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「続・綱島温泉物語~石碑が教えてくれたこと」

綱島温泉の謎に迫るという短編ビデオ「続・綱島温泉物語~石碑が教えてくれたこと」を鑑賞した。

このビデオは50分程度の内容であり、すでに横浜市港北区内で数回上映会が催されたとのことであるが、無料と言うこともあり、どの会場も満席の客さんが詰めかけたそうだ。今回の港北図書館内会議室も100人くらいのお客さんで超満員に膨れ上がった。

イントロはこうだ。
横浜市港北区の綱島は、かつて温泉街として、京浜地域の奥座敷とまで言われるほどに栄えていた。
数少ない綱島温泉の"証"である「ラヂウム霊泉湧出記念碑」が、綱島の隣町、樽町に建てられていたが、2018年12月1日、民家の解体とともにその石碑に「処分」のシールが貼られているのを住民が発見し、慌てていろいろなところに連絡を試みるところから始まる大変興味深いドキュメンタリーである。

今住んでいるこの場所でさほど遠くない過去に存在した温泉街について以前から興味があったこともあり、このビデオの上映会が数回予定されていたことを知って、是非とも鑑賞したいと思っていた。
しかもタイトルにある石碑は自宅の近くにあり、民家の軒先にある頃から日常的に目にしてもいたし、
2018年に民家が解体されるのも目の当たりにしていた。しかしまさか石碑が廃棄される運命にあったとは考えることもなかった。


ビデオの内容について詳細は省くが、大正時代に発掘したラジウム温泉により、昭和30年代には最大80件の温泉旅館が軒を連ねる一大温泉街であったこと、関東最大の生産地で会った桃、菖蒲園、梅林、
天然氷のアイススケート場などを有した一大リゾート地にしようとした計画があったこと、などが紹介された。なにより町会長を経験したことで知り合った近所の方たちが多く登場して思い入れたっぷりに地元のことを話される姿に感動し、共感を覚えた。

一つ驚いたこと、今の綱島に当時の面影を感じるものがほとんど残っていないと思っていたが、ビル群が多い綱島の町の区割りが実は温泉宿の名残であったとは驚いた。ビルの名前には温泉宿の名前が多く残っている。綱島温泉町という名前の自治会も綱島の中心地に残っている。


最後まで見て、過去から面々と続く地元に対する人々の思いを、まさに石碑の謎に迫ることをきっかけにあぶり出したことが、このビデオの一番の良さだと感じた。

ちなみにタイトルに続とついているように、「綱島物語」というビデオも存在する。You Tubeにアップされているので、チェックすればさらに面白い。

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