noteを始めた理由

特筆すべきこともないので、まあつらつらと駄文・乱文を書き連ねていこうと思う。

何を書くのか定まっていないため、勝手にキーボードが動いて何かタイプされるのをかれこれ30分ばかし待っていたが、何も打ち込まれないようなので諦めた。よろしい。さすれば仕方ない。他にキーボードで何かを打ち込んでくれる家族も客人もいないために、得意でもないコトバを駆使して何かを書こうと思う。

しかしだ。思い立ったはいいが、何も書くことがないということには大いに困った。非常に困った。まったくこまった。タイヘンコマッタ。クリエイターはすごいと思う。と同時には僕にはクリエイターの才能はないのだと自覚し、塞ぎ込む。ガックリ。しょんぼり。残念。ええい!厄介なモノであるよ。まったく。

人間というのは概して自己主張が好きな生物である。承認欲求の塊である。インチキマーケターやインチキセンセイが好きな、いわゆるマズローの何とかかんとか、が当てはまるってわけだね。いやね、君、これに間違いはないんだな。これというのはあれだよ。あれというのはこれというわけだ。あんまり厳しくなってはイケナイゼ。人間、のらりくらりゆるりするりとが一番良い。そうに決まっている。

僕はかれこれ何十年も生きて来たわけだが、2つほど確信した事があるんだよ。それはね、うん、君、誰にも言ってはいけないよ。言ったが最後、その口が塞がらなくなるからね。アハハハハハ。開いた口が塞がらなかったら君だって困るだろう?何だって君、鼻から栄養を摂る義理があるってんだね?そうかい?君は象かい?ナンツッテ

冗談はさておいてだ、うん、何の話をしていたかね。そうだそうだ。確信したことが2つばかりあると言う話だったね。えへん。いいだろう。

と、こんな具合に駄分を書き連ねているわけだが、全く、何も得ることがない文章であることに、僕自身も驚いた。本当のことだ。まあ、つまりだ、これまでの文章というのは僕をよく体現していると思う。”中身のなく意味のわからない奴”ということだ。道楽半ばに生きているようなものなので、仕方あるまい。気楽にテキトーに生きているのです。ともすると、僕のnoteの大半はこんな風に飄々と終わってしまうわけです。時間を無駄にしたくない客人は、そうです、読むのをお控えなすってください。貴人のような物好きなお方はでございますよ、貴人のような物好きであられるお方に至っては、これからも僕のnoteをお読みになり給へ。

それでは、僕の挨拶として、皆さんこれからもよろしく。そしてご機嫌よう。

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