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妻の命日に寄せて

私と今は亡き妻が出会ったのは私25歳、妻19歳の時だった。

当時私は某百貨店に勤務していて、その職場に妻がアルバイトとして配属されて来たのである。
妻は某音大の1年生で友達数人とアルバイトに来ていたと記憶している。

出合って数ヶ月後に私達は結婚を前提として付き合うようになった。
妻は幼い頃に父親を亡くし、その後母一人子一人の環境で育ったせいか、早く幸せな家庭を作りたい…と常々考えていて、そんな事もあってか、1年と数ヶ月後には挙式…という早さだった。

もっともそれが早いのか遅いのかは私には良く分からないが、それから15年後に突然やって来た妻との死別は、間違いなく早過ぎた…と私だけではなく誰もがそう思うだろう。

平成元年は、私が8年間勤めた百貨店を退職し妻と二人で始めたペンションが、4月に10周年を迎える年だった。

その前の年の晩秋頃から妻は体調不良を訴えていたのだが、当時妻は3人目を身ごもっていて、その体調不良は妊娠初期のつわりのせいと、本人も周囲も思っているうちに年が明けて、1月7日昭和天皇が崩御、明けて8日当時の小渕内閣官房長官の発表で年号が平成に変わった。

その後、日に日に妻の体調は悪化して行き3月に入って超音波検査の結果、膵臓癌の疑いが浮上…
さらに詳しい検査の結果、末期の膵臓癌と診断された。

妻の硬い意志で胎児はぎりぎりまで胎内で守り、その後帝王切開で5月に出産、それから1ヶ月半ほど経った平成元年6月28日の朝、妻は34年間の命の幕を閉じた。

妻は音大でピアノを専攻、演奏活動、ピアノ指導に積極的に取り組んでいた。
特に障害を持つ方々を招待しての演奏会や障害者施設への寄付等を目的としたチャリティーコンサートに力を注いだ。

妻の演奏の録音はいくつか残っているのだが、今日は妻が特に好きだったドビュッシーの“月の光”を聴いて頂けると嬉しいです。(古い録音のためお聴き苦しく申し訳ありません。)

長文にお付き合い下さりありがとうございました。

ドビュッシー作曲 月の光
https://youtu.be/4hVX0gLEQ84

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