シリアス虫

シリアスマンを見たけどよかった
ユダヤ教について全然知らないので初めて知ることが多く、困りごとがあったらラビに聞くシステムとか普通に羨ましいなと思った

主人公は困ったことをラビと弁護士に相談していたが、私が本当に困ってしまったときには弁護士にしか相談できない。そうなると、自分の行動の良し悪しが法律によってしか判断されないということになる。法律は証明できることにしか有効でないように思う。でも私たちの暮らしの中での困りごとって証明できることはそんなに多くないんじゃないかな…?弁護士にしか相談できないとなると、法律は潜在的なところで私たちの聖典になっているような気がする。実際、なんでもかんでも「法律にはこう記してあります」と言ってくる人たまにいるし

不幸な出来事が連鎖とまではいかないゆるいつながりをもって続いていく感じ、私が生活に対して感じている面白さはこういうところだったりするのでそれがずっと見られて妙に安心してしまった。
昨日はfc2のアダルトチャットをのぞいてみた。AVをずっと垂れ流してる放送があり、その中で戦隊モノヒーローに扮した女性3人が局部を見せつけていた。古い映像だと感じた。その後にTwitterをしているとなぜか同じ動画が流れてきて、そのときにシリアスマンのことを思い出した

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