声練習に向かう。活舌調音である。腹の底から大きな声を出して、口の動きをなめらかにしよう。不安を吹き飛ばそう。
◆
試合開始15分前になった。
開会式の行われた101号教室で手を出して、気合いを入れる。
「楢原中学校~~~、いくぞ!」
「お~~~!!!」
である。
会場は1号棟の201号教室である。101号教室からは二階の渡り廊下を歩いて向かうことになる。去年も、一昨年もここを渡りながらいろいろなことを思った。今年はなぜかすがすがしい思いで歩いていることに気が付いた。
試合会場では、一年生が資料を並べ、フローシートを配っている。するとビデオカメラ担当の生徒が
「先生、ビデオのモニターにひびが入っています」
と言いに来る。見てみるとかすかに映し出せる程度である。モーターは動いている。仕方なしにこれで撮影させる。
準備を終えたリサーチャーは、各試合会場に向かう。ディベーターは、最後の準備をしている。第一試合は、飯田市立高陵中学校である。第一試合は、勢いをつけるのにとても大切だ。それは、どの学校にとっても同じである。去年の楢原中学校はこれをまさかの戦いで落とした。
(落ち着いて、落ち着いて)
念じるのは、これだけ。落ち着くための呼吸方法を肯定側立論の鮎子には指示しておいたが、それをやっている。大丈夫だ。
試合結果は3対0であった。コミュニケーション点も15点中12点と第一試合中でトップであった。これで勢いが付く。対戦相手の高陵中学校だが、練習相手のいない中で、ここまで仕上げてくるのは大変だと思う。もし、関東の交流会に参加されたらもっと強くなるだろう。判定を待つ間に書いて貰った色紙には、
「全国優勝してくださいね」
という声が多く書かれており、楢原中学校の子ども達はとても喜んでいた。
◆
試合後、メンバー全員で一勝目を軽く祝い、次の試合の準備を行う。見に行った試合の報告会を行う。各学校が出したメリット・デメリットのラベルを報告し、今まで関東で出た議論以外の議論があれば報告させた。
途中まで進んだところで、大会スタッフが飛び込んできた。
「あ、いた!」
『????????』
「引率者のガイダンスが始まっています」
『あ!!!!!!!』
六年間連続で出場していながら、全く忘れていた。慌てて会場に飛び込む。大変申し訳ない。
ガイダンスが終わって、報告会場に戻るとほとんど報告会は終わっていた。確認してみると、第一試合で出てきた議論は予想した議論の枠を出ていなかった。ということは、今まで自分たちが準備してきた議論を丁寧に扱えば、十分勝つことが可能なわけだ。心配があるとすれば、大会中に急成長をする学校、立論を急に作り替える学校であり、大会中に成長できない楢原中学校、体調を崩す楢原中学校、自分自身の甘えに負ける楢原中学校である。
◆
初日の夜のお楽しみは、レセプションパーティである。HPでしか会話ができなかった全国の仲間と直接話ができる。私も年に一度、全国の指導者たちと顔を合わせることができる楽しみな会だ。
各支部長の挨拶の後に、一斉に食事が始まる。人気の食べ物はあっという間に無くなる。恐ろしい。楢原中学校の様子を見ていると、食事にありつけているが男子に比べて女子の食が細い。一年生男子が取ってきた食べ物を分けて食べている。助け合いの精神は大事である。
知り合いに挨拶を済ませて、もう一度戻ってきたところ、元気の無かった女子が憤慨している。どうしたのかと聞いてみると、大事に最後に食べようと思っていたシュークリームを、付属岡崎中学校の生徒に
「あ、シュークリームみっけ」
と言われて有無も言わせずに食べられてしまったというのだ。
(うーむ、食べ物の恨みは怖いぞ)
と私は思ったが、八潮中学校の川畑先生は
「付属岡崎中学校は、虎のしっぽを踏んでしまいましたね」
と仰っていた。上手いことを言う。げにげにである。明日の第一試合は、対付属岡崎中学校戦である。
お腹が満たされた後は、フローシートを持ってジャッジ巡りである。第一試合を見て、自分が分からなかった箇所をジャッジに聞いてくるのである。せっかく全国からすばらしいジャッジが来ているのである、勉強せねばもったいない。一年生も積極的に質問をしている。食事が無くなったので予定の時間を早く切り上げて会が終わろうとしているが、それでも丁寧に答えてくださっていたジャッジの臼井さん、ありがとうございます。
タクシーの予約が取れたので、ホテルに帰る支度をする。
すると、会場の出口のところに鮎子と志帆がいた。ジャッジ巡りをしていたのかと思ったら、会場の空気に押されて外でくつろいでいたという。食事もあまり取れていない様だ。そこで、私の車だけコンビニに寄ってもらいおにぎりを買っていった。ホテルのコンビニはいつも満員なのである。
タクシーの運転手さんに聞いた話によると、今晩は千葉と江戸川で花火大会があるという。ちょうど女子の三人部屋から見えそうだ。部屋に行ってみると、千葉の港で打ち上げる花火と江戸川で揚げる花火と両方とも見える。他にも一カ所見える。花火は良いなあ。去年も花火があったのだが、去年は一試合目は負けていてそれどころではなかった。また、一昨年はGLAYのコンサートの前夜祭も見えたなあなんてことを思い出す。
私が生徒に指示したことは簡単である。
『他の学校は作戦を練るが、うちは寝る。4試合戦える体力を保て』
である。最低6時間は寝かせたい。
『明日の朝は、6時50分にロビーに集合。7時から朝食だ。だから12時には寝ること』
「ということは、エレベーターが込むことがあるから部屋は6時40分に出ること」
と常盤部長。こういうところは、顧問よりも気が利く。
◆
生徒に指示を出して、私は夜の散歩に出かけることにする。エレベーターを降りて一回のフロアに出るところで、青と白の服を着た大男に会った。見た顔だなあと思ったら、西武ライオンズの東尾監督であった。選手に会ってしまった。フロアにロープで道を作ってその中を歩いてくるデニーに松井。大きいな。しかし、怖い顔をしている。後から聞くところによると、この日はサヨナラ負けだったそうだ。
◆
散歩から帰ってきたのは夜の11時。子ども達はまだ準備をしている。心配していた鮎子と志帆は復活している。しかし、愛美も美佳も常盤も顔を見るともう瞼がくっつきそうである。麻紗美はすでに寝ている。
『もう良いだろう。無理することはない。明日のために寝ろ』
11時30分には寝た。
明日は勝負だ。
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9 全国大会 二日目
5時に目が覚めた。いよいよ決戦の朝である。12時間後には、ビックサイトの出場校が決まっているのだ。まず、風呂に入ってさっぱりしよう。プロ野球の監督でも「験を担ぐ」監督は多いという。今はその気持ちも分かる。担げるものであれば、タンスでも何でも担いであげたい。実際、今回は獺祭、義侠の他にもいくつか験を担いだ。ネクタイは関東大会優勝の時のネクタイである。ちょっと汚れているけど、クリーニングに出さずにおいた。今日はこれをきりりと締めよう。
6時50分にロビーに行くと、生徒は全員揃っていた。こういうところがなーなーだと戦いのテンションが下がってしまう。眠たそうな顔をしている者もいるが、顔色はいい。早速食事会場に向かう。一番乗りであった。
食事会場はとっても広い。バスケットコートならフルで4つぐらい取れるのではないかな。円形のテーブルを二つ押さえて、バイキング方式で食べる。しっかりと食べるのだぞ。
食事後、指示を出す。
『昨日タクシーに一緒に乗ったグループで集まって、グループごとにタクシーで神田外語大学に行くこと』
まとまって行くと、タクシーが捕まらないことがあるので食事が終わったグループからどんどん行かせることにした。会場には試合開始1時間前に到着した。ここも一番乗りであった。
朝、その日の新聞が配られる。
一年生の仕事は、その新聞を良く読み、環境税関連の証拠資料がないか確認することである。三年前、決勝戦の朝の新聞に「日本政府は、サマータイム制の導入を取りやめた」という記事が一面にあった。その年の論題は、【日本はサマータイム制を導入すべきである】であった。ここまでの記事はないだろうが、何か出てくることがある。特に環境問題は、現在非常に熱いトピックであるから確率は高い。
準備をしていたら森本さんが来てくれた。森本さんは、一年生の時にディベート甲子園に出場している生徒だ。朝早く起きて、八王子から応援に来てくれた。フローシートもしっかりとれる。調査の力強い味方だ。
「良く迷子にならなかったねえ」
と生徒は森本をほめている。何か違う気がする。
◆
試合開始15分前になった。会場に移動する。受付前を通っていこうとしたら、その前に校長先生の姿が見えた。関東大会の時も来てくださった。子ども達も喜んでいる。気合いも入る。
予選第二試合、本日の一試合目は愛知教育大学付属岡崎中学校が相手である。顧問は長坂先生。証拠資料を集めにいく生徒を図書館まで車で引率し、生徒の自主的な活動を見守る暖かい先生である。生徒は全員三年生。3人が女子で1人が男子。楢原中学校と同じである。ディベートに熱心な生徒が多く、関東大会には夜行バスを乗り継いで見学に来たり、全国教室ディベート連盟HPのラウンジでも活発な書き込みをしている。ネット上でも常盤部長と交流があり、常盤部長も東海大会で会っている。東海大会を三位で勝ち抜いた時から、
(うーむ、全国大会で対戦するのではないかなあ)
と思っていたら、その通りになってしまった。これもディベート甲子園である。対戦する以上は徹底的に戦う。楢原中学校は否定側である。
試合は2対1で勝った。この試合のポイントは、ターンアラウンドである。否定側で出した「プランを導入すると、肯定側の主張するように二酸化炭素排出量は減ることなく、かえって二酸化炭素が増加する」という主張が決まった。否定側第一反駁の愛美の技ありである。もちろん、第一反駁を決めるためには質疑も重要である。「プランを導入することによって二酸化炭素が増えては困りますよね?」と麻紗美の確認があった。麻紗美の質疑は関東大会でも評判が良かった。にこにこしながら、痛いところを確認していく。また、辛い準備の時にも「いいんじゃな~~~い」という明るく前向きな決めぜりふがムードを明るくしていた。しかし、この試合はいつもの明るさというよりは、攻撃的であった。後から聞いてみたところ、
「だって、私のシュークリーム食べたんだもん」
とのこと。確かに虎のしっぽを踏んでいたのだ。食べ物の恨みは、げに恐ろしい。
試合後にいくつか確認した。
『あの質疑の仕方は今回初めて見たけど、なんで前の方法を使わなかったの?』
「練習の時に山中さんに教えて貰ってとってもわかりやすかったんで」
『でも、試合を見ていて私は、言いたいことはわかるけど、ジャッジに伝わりにくいと思ったなあ』
「私も何言っているか分からなくなってしまいました」
『でしょ。愛着のある資料とか言い回しがあるのは分かるけど、それがうまくいかないときにはばっさり捨てることも大事だよ』
「はい」
一日かかってやっと発見した資料も、使えないとなるとばっさりと捨てることがある。愛着があるのだが、使えないと分かったときに、これを捨てる勇気を持たないと勝つことはできない。
◆
試合ごとに、各会場を調査しているメンバーが報告に来る。創価中学校は2対1ではあるものの2勝である。これで決勝トーナメント進出が決定である。意外なのは昨年度優勝の光ヶ丘中学校である。2敗である。東海大会では優勝しているのに。
楢原中学校も2勝なので、決勝トーナメント進出決定かと思いきや、次の嬉野中学校戦を3-0で負けると得票数とコミュニケーション点のバランスで、進出はあやしいこともあるのが分かった。
私は、危ないかもしれないということは言わずに、
『肯定側は二回目だね。一回目にできなかったことを思い出し、丁寧に戦いなさい』
と指示を出した。
嬉野町立嬉野中学校も全国大会に何回も出場している名門校である。顧問の川崎先生は、いつも控え室にコンピュータとプリンターを持ち込み、子ども達にきめ細かい指示を出している。どんな内容が書かれているのかとても興味があるが、さすがに覗くわけにはいかない。
試合会場は、次の決勝トーナメントを睨んだ他の学校の調査員や、様子を見に来たジャッジで結構いっぱいになってきた。私の横には、2組の南山国際中学の長谷川先生がいる。創価中が一位抜けした場合、2組の第三試合で南山中が小倉中学を破ると決勝トーナメントで楢原中学校と当たることになるのだ。
『生徒の方は良いんですか?』
「あっちの試合で負けてしまうと、リサーチの子どもが自分の学校の試合を見られないので見たいというので、こっちには私が来ました」
『そうですか。お互いに決勝トーナメントに出られると良いですね』
そんな会話があった。
この試合は、落ち着きを取り戻した麻紗美が、肯定側第一反駁をきれいに決めて3-0で勝利した。これで予選リーグはトップで抜けることができた。
長谷川先生は、
『バランスの取れたいいチームですね』
と誉めてくれた。
さあ、その長谷川先生が育てた南山中学校とビックサイト出場を懸けて対決である。
◆
去年の戦いは予選リーグまで。最後の試合に勝って、予選リーグは1勝2敗であった。同じリーグの東海中学校が3-0で負ければ、楢原中学校が決勝トーナメントにあがれる可能性があったが、東海中は勝ち、私たちのディベート甲子園はここで終わっていたのだ。しかし、今年は違う。これからが本番であると楢原中学校の誰もが思っている。
昼休みの時間は45分間。この間に、決勝トーナメントの立場の抽選会があり、食事をして、作戦の確認である。
常盤部長の抽選の結果、否定側と決まる。南山中の様子を見ると、肯定側では戦いにくい様子。楢原中学校はどちらでも大丈夫。これは強い。抽選と食事を15分で済ませ、15分間作戦会議。リサーチに入ったメンバーから指示を受けて、議論の予想される争点を確認する。このとき大事なことは、予想はあくまでも予想にしかすぎないと言うことをはっきりと認識することである。私には「皮膚ガン事件」と呼んでいる事例がある。
あれは第一回ディベート甲子園、ビックサイト出場を懸けた試合での出来事である。私たちは肯定側であった。論題は、【日本はサマータイム制を導入すべきである】であった。否定側のデメリットは、事前に予想していたものとは違って、「プランを導入すると皮膚ガンが増加する」というものであった。
この皮膚ガンは、準備のかなり初期の段階で、
『1時間ぐらい早く起きて1時間余計に太陽光線を浴びたら皮膚ガンになるのならば、新聞配達の人たちや体育の先生はもう完全に皮膚ガンになっていなければおかしいね』
と確認していた争点である。であるから、
「プランでは1時間活動の時間を前にずらすだけですよね?」と質疑で確認し、「一時間前にずらすだけでは皮膚ガンは増えません。なぜならば~」と反駁すればいいわけである。
ところが、まさかその弱い皮膚ガンがやってくるとは思っていなかった生徒達は、パニックになり肯定側第一反駁がほとんど言い返せずに終わり、負けてしまったのだ。これを皮膚ガン事件と称して、子ども達には随分と話していた。このことから学ばなければならないポイントは3つある。
事前の調査を100%信じ込まない。
シーズンのはじめの頃に出た議論も丁寧に戦い方を復習しておく。
予想外の争点が出たら、プランから発生する内容をよく考える。
当たり前のことだが、このことを試合が始まる15分前に言ったところで、子ども達に効果を生み出すことは難しい。日頃の練習からこれを言い続け、本番では子ども達が
(ああ、あのことね)
と思える程度に仕上げておくことが大事である。
さあ、15分前だ。初のビックサイト出場を懸けた戦いである。
◆
南山国際大学付属中学校。指導者は長谷川貴子先生。この学校の特徴は、全員が海外帰国子女であるということだ。準備時間には英語で会話をしていたりする。自己表現にためらうところが無く、堂々としている。気も強そうだ。長谷川先生はどうやってこの子達をまとめているのかなあと思いながら選手を見ていると選手登録は4人なのだが、3人しか姿が見えない。どうしたのかと思っていたら、一人はジャッジに背を向けて座っていた。うーむ。
司会から注意を受ける。それでも、
「まずいですか?」
という。ジャッジが、
「コミュニケーションの責任を果たしていないと取られるかもしれませんよ。コミュニケーション点が下がるかもしれませんよ」
と言われて慌てて直す。
私は、
『そのままの方がいいのになあ(笑)』
とつい言ってしまったのだが、
「不必要なアドヴァイスはしないでください。ルール違反ですよ(笑)」
と反駁を貰ってしまった。
肯定側の立論を聞き、否定側の質疑が終わったあたりで私の内臓の動きはちょっと落ち着いた。議論が私たちの土俵の中にあると感じられたからだ。しかし、油断はできない。
鮎子の否定側立論が終わったところで、肯定側から
「証拠資料を見せてください」
というアピールがあった。鮎子は
「?????????」
という顔をしている。
全国中学・高校ディベート選手権ルール(2000年3月2日改正)には、以下の項目がある。
第8条 証拠資料はその条件を満たすこと
3. 審判、あるいは相手チームから、それまでに読み上げた証拠資料の提示を求められたときには、証拠資料の提示しなければなりません。ただし、相手チームが証拠資料の提示を求めることができるのは、その相手チームの準備時間中のみであり、その準備時間の終了までに返却しなければなりません。
これを使ってきたわけである。ところが、関東の練習会ではこれは一回も使われたことが無く、使ったこともない鮎子は「?????????」だったわけである。顧問としては、ルールを理解させることは大事だが、このあたりまでは特に必要ないと考えて詳しく教えていなかったので、まあ、びっくりであろう。
肯定側の質疑は、否定側の立論を確認するいい質疑であった。それをそのまま第一反駁で伸ばしながら攻撃してきたら結構いい攻撃になったであろう。しかし、それをさせなかったのは、否定側一反の愛美の攻撃である。
愛美は、去年に比べて攻撃の安定度がぐっと増した。日々反駁カードを新しいものに作り替え、作り替えてはそのカードが何秒で読めるかを確認していた。この作業が指示されることなく自分から行えると強くなる。
だいたい一つの反駁を30秒見当に作ると4分間で8つ反駁ができることになる。サインポスティング、ナンバリングなどをしながら反駁を行うとすると、4分間で6~7つの反駁ができることになる。これだけ行い、さらにメリットとの比較をすると肯定側第一反駁が辛くなる。実際、この試合でも肯定側一反は、愛美の攻撃からの回復を図ることに時間を掛けすぎてしまい、デメリットをきちんと攻撃することができなくなっていた。
結果は3ー0で否定側、楢原中学校の勝利であった。南山国際中学校は、大きなディベートができる学校だと思う。しかし、それをさせなかった戦い方が楢原中学校にあったがため、勝てた試合だといえる。
発表の瞬間、なんともいえない達成感が体の内側から湧いてきた。この楢原の子ども達と取り組んで3回目。私個人では6回目の挑戦にして、あのビックサイトのステージに立つことができるのだ。その出場の権利を得てみれば、それは実にあっけないものだと言うことが分かった。
しかし、振り返ってみると実に長い道であったとも思う。ビックサイトに連れて行けなかった生徒達の経験のお陰で連れて行けることになったのだとも思う。ビックサイトのステージにあげられなかった今までの生徒諸君に感謝である。そして、選手としてビックサイトに連れて行けることになった生徒諸君に、おめでとうである。
実を言うと、去年の大会後の理事会で、「来年はビックサイトでの開催ができない」という話を聞いていた。不況の折り、スポンサーが見つからないとビックサイトの使用料が支払えないと言うのだ。
「来年は絶対ここで試合をしてやる!」
と言っていたメンバーに、いつ『ビックサイトはなくなった』と言おうかと悩んでいたのだ。しかし、松下電器産業がスポンサーに付いてくれるというのでビックサイトが大丈夫になった。うれしかった。やはり、ディベート甲子園にはビックサイトがないと落ち着かない。松下電器産業のお陰でビックサイトで戦えたわけだ。できれば、準優勝にもパソコンがほしかったなあ(笑)。
◆
ここまで来たら、やっぱり決勝戦で戦いたい。
それを決めるのは、準決勝である。相手は、下館市立南中学校である。ポイントになるとぶつかる学校だ。できれば決勝で会いたかった。因縁の対決だ。過去の戦績を振り返ってみる。
平成12年
夏の関東大会3位決定戦
楢原中肯定側 南中否定側
3vs2
楢中勝
平成13年
春の関東大会決勝
楢原中肯定側 南中否定側
2vs3
南中勝
平成13年
夏の関東大会決勝
南中肯定側 楢原中否定側
2vs3
楢中勝
特に、平成12年夏の関東大会3位決定戦の戦いは熾烈であった。これに勝った方が全国大会出場の権利を得るのである。ゲームの後の講評と判定を聞いていてもどちらが勝ったか分からない。発表の瞬間、私は息んでしまい、脱腸になるかと思った。あんな経験は後にも先にもこれしかない。とにかく、このように因縁の対決なのである。
抽選の結果、楢原中学校が肯定側、南中が否定側となった。関東大会の決勝とは逆の組み合わせである。練習試合でも何回も戦い、全国大会に入ってからもお互いの試合を調査しあっている仲である。楢原中学校とて、南中の試合にはリサーチ主任の高井美佳をつけて分析させてある。手の内はほとんど分かりあっている仲である。小細工は利かない。
試合会場は相変わらず1-201教室。しかし、観客はものすごいことになっていた。中学校の試合は、ここともう一つしかない。創価中学校 対 北海道教育大学付属札幌中学校戦である。南中学校との因縁の対決はジャッジ、観客にも知れ渡っているようでギャラリーがすごかったのだ。いすが全く足りず、隣の教室から持ってくることになり、それでも足りずに立ち見席でいっぱいになった。クーラーは全く役に立たず、幸い吹いていた風を教室に入れて涼を取った。
この試合からジャッジの数は5人になった。準決勝に残った4校中3校が関東支部の中学校であるため、関東支部のジャッジはお役御免になり、観戦と言うことになったようだ。
肯定側立論の鮎子から試合が始まった。安心して聞くことができる。立論者は十分に準備することができると言うことから、読めて当たり前の評価が出やすい。しかし、直前まで変更がある立論を時間いっぱいでわかりやすく読み、質疑の応答にきちんと答えるという技量は、表に見えにくいが、かなりの努力の結果現れるものである。それがしっかりと現れている。
否定側の立論も予想したとおりであった。が、意外な面があった。私たちの立論では、プランの3点目で、炭素税の課税の段階は消費段階ということになっているのに、日本の国際競争力の低下を否定側の争点に提出しているのである。消費の段階で課税する以上、輸入と輸出段階で大きな問題は無くなるはずなのである。だから、否定側としてはここを争点にする場合、肯定側のプランの実行可能性を叩くことがどうしても必要になるはずなのだが、そのための質疑が行われず、否定側立論でも相変わらず国際競争力の低下を述べている。何か秘術があるのであろうか?
しかし、試合は楢原中学校の5対0という圧勝に終わった。決勝進出決定である。因縁の対決に一つの決着をつけたことになるだろう。今大会では、この試合が楢原中学校のベストゲームであろう。
試合後、顧問の中沢先生と握手を交わし、秘術の件について聞いてみた。すると、プランの3点目は考えていなかったという。関東大会の立論のままでくると考えていたそうだ。このプランの3点目は、常盤部長が練りに練り、戦い方を吟味して入れたものだった。それがここ一番の大舞台で効果を発揮した。メンバーもその意味を十分に分かって戦えていたのだ。
ここでまた、放牧指導にしておいて良かったとしみじみ思った。確かに、プランの3点目はどういう働きをするのかという説明はそれなりにはしておいたが、自分たちできちんと理解していなければ、このようには戦えなかったであろう。繰り返すようだが、自分の頭で理解していない内容は、戦いでは使えないのだ。
◆
今日の4試合がすべて終わり、朝、通った渡り廊下を心持ちゆっくり歩いて101教室に向かう。歩いている一人一人に
『いやー、うちの子ども達が中学の部、決勝進出したんですよ』
と自慢したい気持ちで歩く。
一日に4試合というのは実にハードである。しかし、関東支部の中学生は幸いにして交流試合でこれを経験させて貰っている。実に大きな財産である。ありがたいことだ。
常盤が言う。
「先生、昨日寝ておいて良かったです。頭がすっきりで試合ができました」
昨年は、大会直前で風邪を引いて二日目はふらふらで戦っていたのを思い出す。そして、自分の力をほとんど発揮することができずに負けて、悔し涙を飲んだことも。
あれから一年間、この瞬間を楽しみにして準備をしてきたのだと思う。一年間頑張ってきてできあがった立論は、約2400文字。6分間。試合時間だって判定込みで65分だ。その時間の中にすべてを出すために、トレーニングを重ねてきたのだ。試合の時間数なんて、全国大会の6試合すべて合計したって、準備をしてきた時間の1%にもならないだろう。
いや、これは楢原中学校だけのことではあるまい。全国大会に出場しようと決めた全国各地の中学校で、クラブの時間を縫い、塾の時間を調整し、生徒会活動との兼ね合いを考え、修学旅行の準備を調整し、通院時間を変更し、体育大会・合唱祭の疲れもものともせず、定期考査の勉強を平行して行い、睡眠時間を削り、図書館の閉館時間と争い、インターネットの電話代に頭を悩まし、とにかく準備をしてきたのだ。
ただ、楢原のメンバーは、それを指示されてやるのではなく、実に自分たちからやっていたと思う。そのご褒美として、明日ビックサイトの決勝戦で戦わせてもらえるのだと思う。十分に戦うが良い。
◆
控室の101教室に戻る。確かにトーナメント表には楢原中学校が決勝まで進んでいることを示す線が引かれていた。相手は、やはり創価中学校。これも相手にとって不足はない。練習試合では90%以上の勝率を納めている。
決勝の抽選を行う。楢原中学校は否定側である。高校の部の準決勝が終わるまであと1時間30分ある。ここで、疲れてはいるが明日のためにリサーチャーからヒアリングを行わせる必要がある。三年生の精鋭リサーチャー三人からじっくりと話を聞く。三人とは、青木、宮崎、高井である。
青木は卓球部の部長も兼ねている。計算と車に関する造形が深く、試算や中国の自動車問題の時に力を発揮してきた。宮崎は一年のときのメンバーで、剣道部員でもある。きちんとしたフローシートが取れ、議論の流れを読むことができる。そして、リサーチ主任の高井である。彼らが創価の試合をじっくりと見てきている。その彼らが指示を出す。
私は、話したいのをぐっと押さえていた。自分たちでのびのび、じっくりと準備をするのがよい。勝っても負けても、それは自分たちの力というのを実感させてあげたい。そばにいれば当然口を出したくなる。一年生に、もう使わなくなった会場の机にある、学校名の書かれているシール剥がしを指示して、私も一緒に剥がしてその場を離れていた。
そうそう、もう一つしていた。学校への電話である。
職員室に電話をし、教頭先生に電話をし、お祝いをくれた山本先生に電話をしと、いろいろと電話を掛けた。保護者へも明日の観戦を勧めるために電話をした。こんなに気持ちのいい電話は久しぶりである。
◆
シャワーを浴び、着替えたら夕ご飯である。去年までは、関東支部の畜生会を兼ねていた。予選リーグを突破できなかった中学校、ビックサイトに出場できなかった中学校が集まって残念会の食事を取ってたのだ。祝勝会ではなく、畜生会である。
しかし、今年は違う。関東支部の4校の代表のうち3校までもがビックサイトに出場するのだ。例年集まる食事会場に行っても関東支部の中学校はいない。いつもならゆっくいりと食事をさせるのだが、今年は決勝進出の喜びをジュースで乾杯して食事した以外は特になにもしなかった。食事後、彼らはまた準備をするというのだ。一時間で切り上げてホテルに帰す。
私はちょっと残って、高校の部で同じく決勝進出を決めた女子聖学院高校の筑田先生と軽く祝杯を挙げた。関東地区の高校生のまとめ役として絶大なる信頼感を持ち、連盟のHPの管理者として全国の中高生に愛情を注いでいるその筑田先生の指導しているお嬢さん達が決勝に残ったというのだ。これは祝杯を挙げたくなるではないか。といっても筑田さんは3回目の決勝進出。私は初めて。どちらが祝杯をあげて貰っているのかは分からなかったかもしれない。とにかく、うれしい一杯であった。
◆
ホテルに戻ってシャワーを浴びて、準備の部屋に顔を出すと11時を過ぎていたが、まだ準備をしている。明日は、9時30分にロビー集合ということで、6時間の睡眠を考えると2時ぐらいまではできる。しかし、気持ちは分かるが、やはり寝かせたい。
『ん、寝るぞ。どうしてもやりたいなら寝て、明日の朝やろう。私も6時には起きているから大丈夫だぞ』
と言い聞かせて、寝かせる。
おそらく創価中学校は今晩、顧問、大学生、高校生、卒業生が集まって、楢原中学校の立論を分析し、自分たちの立論を思い切り作り替えてくるだろう。第二反駁のスピーチ原稿も作られたものが手渡されるだろう。それでもいい。楢原中学校が目指しているディベートは、練るではなくて、寝るである。そして、自らの頭で作り出すディベートである。
明日の決戦のことを思えば、あれもこれも今晩のうちにしたいと考えるのは当然である。後一日だ。中学生の体力なら無理も利くかもしれない。しかし、急に変わったことをやって悔いの残る試合をさせたくはない。全力で戦えるように寝かせた。
顧問は、今日の長くて短い一日のことを思い出しながら、この夏填っているジントニックをグイと飲んでガッと寝た。
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10 全国大会 三日目
私は三年前から一人サマータイム制度をやっている。夏はだいたい4時台に起床して仕事を始める。夏の朝は非常に気持ちがいい。空が赤くなる前の青は何度見ても気持ちがいい。大会期間中はさすがに4時台に起きることはないが、それでも五時半には風呂に入っていた。すると、六時頃に電話があった。
『はい』
「先生、分からないところがあるんですけど」
『分かった。着替えたら行く』
ということである。最後の準備に余念がない。行ってみると創価中学校対策で、反駁の強化、質疑のポイントの確認、立論でのサンクスワードなどを検討していた。
食事の時間を当初9:30amにしてあったのだが、この時間から起きているのならばもっと早くしなければならない。8:00amに集合することを連絡し直す。他の生徒達も7:00amには起きていたようだ。興奮して起きてしまうのだろう。
食事会場に向かう。前日とは違って、食事の時間帯の最後である。常盤の食欲がない。しっかり食べないと声が出ないぞ。一年生はじっくり食べていた。バイキングはお代わりし放題である。しばらくすると、関東支部支部長の鶴田先生と、奈良中学校の北村先生がくる。北村先生は、第二回大会の優勝監督だ。そこで、子ども達に一言貰うことにする。
「控え室にはモニターがあって、だんだん自分たちの番が迫ってくるのがわかるんだよ。あがらないようにね」
との言葉を貰う。ありがたいことだ。
◆
食事会場から部屋に戻る時に、ホテルの出口を見てみるとホテルバスがいるではないか。ドアボーイに聞いてみると15分間隔ぐらいで駅へのピストン輸送をしているという。それならば、使わない手はない。資料はものすごく重たいのだ。それを使えば5分で駅までいける。そこで、9時25分の京葉線快速マリンドリームでビックサイトに向かうことにした。8:45amにロビーに集合すれば間に合う。
子ども達とロビーで待ち合わせし、カードキィを受け取る。チェックアウトをするときに向こう側にいるバスを発見。ドアボーイにバスの使用を依頼する。ところが、ホテルのフロントが見習いに当たってしまい、チェックアウトが異様に時間がかかってしまった。みると、ホテルバスは満員に近い。子ども達を載せようとするのだが、運転手さんに
「定員を超えているので駄目です」
と言われてしまう。駄目では困る。電車に遅れてしまう。そもそもホテルバスを頼んだのは、私だ。それを伝えていたら、乗車の許可が出た。やれやれと思って乗ったら、一年生が一人いない。げげ、こういうのが一番困る。無理矢理乗せて貰っておきながら、待たせてしまうというのは最悪である。時間にしたらほんの2分ぐらいだが、参った。部屋の確認をしていたというのだが、こういうのは一日のスタートとしてあまり良いムードは作れない。
◆
なんとか電車に間に合い、マリンドリーム、りんかい線と乗り継いで、国際展示場正門前駅に到着する。常盤は、「なんか緊張感がないんです」と言っていた。緊張はしなくて良い。試合に集中できればいいのである。一年生にとっては初めての風景だ。いつもより人が少ないなあと思っていたら、今日は月曜日である。平日なのだ。お客さん来るかなあ。(後から聞くところに寄ると、今までで最高の入場者数だったそうだ)
東京ビックサイトは遠くから見ても、やっぱり大きい。ちょうど羽田飛行場B滑走路に着陸する飛行機がその上空で左折して高度を下げていくポイントにもなっている。それを背景にして記念写真をとる。ふつうに歩けば10分で着くところを25分も懸けて歩いてしまった。駅に着いたときに受付に電話を入れておいたのだが、かえって心配を掛けてしまったようだ。
受付を済ませて、いよいよ「あの場所」の扉を開けることになる。あこがれの扉である。それは、「関係者以外立入禁止」の扉である。この場合の関係者とは、「ビックサイトで試合をすることになっている学校関係者」ということである。そして、ここには立派な控室があるのだ。に私も毎年ちょっとだけ顔を出したことはある。関東の仲間が戦う前に一言応援の言葉を掛けるためだ。しかし、ここでご飯を食べ、最後の確認をし、というのは初めてである。泣いても笑っても、あと二時間後には試合が始まるのだ。
控室は思ったよりも狭かった。そりゃあそうだ。14人もいるのだから。一年生が廊下においてあった麦茶を用意する。こんな気配りがうれしい。途中で、保護者の方が顔を見せてくれた。ディベートは、サッカーやバスケの試合とは違い、試合中に声援を懸けることができず、ただ見守るだけの応援だが、姿を見せてくれると子ども達は喜ぶ。
◆
11時から弁当の配布が始まるとのことで、一年生を取りに行かせた。彼らはここに来てよく働く。こんな小さなことだが、これらもテキパキとこなしていくことがチームワークである。しかし、三年のディベーターはお腹が痛くなっては困るからと試合前には食事をしない。終わってから食べるという。それもいいだろう。
残り一時間になったところで鮎子が、
「先生、証拠資料でおかしなところがあるんです」
と言って来た。良く読んでみると確かにおかしいかもしれない。しかし、今更どうすることもできない。しかし、どうにかしないと自信を持って立論を読むことができない。どうするか? 幸い証拠資料はHPからの引用である。
(確か公衆電話がすぐ近くにあったな)
思うが早いか、公衆電話に向かった。しかし、カード専用機。再びカードを取りに控え室に戻る。
『鮎子、インターネットにつないで確認してみるから、他のところを読む練習をしているんだぞ』
と指示をしてもう一度挑戦。しかし、公衆電話からなかなか繋がらない。パルスとトーンと混乱して上手く繋がらない。いろいろ設定を変えてみること10分。やっと繋がった。該当のHPを見てみる。すると、後半の記述に否定側の立論をサポートするものがあった。
(よし!)
慌てて回線を切り、控え室に戻る。
『鮎子、大丈夫だぞ』
「はい!」
もう一台のマックにデータを移し、印刷する。プリントアウトができるかできないかのあたりで、ビックサイトのスタッフが
「楢原中学校さん、試合の準備をお願いします」
と声を掛けてきた。まだ、20分もあるのにどうしたのだ?
「三位決定戦のコメントがどこで終わるかちょっと予測が立たないので、控えて貰いたいと思います」
とのこと。そりゃあそうだが、ちょっと早すぎる。
「では、時間になりましたら伺います」
と、もう一度戻っていった。ちょうどそのころ、教頭先生も応援に来てくれた。子ども達も喜ぶ。
◆
開始の時間になった。もう、本当にこれが最後である。最後なのに、三年生のリサーチャーは楢原中学校の試合を見るのは初めてである。決勝に駒を進めさせるために、徹底して裏方の仕事を進めてきてくれたのである。一つになって戦ってこれたからここまでこれたのである。
『集合』
開始の時間直前にみんなを集めた。
『全員、輪になって手をつなげ』
ビックサイトの決勝前まで取っておいた出陣式である。
『ここまで、とにかく自分たちの力を合わせて、自分たちの力を出してよくやってきた。私たちは、ここまで戦えてきたことを誇りに思う。また、ここまで戦うことができたことをいろいろな人たちに感謝したいと思う』
「はい」
『私たちの敵は誰だ?』
「創価中!」
「違うだろ、楢原中だろ」
『そうだ。相手は創価中ではないぞ。自分たちだ。自分たちの中にある畏れや不安に勝てたとき、結果は自然とついてくる。そして、私たちはそれだけの準備はしてきた。そうだろ』
「はい」
『私たちは、だれを説得するのだ?』
「ジャッジ!!」
『そうだ。ジャッジにわかりやすく伝えておいで』
「はい」
『私たち楢原中学校は、ここまで、自分たちの力を振り絞って頑張ってきた。そしてこれが今シーズン最後の試合だ。精一杯やってくるんだぞ』
「はい」
『んじゃあ、【楢原中~~ファイト!】というから、みんなで【お~~!!】と言って手を離すぞ。いいね』
「はい」
『楢原中~~ファイト!』
「おお~~!!!!」
予定ではここですぐに試合にはいるはずであった。しかし、講評の時間が延びているとのこと、さらにここから10分待つことになった。ライブはこういうものである。
◆
「楢原中学校、お願いします」
との声で、子ども達は出ていく。一年生が資料を一緒に持っていく。リサーチャーは、会場の否定側の席のすぐ前に陣取る。思ったよりもたくさんの人がいる。舞台は揃った。
司会の加持さんの合図で、肯定側創価中が入場。引き続いて、否定側楢原中学校の入場となる。今年は、選手に直前のインタビューがなかったが、あれは結構いいものだ。来年は復活してほしいものだ。加持さんの笑顔のインタビューと試合中の笑顔のうなずきは、いつも生徒達を暖かく見守ってくれていて、元気をプレゼントしてくれている。
楢原中学校は質疑と反駁の予定原稿を、質疑・反駁カードというものに用意してある。B5サイズの色画用紙である。これを並べる机がなかったため、子ども達は試合前に床に並べていた。なかなか味わい深い絵であった。さあ、いよいよである。楢原中学校の周りには、北村先生、川畑先生も応援に来てくれている。
◆
創価中学校の肯定側立論が始まった。予想通り、メリットは二つ。しかも、メリットの二つ目は、ほとんど楢原中学校が作った立論と同じ、楢原中の立論の流用である。
(よし、これなら十分戦える)
生徒達も同じことを考えたであろう。
◆
否定側質疑が始まった。質疑担当は、大木麻紗美。通称ぼんちゃん。
練習試合に向かう電車で
「先生、気持ち悪い。酔ってしまいました」
と中学生2年生でありながら電車に酔うという離れ業を見せてくれた麻紗美だが、今では電車の中でずっと反駁カードを読んでいる。それでも酔わなくなった。これだけでも大成長である。
彼女の質疑を一言で表すと、「しなやかに、したたかに」である。笑顔で相手が聞かれたくない箇所を聞いていく。去年の八潮大会では反駁担当でベストディベーター賞を手にしている。その彼女が否定側では質疑に回るのである。かなり強力である。
大会までの準備では、毎年はやり言葉が生まれる。今年は、
「い~~んじゃないの~~~」
という彼女の口癖である。良い質疑、良い反駁が見つかったときにこの言葉が出る。ときどき全然良くない場合にも「い~~んじゃないの~~~」の言葉が出るのだが、なんかこの言葉を聞いていると
(うーむ。良いのかもしれない)
と思えてくるのだった。
そして、その見た目の柔らかさとは裏腹の、かなりの負けず嫌い。
『交流試合は、勝ち負けにこだわることなく、その試合で自分たちが準備の段階で考えた新しい議論をチャレンジすることが大事なのだから、そんなに勝負にこだわるな』
と言っても、
「負けたくないんですぅ~~」
と徹底的に調べてくる。睡眠時間を削り、準備をして、クラブのメンバーの中では一番遠くから学校までやってくる。かなり痩せた。そうして調べた内容が、いま、創価中の肯定側立論に使われている。どんな気持ちだろうか?
彼女のすごさは、実は肯定側第一反駁にもある。
物腰の柔らかそうな雰囲気とは違い、肯定側第一反駁になると否定側立論に3,4点反駁をし、否定側一反に対して3,4点再反駁を行うのである。肯定側の第一反駁だけで試合が決まってしまうことが何回かあった。準決勝では肯定側第一反駁を担当したが、あの試合は今大会の彼女のベストではなかったかと思う。あれをビックサイトでみなさんに見せてあげたかったなあとも思った。
彼女が質疑のポイントにしたのは、肯定側立論のプラン。国境税を設定する件についてである。この件については、連盟のHPでもずっと議論が起きており、どの学校も対応策を練ってきているが、今回初めて創価中が国境税を全面に出してきた。彼女はその実行可能性がほとんどないという主張と根拠を証拠資料付きで用意してある。そこを丁寧についていた。ただ、他の争点ももう少し触れると良かったかなとも思った。
◆
否定側立論。担当は、猿井鮎子。通称おさる。立論とは関係ないが、イラストが得意である。
彼女はもともと、マネージャーならやりますと言ってディベート部に入った。しかし、その滑舌の良さ、反応の鋭さ、物事に動じているとは思わせない笑顔と、どれをとっても立論者にぴったりである。仲間がマネージャーだけでいることを許さなかった。
彼女のすごさは、試合当日の朝に200字(30秒分)の文字数の増減があっても何事もなかったように読めてしまうことにある。こんなこともあった。
「先生、10分掛かってしまいます」
『ん、まあ、がんばれ』
これでなんとかしてしまうのだ。また、立論を読んでいるときにトラブルが発生しても、それが読みと表情に現れないということもある。 関東大会の第一試合で一つ前のヴァージョンの立論を読んでしまったが、途中で気づき何事もなかったかのように読みながら直してしまった。私はもう、冷や冷やだったが彼女は涼しい顔をしている。
『おい、昔の立論だったろ?』
「はい、そうなんです。びっくりしました」
そうは見えなかったなあ。まるで人ごとである。
今回の立論では、ディベート甲子園決勝戦、初の試みをした。それは、立論でのサンクスワードである。私が直接見たのは一昨年のJDAの決勝戦である。立論を始める前に主催者、サポートしてくれた仲間たちなどに感謝の気持ちを述べるのである。非常にいいことだと思った。ここで試合ができるのは、いろいろな人たちの支えがあってのことだからである。それを試合の前に言うなんてちょっと格好いい。
この春の関東大会では立論が始まる前に述べた。夏の関東大会では言うのを忘れた。今回の大会でも立論の前にと思っていたが、いろいろな意見を聞くと立論の中でやった方がいいとのこと。自腹を切って入れるからこそ美しいというというのだ。それならば、やりましょう、立論の中で。
否定側立論は、肯定側立論に比べて100字ほど多い。そこに自腹を切ってサンクスワードを入れるとなると、入れても5秒分である。これ以上入れると、もし途中でつっかえた場合、立論は読み切れない。
立論を読み始めた。きちんとサンクスワードが入っている。たった5秒だけど、とっても意味のある5秒だ。それを目の前で見ていた松本茂先生も大喜び。私に親指でサインを送る。
前半の3分は非常になめらかに読まれていた。声の質、滑舌、スピード。どれをとってもいい。会場に心地よく響いている。私も気持ちよく聞いていた。
ところが、会場の時計が3分を過ぎても一枚目のフローシートが読み終えていないのである。楢原中学校では、立論はフローシートに印刷してあり、一枚で3分分となっている。二枚目に移っていないのである。
(げ、まずい)
と思ったのは私である。計ってみると、7秒分遅れている。
(鮎子ならなんとかする)
という思いと
(最後の試合でちょんぼか?)
という思いが交錯していた。
しかし、鮎子はやはり鮎子であった。後半、3/5ぐらいでスピードを上げて、最後はぴったり6分で読み終わっていた。
確かに、
『前半は押さえて読んで、後半にスピードを上げて読むのだよ』
と指示は出したが、こんなに見事にやってのけるとは。私はこの段階でベストディベーターは、鮎子ではないかと思っていた。
本人の気持ちを知りたくて試合後に
『どうだった?』
と確認したら
「心の中で(7秒~~~!!)と叫んでいました。はい」
とのこと。でも顔色、声色に出ないんだなあ、これが。
相手の質疑に対しても、いつもはきちんと返すのだが、今回はちょっと焦っていたのが残念であった。
◆
否定側題第一反駁、担当は脇田愛美。通称わきめぐ。メリットクラッシャーである。昨年は、質疑担当であったが、今年は否定側の時には第一反駁。肯定側では質疑を行う。
彼女の否定側一反はすごい。言葉が強いというわけではない。大声でまくし立てるというのでもない。何がすごいかと言えば、反駁の修正の積み重ねがすごいのである。一つの試合をすると、次の試合にはその試合には前の試合の反省がきちんと活かされているディベートをする。彼女も負けず嫌いである。
少しでも見やすくなるように反駁のカードを何回も直していた。第二反駁の常盤が
「第一反駁の内容を知りたいからカードをくれ」
というと、コピーをしてみるのだが薄くて読みづらいと分かると
「分かりました。書いた方が頭に残るし、書き直します」
と10cm近く厚みのあるカードを書き直すのである。確かに書いた方が頭に残るが、いとも簡単にそれをやってしまうところがすごい。私にはできない作業である。そして、分かったところには、
「はい」
できないときは。
「すみません」
これがきちんといえる。これらが、下級生の見本になるのだ。
彼女はバドミントン部との両立にも挑戦していた。体を鍛え、頭を鍛え、将来は弁護士になるか養護学校の先生になるかという希望も持っている。弁護士の資格を持った養護教諭なんて格好いいぞ、愛美。
ま、試合後に
「え?、この反駁ってそういう意味があったの?」
なんて、自分の反駁の意味が分かっていないことを暴露する発言も何回かあったが、それはそれでご愛敬である。
試合では、反駁がスコーンと決まった。全部で7点の反駁を宣言し、6点行うことができた。重要なポイントはすべて触れて、ほとんどクラッシュ、または弱めることができた。190万人の失業者増加が、完全失業率を2.8%上昇させることを言い忘れてしまったが、私が見てきた今シーズンの30試合ぐらいの中では、最高のできばえである。ここまでの戦いはすべて楢原中のペースで行われている。これで勝つとすれば、やはりベストディベーターは脇田愛美になるかもしれないと思い直した。彼女も、春の関東大会ではベストディベーター賞を取っているのだ。
◆
肯定側の第一反駁は、プランの実行可能性に問題ないことを述べ、否定側の立論を攻撃し、自らの立論を修復した。練習試合の時に比べると上手くなっている。しかし、まだ、否定側第一反駁の効果がきちんと残っている。さあ、あとは、否定側第二反駁だ。
◆
第二反駁担当。常盤正太。ペンネーム、薬缶家次郎。将来は落語家になりたい、楢原中学校ディベート部部長で生徒会会長。本当は江戸時代に生きている変人である。
関東支部の人間で、彼のことを知らない人間はいない。
『変人、馬鹿たり!』
というと
「いや~師匠、最高の誉め言葉を頂きました」
という位の馬鹿である。
しかし、このチームは彼の馬鹿力なしには存在しなかったチームであろう。
二年生のとき、
『ジャッジが何を考えているかわかると、良いディベートができるんだけどなあ』
というと、
「じゃあ、ジャッジ講習会に参加します」
といい、大人に混じって参加し、一番前の席で一つ一つ質問していたのも彼である。
昨年の予選リーグ敗退の悔しさを体全体で表していたのも彼である。
今シーズンの論題発表の時期、私以上にソワソワしていたのも彼である。
今年、新入生にディベートを教えていたのも彼である。
連盟HPラウンジの最長スレッド記録の最初の質問をしたのも彼である。
全国のディベート先達に質問のメールを送っていたのも彼である。
そして、なんと言っても発言の時に髪の毛を捻らないと発言できないのは彼である。
去年の大会から第二反駁全体の質がぐんと向上したが、その功績は彼に負うところが大きいであろう。第二反駁は、価値の比較をしながら試合全体を総括するパートである。やることは分かっているのだが、どうしたらいいのか、なかなか分からないという意見が多く聞こえていた。
従来の第二反駁のスタイルは以下の方法で取り組むことが多く見られた。
第一反駁の繰り返し。
第一反駁の繰り返しを行い、重要性の比較。
そもそも立論の段階での価値の大きさ比べ。
そして、争点の比較といいながら、実はメリットとデメリットのラベルの比較が行われていた。私は去年、ジャッジ講習会を常盤が受講した段階で彼に話したことがある。
『ディベートは、ジャッジに負荷が掛からないようにスピーチするのがいいディベートなんだが、いまの第二反駁はジャッジに負荷が掛かってディベーターが楽をしている。この逆で、ディベーターは大変だがジャッジが楽な第二反駁があるんだが、やってみる気はあるか?』
「はい」
『はいって、お前、難しいぞ。まだこの方法で成功している中学生は見たこと無いぞ』
「いいっすねー。じゃあ、おいらが一番になりましょう』
ということで伝授し始めた。
その方法とは、
メリットとデメリットのラベルの奥にある本当の争点を、2から3点掴み出す。
その争点がどのようになったら、自分たちの勝ちなのか基準点を示す。
基準点に従い自分達の議論と相手の議論を発生の過程と重要性・深刻性で比べる。
3の結果、自分たちの議論が勝っていることをジャッジに証明する。
4の結果、論題を採択するべきか採択するべきでないかをジャッジに伝える。
である。いわゆるジャッジの判定スピーチを肩代わりするスピーチである。
箇条書きにするとなんだか簡単に分かった気になるが、実はこれは難しい。中学生にこれを要求して良いのかと私も随分考えた。だいたいからして、1の「ラベルの奥にある本当の争点」なんてのは、試合中に見つけるのはかなり難しい。
例えば、今年の論題【日本は環境税を導入すべきである。是か非か】で行う場合、肯定側のメリットのラベルが「地球環境の保護」で、否定側のデメリットのラベルが「海外移転の増加」なんてものを出してきたとき、その奥にある争点は、『プラン導入で、二酸化炭素は増加するのか減少するのか』であったり、『プラン導入で、人間の生活の質は向上するのかしないのか』であったりするわけである。これを試合を聞きながら判断し、1~5のスピーチができるように試合中に構築するのである。去年は、これが私の見たところ、いいときで7割ぐらい完成していた。今年はこれの完成に彼は力を注いだのだ。全国大会前は、最終立論を構築しつつ、第二反駁の準備をしていたわけである。
しかし、春の関東大会、夏の関東大会、交流試合、八潮大会、と彼はそれをなんとか自分のものにしようと格闘していた。その斬新なスタイルは関東支部の第二反駁の生徒諸君のみならず、東海地区にも影響を及ぼしていたといえる。彼の第二反駁を他校の第二反駁者が見学にやってくるのだから。
さあ、最後の第二反駁である。
準備時間の二分が始まった。自分の席に座っているのは30秒である。彼は、残りの時間を演台で過ごす。席を立つ時仲間に必ず聞く、
「何か言うことは?」
そして、三人が口々に言う言葉は
「頑張ってください」
だけである。
今回も30秒で席を立ち、同じ言葉を残した。
(よし、大丈夫だ)
そう思った。
第二反駁が始まった。争点を立て、一つ一つ丁寧に説明していく。
しかし、早い。早口すぎる。
(常盤、私には分かるが、ジャッジにはどうだろうか)
(その争点は捨ててもいいんだぞ、時間を考えろ)
当然声など届かない。思うだけである。
彼の右手は頭の毛を捻っている。
(そうだ、常盤、頭のねじを巻け)
「証拠資料を引用、・・・・・しません。みなさんのお陰でここまでこれました。ありがとうございました。」
第二反駁は、時間切れであった。
◆
肯定側の第二反駁は、今までの第二反駁とは比較にならないほど上手くなっていた。最後の30秒で今までの議論を途中でうち切り、用意してあったまとめの原稿に切り替えて立論の哲学を伸ばしながら、環境税導入の必要性をまとめていた。
◆
すべての試合が終わった。
私のこの時点の判定は、5-0で肯定側の勝ち、または3-2で否定側の勝ちである。肯定側のプランとメリット2が残り、哲学の通りが良いと判断されれば、5-0で。肯定側の立論の立証が甘く、否定側の立論がしっかりとジャッジのフローに残り、否定側の第一反駁の攻撃がポイントに入っていると評価されれば3-2である。
ステージの上では、生徒達は資料の片づけをしている。
ステージ下に寄っていき最初に出てきた私の言葉は、
『ごくろうさん。よく頑張った』
であった。実際、良い試合をした。
しかし、生徒の表情は硬い。肯定側の第二反駁のまとめが予想以上に上手かったことで負けたと思いこんでいるのであろう。創価中学校の席では勝利を確信しての大騒ぎである。
私も、つい、
『常盤、どうしたんだ?』
と言ってしまった。常盤は、
「最後にやってしまいました」
と言っていた。
◆
一年生が資料を抱えて控え室に向かう。兎に角試合は終わった。食べていない昼ご飯を食べて判定を待とう。ふと気が付くと常盤が居ない。
『どこいった?』
と確認しても誰も分からない。分からないままで控え室の扉を開けた。
「うぇぇえええっ・・・うぇぇえええっ・・・・」
と声にならない声がする。
(なんだ?)
と思ったら、床が動いている。常盤だ。
(去年のように極度の緊張で、胃けいれんを起こしているのか?)
と思ったら、嗚咽であった。
第二反駁は、立論からパスされ続けてきたラグビーのボールをきちっと受け止めて、確実にトライする役割である。そこにかかる責任感は半端なものではない。特に今年の楢原中学校の立論、質疑、反駁の三人娘はほぼノーミスでパスをつないでくる。その責任をよりによって決勝のステージで果たせなかったという自責の念が、嗚咽を起こさせているのである。
『こら、寝っ転がっていないで、起きろ。まだ、判定は出ていないぞ』
ビックサイトで試合をしたいという思いでこの半年を戦ってきた。その結果があと1時間後に出る。そして、結果は悪いと予測されている。落ち込むのは分かる。が、やりきったことを自らが誉めることはできる。
控室で、この半年を振り返っての一言を一人一人に言わせた。やりきったこと、やりきれなかったこと、いろいろあるだろうが、とにかくここで一つの区切りがついたのだ。胸を張るが良い。
一年生の一人は、
「自分の不甲斐なさが分かりました、力不足だったと思います」
と言いながら泣いていた。
「お前が泣くのは変だろう」
とみんなに突っ込まれていた。しかし、三年が戦う姿を見て、後輩が泣けるなんてなかなかないことだ。二,三年生よ、来年は諸君の活動で一年生を泣かす番なのだぞ。
「ジャッジが機械だったらいいのに」
という声が聞こえた。自分たちのスピーチの早さに付いてこれないジャッジがいたらどうしようという不安、肯定側のスピーチだけしっかり理解しているジャッジがいたらどうしようという不安などいろいろな不安から、こんな声が出たのだ。
『それは違う。決定的に違う』
落ち込んでいる彼らに、少し語気を強めて言ってしまった。
『機械がジャッジなら、私たちは機械のようにスピーチしなければならなくなってしまう。ジャッジは人間であり、その人間であるジャッジを説得するのがディベートなのだよ。人間である以上、いろいろな考え方を持っている。また、聞き逃したりもするし、書き取れなかったりもする。だけど、それは当たり前のこと。肯定側にとっても否定側にとっても同じく当たり前のことだ。いろいろなジャッジがいるけれども、そのいろいろなジャッジがみんな(あー、なるほど)と思えるスピーチを行うことが、ディベートなんだよ。そこは十分に理解しておく必要があるぞ』
◆
控え室を出て、外の空気を吸いに行ったら、北海道教育大学付属札幌中学校の佐々木先生に会った。丁寧な指導で、北海道の中学としては初のビックサイト出場を果たした。本人は謙遜されていたが、大会前に届いたトライアングルの原稿を読む限り、良いチームを作ってきていることは十分分かっていた。そして、その結果がその通りに出たのだと思う。
お互いの健闘をたたえて、しばらくディベート指導談義に花が咲いた。たかがディベート、されどディベート。この競技を通して、生徒が伸びていく様を目の当たりにすることができた幸せな指導者だったことを確認した。
◆
判定は、瀬能和彦主審からである。
ディベートの達人は、ユーモアたっぷりである人が多い。私が推測するに、ディベートでは議論の全体を見る目と、部分を見る目の両方を持っていないと戦えないのだが、この二つの目(千葉大学助教授の藤川氏は、これを「鳥の目」と「蟻の目」といっている)が、会話の枠の理解を促し、笑いを生み出すズレを作り出すのに有効な武器になっているのだと考えている。瀬能さんはまさに、この達人である。
しかし、自分のチームの結果発表の時にこれをやられると、結構辛いということが分かった(笑)。 面白いのだが、自分の顔が引きつっているのが分かる。
肯定側の立論の評価がどうなるか。これが、ポイントだった。ジャッジは、メリット二つとも残しているようであった。否定側の反駁は、つぶす反駁ではなく弱める反駁であったとの評価である。顧問の私はつぶす反駁も多くヒットしていると考えているが、これは仕方がない。残ったメリットが私たちが作った立論というはいかにも皮肉である。ただ、コメントを聞いていると、肯定側の二酸化炭素の減少を否定側がターンアラウンドしてデメリットに引っ張っていったことを評価しているジャッジもいるようである。
否定側の立論に関しては、発生過程の4点について3点までが弱められているとの評価であった。守りきらなければならない部分を守れていない。また、肯定側の1反に返し切れていないと判断された部分もあったようである。
「判定は、4対1で、肯定側創価中学校の勝ちです」
後少し。後少しであった。
◆
高校の部の結果発表である。高校の部は、是非、筑田さんの女子聖学院に取ってほしかった。関東地区のみならず、あんなに高校生全体のことを考えて指導している筑田さん。その筑田さんが、忙しい時間を割いて指導している女子聖学院に勝ってほしいと思った。
しかし、結果は3対2で負けであった。思えば、関東大会の受付で一緒に遅れ、初日神田外語大学に向かう東京駅では一緒の電車に乗り、全国大会も一緒であった。うーむ、同じ年である。うーむ、つくづく縁があるなあ。だが、筑田さんは6年間で3回も決勝に進出している。喜びも悔しさも三倍なのだろう。来年も同じ年であるから、同じように決勝のステージを狙いたいし、今度は一番になりたいねえ、筑田さん。
◆
高校の部の結果発表の後は、表彰式だ。
表彰式では一つの不安と、一つのドキドキがあった。
先ずは、不安の方から。それは、常盤のシャツとズボンである。
予選リーグのときに、ズボンのベルトをしないでダラーンとしていたのは見ていて分かっていた。しかし、途中で直させてリズムがずれてもまずいかと思い、チャックが開かなければいいかとそのままにしておいた。しかし、ビッグサイトの表彰式である。さすがにベルトを締めていないのはまずい。
大会参加校に参加証を渡すときに、彼はステージに上がった。おそるおそる見てみると、ベルトは締めていた。ああ良かった。しかし、賞状を貰ったとき、シャツは出ていた。ああ。
そして、準優勝の表彰である。
(ああ、シャツ・・・)
なんとか伝えようとしたが、声は届かない。常盤は、二杉理事長の前に行き、賞状を貰おうとしている。そのとき、会場から
「シャツが出て居るぞ」
との声が掛かった。
(ああ・・)
すると、常盤はあのステージで堂々と直すではないか。誉めて良いのか悲しんで良いのか。その姿を見て二杉理事長は
「え、ポリシーで出しているんじゃないの?」
とつぶやいたそうだ。学芸大学付属高校の志村君のようにポリシーで出しているのかと思っていたようだ。理事長、彼は違うんです(笑)。
賞状とトロフィーを貰い、ステージから降りる。疲れたり落ち込んだりしているが、いい笑顔もたくさんあった。良かった。
もうひとつのドキドキきは、ベストディベーターの発表である。私は密かに楢原中学校から出るのではないかと思っていた。「ベストディベーターは、楢原中学校。立論の猿井・・・」という発表に備えてデジカメの電源を入れていた。しかし、結果は三位決定戦の下館市立南中学校の水越さんであった。彼女も定評のある反駁を行う。この日の戦いは見ていないが、それもあるんだろうなあと思える結果である。しかし、図書券5万円分は結構大きい。優勝はノートパソコンも貰えるし。準優勝は、実は何も景品がない。ものに拘るつもりはないが、やっぱりちょっと気になるなあ(笑)。私が思うぐらいだから、子どもたちはもっと思っているだろうなあ。いや、しかし、猿井のベストディベーター惜しいなあ。
◆
判定後、控室に戻った。片づけが終わっていない。
控室に戻ると、負けた悔しさが、体の奥から込み上げてきたのであろう。むくれた顔になっている子どもたちが増えている。
『結果が出たな。この結果をジャッジのせいにしてはならないぞ。ディベートで勝てるのは、きちんとした準備の上に、わかりやすいスピーチがあった場合だ。これがジャッジに伝わるから勝てるのだ。その結果をジャッジが判定として伝えるのだ。負けた場合は、まだ自分たちの修行が足りなかったのだと思うだけだ』
『だけど、最後の最後までドキドキできるなんて、お前達は幸せなんだぞ。たっぷりと甲子園を味わえているんだぞ。決勝のステージに立てたことに胸を張れ』
しかし、まだ、収まらない。
理事会が始まったとの知らせが入ったが、ここで終わるわけには行かない。
『むくれた顔をするではないぞ。胸を張れ。君たちは、自分たちの力でここまで来ることができたのではないか。むくれた顔は応援してくれたみんな、協力してくれたチームのメンバーに失礼だぞ。ここまでこれたのは、仲間のお陰。ここで負けたのは自分に力が不足していたからなんだぞ』
『本当のことを言うと、試合の前にいくつかアドヴァイスをして置いた方が良かったかなあと思ったこともあった。たとえば、第二反駁は、「これとこれを残して、後は捨てて議論をまとめればよい」とか。しかし、ここまでそういうことはしてこなかったし、それをしては勝ったら「先生がいたから」になるし、負けたら「先生の所為」になってしまう。そう思って、私は我慢した。だから監督としての私は失格かもしれない。勝ちに拘りきれなかったから。さっきは君たちの力不足だといったが、そうではないかもしれない』
「いや、それは先生の指導方針だからいいんです。自分たちの力が無かったんです」
『いや、やっぱり私の指導が・・・』
「あれ、いつの間にか麗しい師弟愛になっている」
『参ったなあ(笑)』
「うひひひ」
子ども達は本当に良くやりきった。
これは監督の私が自信を持って言える。
いや、私が自信を持って言う必要もないだろう。
彼らは、自分の内側に確かに持ったに違いない。
やりきったものだけが手にすることのできる自信をである。
◆
理事会のある私は、ビックサイトで子どもたちと分かれなければならない。
電車の中でもう少し愚痴でも聞いてあげたいところだが、そうもいかない。疲れている子どもたちだけで八王子まで帰すのも酷であるが、それも想定して日頃から練習試合の後は自分たちだけで帰れるようにしてある。帰ったら私の携帯電話に連絡することも躾てある。大丈夫である。だが、今回はうれしいことに保護者の猿井さんと脇田さんが一緒に帰ってくださるとのこと。安心感がぐっと増した。
『ぢゃあ、さよなら』
「ありがとうございました!」
(この言葉を聞くことはあっても、このメンバーで聞くことはこれが最後なのだなあ)
さすがの私も少しは感傷的になる。しかし、これが生きていくことなんだから仕方がない。一つのことをやり、やり遂げ、次に向かう。この繰り返しでしか人生はない。今回は割と大きな結果を残すことができた。だが、それももう明日からの生活には直接は関係のないことになる。
(もし、あそこでアドヴァイスをしていたら)
(もし、決勝戦が肯定側だったら)
(もし、・・・)
時間が経てばいくつもの「もし」が頭の中に浮かんで来て、
(ああ、ちくしょう)
と思うことだろう。
しかし、今はよそう。そうしていてもきりがない。そして、言い切っておきたい。
「楢原中学校ディベート部は、過去には生きない。また、新しい時間を楽しく激しく過ごそうではないか」
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11 ディベート甲子園 戦いの後に
大会が終わった。
私は翌日の8/7に行われた多摩関戸橋花火大会で、本当の打ち上げをした。この花火大会は毎年八月の第一火曜日に、我が家の目の前で行われる。例年25万人の人出で賑わう。6600発、1時間30分の豪華なショウである。毎年お世話になっている仲間を招待して楽しくやる。今年は18人が来てくださった。
ディベート甲子園が八月の第一(土)、(日)、(月)に予定されるようになったので、これからはディベート甲子園の翌日が花火大会というのが定番になりそうである。私はうれしいが、準備の中心になる奥さんは大変だあ。
◆
私はこの花火大会があったので、学校の片づけは8/8に行う計画でいた。しかし、大会で疲れていた私は、最後の最後に
『じゃあ、明日10時に集合。片づけをする』
と言ってしまったらしいのだ。
それがわかったのが、花火大会の準備をしているときに掛かってきた奥村先生の電話である。
「生徒が居ますけど」
参った。失敗した。生徒諸君、すまん。
『せっかく来たんだから、掃除をさせて帰らせてください』
と伝言する。
◆
翌日、私も片づけをしに学校に向かった。ほとんど綺麗になっていたので、学校に来ていた一年生4人と二年生1人と今後の話をした。14人いた甲子園のメンバーを考えると5人というのはものすごく寂しい。誰か大事な人をどこか忘れてきてしまったのではないかと感じるぐらいだ。
しかし、これがほぼ全員なのである。その事実を確かめて、そこでみんなで意見を出し合った。
ディベートは体力が大事だから、体力づくりもしよう。
基礎的なディベートの技術を学ぼう。
秋の大会でいい成績を残そう。
新入部員の勧誘をしよう。
などである。
私の方からは、一つの課題を出した。
『夏休み中に、環境税を調べたことでわかったネタを使って、懸賞作文に応募すること。せっかく調べたのだから、ディベートの試合以外でもアウトプットしておこう』
ということである。
子どもたちにやらせるだけではなんなので、私はこのまとめを書くことにしたのだ。書いてみて、こんなに多く書くことになるとは思わなかったが(笑)。
◆
片づけの日に、教頭先生にメモを残した。
『野球の甲子園などでは、いい成績を残すと県庁などに訪問しますが、ディベート甲子園でも全国大会準優勝なので、市長訪問などはできないでしょうか?』
のようにである。
後日、学校に行ったら教頭先生から良い知らせを貰った。
「市役所に連絡したら、市長と教育長が時間を作ってくれるそうだよ」
とのことである。そうでなくっちゃあね。電話連絡で出席者を確認したところ、全員参加できるとのこと。良かった。
◆
久しぶりにあった子ども達は、元気そうであった。
三年生は、玄関前で作文を書いたり問題集を解いたりしている。1,2年生は、ぼーっとしている。やっぱりせっぱ詰まっているのは三年生である。
市役所の八階教育委員会庶務課に向かう。途中で大学時代の同級生で、現在八王子市教育委員会の指導主事をしている千葉に会う。それぞれの場所で竹内常一ゼミは活躍していることになる。
ここから今度は、四階に案内される。
エレベーターを降りると、目の前に秘書課の文字が目に入ってくる。そして、その奥に市長がいるわけだ。市長のいる場所は、他の作りと違って茶色の木材で作ってある。落ち着いた雰囲気になっている。生徒全員と校長と私の総勢15名は、特別室で待つことになる。資料の入っている鞄をテーブルの上に、ドンと置いていたので
『鞄は机の下』
と言うと、あっという間に片づいた。どうやら緊張しているようだ。
しばらくすると、教育長がやってきた。ディベートのことを理解してくれている質問をいただいた。やっぱりちょっと調べればわかる内容を質問されると、答える側はがっかりしてしまう。
予定の時間になり黒須市長がやってきた。庶務課の担当の方が司会になってくれて、会が進む。なにぶん、表敬訪問なんてこっちは初めての経験である。何をするのかわからない。しかし、市役所側は何回も受けているだろうから、任せるのが一番である。
はじめに、校長から挨拶、次に顧問からディベートの説明、大会の簡単な説明をして市長から質問を受ける。市長も、教育長も学校問題で良い話題を持ってきたということでうれしそうであった。
「議論をするというのは、民主主義の基本ですからねえ」
「議会の運営も話し合いですから、こんどは君たちに知恵を拝借することがあるかもしれませんね」
「八王子は、今年環境元年ということで宣言をしています。そのことを学んでいるというのは心強いです」
自分たちの活動を喜んでくれる人がいるというのは、やっぱりやっていて嬉しいものだ。
途中、市長から質問があった。
「ディベートでは、どちらの立場も戦えるように準備をするということですが、やりやすさから言うとどちらの方がやりやすかったですか?」
常盤が答えた。
「どちらでも大丈夫です」
あくまでも強気の男である
しかし、市長は質問を替えた。
「では、ディベートから離れて、環境税のことを学んだ君たちとしては、本音では導入するべきですか、やらない方がいいですか?」
私が
『では、賛成の人はパーの手を、反対の人はグーの手を一斉に挙げてください』
とやってみると、楢原中学校ディベート部では、8割が賛成であった。
「ディベート部は、八王子の中学校にたくさんあるのですか?」
と市長からも教育長からも質問された。
『楢原中学校だけだと思います』
「とても大切なことですから、八王子中に広めたいですね」
「実際にやっているところを見る機会はありませんか?」
ということなので、
『授業はいつも公開しています。が、この子ども達の決勝の戦いがビデオで販売されますので、市内の中学校にすべて一本ずつおいていただけると嬉しいです』
と宣伝しておいた。校長は、
「実際に見て貰うと凄さがわかります。是非ごらんになってください」
と話してくれた。広がると良いなあ。
◆
表敬訪問を終わり、職員室に戻ると、教頭先生から
「近所の市民から電話があったよ」
と伝えられた。それによると、
「25年前に子どもを楢原中学校に入れて以来ずっと近くで楢原中学校のことを見てきたが、今回のことはとても感動した」
ということをわざわざ電話で伝えてきてくれたのだそうだ。ありがたいことだ。
また、PTAの会長さんと会計さんもやってきてくれた。関東大会優勝と、全国大会出場のお祝いを持ってきてくれたのだ。ありがたい。来年の論題の資料を勝ったり、バーベキュウで打ち上げするときの肉代に使わせていただこう。
◆
こうして、楢原中学校ディベート部の2001年前期の戦いは終わる。終わってみれば実にあっという間の半年であった。しかし、勝ちたいという思い、その思いを実現させるための地道な活動、さまざまな人たちの応援、悔しさ、うれしさ。いろいろなことを学べた。
これから秋の大会に向けての二学期が始まる。1,2年生はこつこつと努力をはじめる。来年の優勝を目指して。
最後に、楢原中学校ディベート部をいろいろな面で支えてくださったみなさんに、心から感謝の気持ちを込めてこのレポートを終えたいと思います。
◆
追記:最後まで読んでいただきましてありがとうございました。楢原中学校ディベート部の子ども達にもし言葉をいただけるようでしたら、楢原中学校 または、池田修までメールをいただくか、掲示板に書き込んでください。よろしくお願い致します。
なお、このHPのレイアウトに関しては大阪教育大学の野浪正隆助教授にご協力頂きました。感謝いたします。
おしまい。
58947文字。
原稿用紙で146枚だあ。
2001年 9月 2日 (日)脱稿
2002年2月18日(月)ver.2
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