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NZの効用/NZワーホリ🇳🇿【8週目】

 どうもニュージーランドにワーキングホリデーをしているのすけです。ニュージーランドに来てすでに8週間が過ぎ、フィリピンに留学していた頃と同じ期間を、すでにニュージーランドで過ごしているんだなと驚きました。
 今思うと、フィリピンにいた時は、学生のような毎日で夢のようなふわふわした時間だった気がしています。それと比べると、NZでの生活はもう少し地に足ついて生きる、社会人のような時間を過ごしているなと感じています。
 さて、今週も振り返っていきたいと思います。

今の仕事とこれから

今キウイファームで働いている。

7月はゴールドキウイの畑で作業を行った。
ゴールドはグリーンキウイよりも早く芽が出るので、なるべく早く作業を終わらせる必要があった。
そのため、ゴールドの畑の区画は働いている人みんなで一緒に作業をして終わらせていった。

みんなで一緒の区画に入って作業をするため、
声を掛け合ったり、早く進めようと頑張ったり、
一緒にランチに行ったりして進める事ができた。

8月は、ゴールドの区画が終わったためグリーンの畑に移った。
グリーンはゴールドよりも急ぐ必要がなかった。

実はゴールドの畑の時に、一つの区画を手分けして進めることによる支障が一つあった。
それは、【畑のオーナーが、誰がどれぐらいの量(bay)をどれだけ終わらせたか毎日記録をしないといけなかった】ことである。
一つの区画の中で、誰がどこをやるかをマーキングして、終わった分を記録して、ってやる面倒臭さがあった。

その面倒臭さも必要なぐらいゴールドは早めに終わらせたかった。
だから区画内で手分けして行っていたが、グリーンはそれほど急ぎではなくなった。
その結果、一人で一つの区画を担当することになった。

ここで歩合制である今の仕事の内情を少し話すと、
今の仕事では2週間ごとにお給料が支払われている。
月曜日から次の週の日曜日まで働いた2週間分が、その次の火曜日に振り込まれる。
歩合制ではあるが、2週間でこなした量(bay)を合算して、その合算した量(bay)でお給料が計算される仕組みになっている。
各区画にどれぐらいの量(bay)があるかはオーナーはわかっているので、
2週間過ぎた時点で記録をすれば、その人が2週間の中でどれぐらい仕事したかがわかる。
つまり、担当でうまく配分してしまえば、毎日の記録は特に必須ではなくなり、月曜日から起算して次の週の日曜日まで進めた分を計算したら、給料として払えるというわけだ。

本来は、このグリーンの進め方がオーナーサイド的には簡単で楽なシステムであり、そのこともあってグリーンでは一人一区画を担当して進めることになっているのだ。

前置きが長くなった。
この前提条件のもと、8月からは一人で一つの区画を担当し、
ようやく今週の土曜日に自分の区画を終わらせる事ができた。
およそ3週間かかって終わった。

やり切った感を感じた。
次の区画の担当はもう決められているから、
一旦もうあと3週間はここで働くだろう。

ただ、そのあとはどうしようか考えている。
ここから3週間後は9月の中頃。
日本で言うと3月なので、その頃にはNZでは春の仕事の募集が少しずつ始まってくるんじゃないかなと期待している。

毎日一人で作業を黙々と進めているのも、
それはそれで良い。
イヤフォンをしながら作業しているため、
耳から英語のPodcastを聞いたり、友達のラジオを聞ける。
学びを得る機会にもなっているので、それはそれで好き。

でもこれをずっと続けなくても良いんじゃないかなとは思う。
選択ができるんだったら、別の働き方もしてみたいし、
別の場所でも働いてみたい。
働く場所や種類を選んで、それに合わせて住む場所を変えられるのも
このワーキングホリデーという期間の特権だろう。
折角ならNZの色んなところに行ってみたい。

場所はそんなに希望はない。
これからは南に向かおーぐらいで思っている。
街に対して求めていたり、観光地が欲しかったり、ってあんまりおれは必要じゃないかもなって思った。

今休みの日に何してるかって、特に何をしようと思ってもいない。
そこら辺の公園に行って外でご飯食べたり、
スーパーで買い物したり、
なんか本当に一人だと観光ってしないなって感じる。

どちらかというと、大きくここに行きたいってのとかは思い浮かぶ。
例えば、海とかタウランガって街とか、湖とか、
ちょっとコーヒーが飲めるところとか。
リサーチは全然しないし、
Googleマップで海辺の駐車場探して、
近くにたまたまあったtake away のお店でフィッシュ&チップスを買って、
海辺で食べる。

waihi beach

なんかそんぐらい。
それができるぐらいで良いんよなあ。
観光めっちゃしたいとかも今は特段ないし。
ただそこら辺にある家の感じとか、スーパーの陳列されてるものとか、街並みとか、海に来ているファミリーとか、公園に来てるおじいちゃんたちとか、そーゆーのを感じるのが好きだな〜。

あ、でもこれに誰かがいたら良いなとも思う。
そこに英語で会話ができる相手がいたりしたら良いかもなって。
そこだな。
こんな感じで過ごすことが好きなkiwiの方とかいたら良いな。

これ書いてて思ったけど、
今はお金を貯めて、
workawayとかWWOOFとか使って
現地の人の家に泊まるのを体験するのが良さそう。
それでkiwiの方と仲良くなってピクニックとか行きたい。

ああそれだな〜。
だから、それに英語だね。
もっとコミュニケーション取れるようにならないと。
いろいろ話したいな。

変化

最近は日本の友達やパートナー、元会社のみんなと話す機会がたくさんあった。

面白いことに、自分の変化を自分で顕著に感じる。

今までの自分がどうだったか。
一つが、今まで相手の思うのすけ像をめっちゃ意識していたなということ。
話す相手によって、期待されているだろうおれのアイデンティティみたいなのを読み取って、それに沿おうとしていたなって思う。
まあそれって自然なことでもあると思う。
確かに、地元の友達と会社で出会った人と関わり方も違うし、出会い方も違うし。
でもそれで自分自身を変えようと、合わせようと、チューニングしようと、し過ぎている時もあった気がするんだよな。
そこがなんかしっくりこないというか、
違和感があったりしてた。
多分自分に正直でいたいとか、素直でいたいとか思うからこそ余計になのかもしれないけど。

でもそれが、今はめっちゃ自然体でいられている。
誰と話す時でも、自分のままな感じ。
話す準備もなしで喋れるし、特に取り繕うこともしない。

これはNZの効用かな?
前オーストラリアにいた友達も、オーストラリアてわは人の目が少なかった気がするって言ってたけど、まさにそれかもしれない。
NZで自分のことを知っている人もいなければ、自分を気にする人もいない。
そんな中で過ごしていたら、別に人からの見え方なんて気にしなくても良いかってマインドになっていっているのかもしれない。
ああ、楽チンだ。

もう一つが、相手のこともめっちゃフィルターかけて観ていたなっていうこと。
勝手にこの人はこうだからな〜とか、
こーゆーの好きだろうな〜とか、
勝手に思っていたことが結構あったんだなって思う。
自分の見え方も気にしなくなった時、
同時に相手へのフィルターもあんまりなくなって、
その人個人の生の話を聞いて、
ああそういう人だったんだ!って気付かされた場面があった。

怖い話で、
勝手におれの中で、この人はこーゆー人だってフィルターを通して観ていたことで、本当のその人のことは全然見えていなかったんだなって。

これは多分にあっただろうな。
特に会社員時代とか、役職がどうだからとか、業務内容がこれだからとか、
結構そーゆーので判断してたり、観てたりしてただろうなって思う。
研修の時でも、この子はこーゆー性格だからとか、みんなはここが弱みだろうとか、勝手に決めてたんじゃないかな。
そして、まだ解決されていない。
ここは頑張って変化させていきたいところですね。

ありがたいことに、
友達とかが話したいとか、話そ〜とか言ってくれることで、
本当にたくさんの気づきがあって、学びがあって、
尚且つ自分の変化にも触れられる。

こういった変化や気づきにこれからも
出会い続けれたら良いな。
もし話しても良いよって方いたら、ぜひお話ししましょ!


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