1クレ250GPが人生を変えたお話
突然ですが、あなたは「バタフライエフェクト」という言葉をご存知でしょうか?
1匹の蝶の羽ばたきが巡り巡って竜巻を起こすかの様に、些細なきっかけが元となり後に大きな変化をもたらす現象のことを言うそうです。
自分にとって人生最大の「バタフライエフェクト」は、2009年9月9日に緑色の新作アーケードゲーム筐体へ投入した1枚の100円玉だったと思います。
10周年を迎え終わりを告げたそのゲームについて、自分のお話にお付き合いいただけたら幸いです。
"ボーダーブレイクとクラン演習”
全国対戦やイベントマッチなど、様々なゲームモードがあるボーダーブレイクですが、中でもクラン演習はこのゲームで最も面白いコンテンツです。
自分はこの10年間で5つのクランに加入しました。そして、その全てが大きな変化を与えてくれる大切な場所だったと感じています。
1.スパッチラ普及委員会
2.修羅羅羅!!
3.みるきーうぇい
4.Copernicus(こぺに、ばちこの乳ビンタ等)
5.SECRET(元・バレたら解散)
これらのクランで自分が体験したことを、順番にお話ししたいと思います。
1.スパッチラ普及委員会 ~はじまりの村~
自分がボダを始めたのは中学生の頃で、プレイ料金の高いボダをやり込むことは難しく、溜まった欲求は当時盛り上がっていたニコ動のプレイ動画を視聴することで発散していました。
そんなある日、丸上げや直撮りが投稿される中、毎回凝った編集で投稿されたとある狙撃乗りの動画が目に留まったのです。
その投稿者のくろむさんがクラマスを務めていたのが「スパッチラ普及委員会」であり、当時動画勢だった自分はウッキウキで参加申請をしました。
主な活動内容はUAD40基でワフトを攻撃してみた等のネタ演習動画撮影で、毎回喜んで参加していた楽しい記憶があります。
時々通常の対抗戦も行っていましたが、今思い返せば全国対戦の延長線レベルの域を出ない拙い試合内容でした。
そんなこんなで真っ当なエンジョイプレイヤーだった自分ですが、とあるクラン対抗戦によりその道筋を大きく変えられる事となるのです。
相手クランの名前は第三十三代碧陽生徒会といい、平均ランク・人数規模共に中堅クランだったと記憶しています。
対抗戦相手としてはやや格上、厳しい試合になると覚悟していた僕らスパッチラ陣営ですが、その予想を遥かに上回る凄惨な光景が待っていました。
Skypeで1時間程度会議したこちらの作戦は、なんと敵陣営の麻1枚に全て崩壊させられてしまったのです…
忘れもしないMAPはウーハイ産業港、後に聞いた相手のCNはばるさる等で有名なTRIPさんでした。
見えているコア凸が止まらない、防衛に戻った味方が撃破される、結果ラインも押されていく蹂躙ぶりです。とても試合と呼べる内容ではありません。
当然結果は0-4 お通夜ムード漂う反省会Skype窓でただ一人怒りに打ち震えるクソガキこそ、何を隠そう当時の自分でした。
「俺にプレイする時間と金があればもっと上手くやれる!!!あんな麻1人に負けたりしない!!!!」
と。
今思えば何を根拠にそんな馬鹿げた妄想を始めたのか分かりませんが、自分を信じて疑わなかった当時のアホは、高校入学と同時に部活も勉強も放り投げアルバイトとゲーセン通いに狂うこととなります。スパッチラ編おしまい
2.修羅羅羅!! ~迷い込んだ終盤のダンジョン~
あれからしばらく、時代はver3.0ユニオンに突入しました。
無我夢中にプレイを続けた自分でしたが、気が付けば当時まだ数の少ない「SS4ランク」にまで到達していました。
有言実行、成長したのか!?在りし日の雪辱を果たすことが出来たのか!?
その答えは完全にNOです。
ユニオン環境を経験した人なら誰でもご存知かと思われますが、時代はリペフィキャンセル真っただ中、無限のSPと異常な回復範囲・回復速度でユニットを持つ方が珍しい有様でした。
自分のプレイスタイルがたまたま環境にドハマりしてしまい、誰に教わることもなく我流で歪なクソプレイでランク上げした結果はお察しの通り。エゴサをする趣味はありませんでしたが、それでも耳に届くほど晒されていた覚えがあります。神奈川のいかちゃと言えばリペフィ雑魚SSの代名詞と言っても過言ではないでしょう。
そんな自分の元へ、ボダ人生2度目の「バタフライエフェクト」が起こります。
忘れもしないMAPは第三採掘島イベント戦、暇潰しに右陣営ベース前のキリンみたいなクレーンに乗って1人で遊んでいました。
すると、見知らぬCNの敵麻がこちらに近づき飛び跳ね始めたではありませんか。嬉しくなった自分は一緒に跳ね回り、最後は2人で海に向かってACダッシュしていったのをよく覚えています。
満足したので家に帰るため駅へ向かう途中、TwitterでFF外からリプライが来ていることに気が付きました。
内容は詳しく覚えていませんが、ざっくり言うと
こくとさん「さっきのお前だろ?横浜来たらボダ教えてやるよ。よろしくメーン」
なんかそんな感じだった気がします。
率直な感想としては「えっ、なに?怖っ…横浜ラウワンにいる強い人じゃん…」って思いました。
そう、この方こそが令和元年の現在に続くまで良くしていただいている尊敬する恩師であり第三期エスボダチームメンバーであり防衛麻なのにコア凸金でありパパであるこくとさんだったのです。
偶然イベント戦で遊び、偶然ツイ垢を捕捉され、偶然リプを飛ばされる。思い返せば人生でそう何度もない奇跡でした。
地元のゲーセンとはいえ凄く緊張しながら会いに行くと、初対面とは思えないほど親切に、アセンや立ち回りAIMの仕方その他諸々こと細かに教えて下さりました。その上油そばまで奢っていただいたのは一生忘れられません。
ここまででも十分すぎるほどお世話になりましたが、更に運営中のクランへ誘っていただけました。それこそが「修羅羅羅!!」です。
無知とは恐ろしいもので、世間知らずのアホな自分は当時それがどんな場所なのか知る由もなかったです。
誘われるがままクランへ加入し、対抗戦で言い渡された役割はあまりにもシンプルでした。
「リペフィで修理しろ。後は好きにしていい」
恐らく日本全国どこを探してもこんな役割を割り振られる支援兵装はいなかったんじゃないかと思います…
週末の対抗戦はもちろん、デコポン杯等の大規模な非公式大会まで参加させていただき、後の礎となる何物にも代えがたい体験でしたが、クラン内の高ランクに「いかちゃの右腕」「いかちゃの眷属」というCNで煽られ無知で間抜けな自分でも流石に怖かったです。
その後様々な事情が重なり(自分のせいか?)クランは爆発、空中分解してしまいました。修羅羅羅!!編おしまい
3.みるきーうぇい ~真の仲間~
前述の通り、唯一の所属クラン修羅羅羅が爆発してしまい家なき子と化した自分は再就職先を探すことになりました。
そこも当然こくとさんが斡旋して下さり、当時高ランクが集まっていると噂の謎多きクラン「みるきーうぇい」クラマスのレンд・)★.+゚さんにアポイントメントを取ることに成功。DMでやり取りをした結果、晴れて加入が決まります。
ちょうどその頃は艦これ全盛期の時代。右も左も皆ブラウザ版艦これをプレイする世の中です。みるきー内ではレンさんの顔文字「д・)★.+゚」に艦これキャラ名を付けるCNが大ブームになっていました。
僕は駆逐艦の皐月が武功抜群の史実込みで大好きで、加入と同時に「皐月д・)★.+゚」を名乗らせてもらえることになり、その後は稼働終了間際までこのCNのお世話になります。
閑話休題。みるきーも修羅と同じく高ランクの集まるクランであるため最初はとても緊張していた覚えがあります。言動に関しては特に…
しかし、それらも杞憂に終わりました。
クラメンの高い出席率から毎週組まれる対抗戦、相手クランとの調整など連絡を素早く済ませるやみさん、MAPとメンツ毎に独特で類を見ない作戦立案をするこくとさん、主な運営を2人に任せた結果botと呼ばれ皆に愛されるレンさん、LINE窓を和ませるセン支全1のぽ様(自分はそう確信している)他クラメンの皆さんのおかげですぐに馴染むことが出来たことを本当に感謝しています。
自分は見知らぬ相手と対抗戦に出るのが得意ではないため、むやみにメンバーを増やさないという方針も大好きでした。
「この人はどんな動きが出来るのか?」
「この状況は1人で任せていいのか?」
「自分もフォローに入るべきか?」
こういった試合中の思考が全て淀みなく意思決定出来る爽快感は全人類に味わってほしいと思うくらい気分の良いものです。後述するSECRETも非常に近いですがやはりみるきーに軍配が上がります。
総勢30名を越えるため全員の関係について語ると終わりが見えないのでざっくりまとめてしまいますが、麻・重・砂・支全兵装の上位プレイヤーが一堂に会し驚異的な団結力を持って戦いに挑む素晴らしいクランでした。
これらの経験を糧に、自分は第3期エースボーダーに選抜されることが出来ました。その上、チームリーダーはあのこくとさんです(抽選会生放送では自室で大声をあげ叫びだしガッツポーズをしていました)
こくとさんのリーダーシップを筆頭に、いたちさんはっぱさんしんえーさんぼびーさん剣マス先生あくさまヒヤシンスさんシオンさんギョッキ合わせて11人の信頼出来る仲間達と共になんと優勝。稼働終了した今でも付き合いの続いている猛き閃光の雷帝という素晴らしい輪に加えていただくことが出来たのです。
これらについて語り始めると別の記事を書かなければならないため、惜しいですがこの辺りで切り上げたいと思います。
それでは最後に…
”みるきーうぇいはアケボダ史上最高のクランです!!”
みるきーうぇい編、おしまい。
4.Copernicus 〜まだ見ぬ出会いを求めて~
みるきーの対抗戦だけでは物足りなくなった頃、サブカを育成し別のクランを探していた自分は砂乗りクランの「こぺに」に辿り着きます。
クラマスのかとれあさんとはプラントH時報をきっかけに出会い、相互フォローではあるもののあまり会話をしたことがないというよくある関係でした。
この頃、こぺにが対抗戦のため砂乗り以外も募集し始めているのを見て声をかけた形だったのですが、今思い返せば、自分の場合誰の紹介でもなく砂乗りですらない身元不明のヤバいやつでしかなかったのでどうして加入出来たのかよく分かりません。結構嫌がられた覚えがあります。
クランとしてはこくとさんの介入がない初めての環境でありとても新鮮な気持ちで試合に臨めました。また、クラメンのバリア重火乗りでエースボーダーのMONOさんや防衛麻を押し付けられ続けた末覚醒し一流の麻乗りになったクラマス等を始め狙撃乗り以外の上手いプレイヤーが多く在籍しており、試合内容は毎回中身の濃いものだったと思います。
ちなみに先日かとれあさんが投稿していたnoteの記述に
「少なくとも俺は支援の再起に関する文句は全く聞いた覚えがない」
という一文があり、とっても嬉しくなって1人で小躍りしました。
狙撃クランとしての活動も時々行っていて、狙撃兵装限定の対抗戦において僕は実弾速射EUSレヴェラーゴリラを任されていた記憶があります。楽しかった
ゲーム外の活動ではクラメンの皆で串カツ田中に行きたこ焼きパーティをしたり、自分の人生においてボダと並ぶ魂の作品であるアイカツ!との出会いのきっかけを与えていただきました。感謝してもしきれません。
自分ひとりで動きたどり着いた初めてのクランであり、お世話になった非常に思い出深い場所です。
LINE窓の更新は遅く、不定期にあつまり、それでいて素晴らしい対抗戦をしてくれる不思議な仲間達でした。
今現在は散り散りになっていますが、いつの日か再開を夢見ています。
こぺに編おしまい
5.SECRET ~宇宙の最果て~
時は流れ、ボーダーブレイクが下火になりつつあるverXの頃。
自分の身に起きたことと言えば、あれ以来1度もエースボーダーになれなかったり、スカッドバトル頂上決戦で全国優勝したり、第2回大会の決勝トーナメントでは1回戦敗退したり、みるきーのクラン活動がほぼ無くなり雑談窓と化したり。下り坂を進むアケボダではありますが色々な思い出が増えていきました。
そんな折、例の如くこくとさん(レギュラー出演)の働きかけにより、高ランクかつ対抗戦が活発であるSECRETへの推薦をいただきクラマスの宮田さんとDMでやり取りした結果無事に加入が決定します。
メンバーにはみるきーとの被りも多く、とても居心地の良い雰囲気だと感じていました。
そしてこのシクレこそがアケボダを締めくくるに相応しい史上最強のクランだったのです。
シクレ加入と同時に、自分はとある人物との再会を果たすことになります。
スカッドバトル頂上決戦の決勝戦という大舞台で対面に立ちふさがった同じ支援乗り、シクレでは天空の夜明けというCNで在籍していたTrueBlueさんでした。
対抗戦を通じてその強さを再認識し、伝助を見て「この人が相方なら勝ったな」と確信できるほどに信頼しています。それと同時に「絶対に負けたくない」という強い想いを抱く、強敵と書いて友と読むそんな関係の方だと思っています。
支援の立ち回りやアセンについて数え切れないほど語り合い、違う視点から生まれる発想に何度も助けられました。本当に感謝しています。
さて、そんな対抗戦を続ける中で他にも沢山の驚きがありました。
シクレメンバーの多くは同じ対抗戦に初めて参加した方々であり、全国でCNに見覚えはあっても中身を知らない人ばかりです。
しかし、試合の中でその本質がすぐに見えてきます。
総合的な戦闘力・視野の広さでチームの欠点を埋めるクラマスの宮田さん、絶望的な状況において防衛をかいくぐり何度も勝利をもぎ取った紫苑寺さん、生きる暴力の化身波2ゴリラ麻のLANAさん、MAP兵器・ロアー1本で敵凸から防衛まで全て射抜くvol.kさん、波X防衛麻の最高到達点肩滅会長……
他にも同じスカッドバトル全国大会決勝の重火枠だったぬえたそさんや、支援乗り筆頭まさきさん・るれいさんの2人等、挙げればキリがないほど数多くの上位プレイヤーが集まる場所でした。
過去に所属したみるきーやこぺにの場合「身内の信頼から生まれるチームワーク」というイメージでしたが、シクレは「各兵装個人が最大のパフォーマンスを発揮した結果生まれるチームワーク」であったと感じています。あ、もちろん皆でお酒を飲みに行くほど仲の良いクランではあります。
verXではクラン演習のMAP選択候補にエイオースが常設されており、つまらないMAPの週はいつもエイオースで対抗戦募集していました。その結果シクレのエイオースやり込み度は確実に日本一だったと自負しております。
事実、復活したねぶたを相手に3-1で勝利を収め、ゲーセンの椅子から立ち上がり叫びだすほど嬉しかった思い出があります。
シクレの対抗戦について語り始めれば終わりが見えません。稼働終了寸前まで何度も何度も試合を組んでくださった宮田さん他クラメンの方々に心から感謝を申し上げたいです。今まで、本当に、ありがとうございました。
SECRET編おしまい
"自分にとってのボーダーブレイクとは?"
10年前、初めて筐体に100円玉を入れた時、ゲーセンのハウスルールなんて何も知らない中学生の自分は順番待ちを飛ばして席に座ってしまいました。
新作ゲームの稼働初日…怒鳴られても無理はありません。しかしその時後ろの方に肩を叩かれ注意された後こう言われました。
「仕方ないから入れた分はプレイしなよ」と
あの時すぐに席を退いていたら?恥ずかしさで居たたまれない自分はそのまま帰っていたでしょう
「ボダ教えてあげるから横浜来いよ」
あの日こくとさんから声をかけられていなかったら?下手な自分はこれらの強豪クランへ参加することなど無かったでしょう
「エースボーダーのチームリーダーがこくとさんでなかったら?」
「いたちさんトマ14さんはっぱさんとチームを組まなかったら?」
「そもそも支援兵装に興味を持ってやり込むことがなかったら?」
自分にとってボーダーブレイクとは?振り返ってみれば、沢山の奇跡の積み重ねが作り上げた尊い出会いの物語でした。
自分は、これからも、きっと。
「ボーダーブレイク」というタイトルを遊び続けるのだと思います。
ここまで読んでくださった方、もしいらっしゃったら感謝します。
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