鈴木孝夫先生の「言語学」の授業

 慶応に入学して、この授業が聞けただけで学費を払った甲斐があると思わせる授業だった。
 大教室で数百人の受講生が聞きほれる人気の授業だった。
 「世界中の言語の中で、日本語の文法にもっとも近いのがトルコ語である。」と始まり、延々と言語にまつわる話題が途切れることは無かった。
 イーズカは文学部自治会・委員長だったので、よく議論を吹っ掛けた。授業の冒頭、教壇の横にデシャバッテ、「学費と自治会の話をさせてください。」と割り込んでいた。
 彼はオンボロ車に乗っていて、「いかにブレーキを踏まずに運転するか」を楽しんでいた。
 イーズカはお決まりのフレーズで「そんなことで社会が変わりますか?」と質問した。
 「変わりません。わたしが満足するだけです。」「わたしの専攻は言語学、社会変革は君たちの任務でしょう。この授業の冒頭を利用したければ、いつでもいらっしゃい。歓迎するよ。」と答えてくれた。
 しかし、学生の人気が凄まじいので、せいぜい10分くらいで切り上げて、イーズカ自身も受講生なので真剣にノートを取っていた。授業もオモシロかったが、著作はさらに素晴らしい。当時出ていた著作は全部読んだ。
 学者と言うのは、こんな興味を持ち続けているのか、と感動した。冒頭の議論も自治会や学費からは遠く離れ、委員長の役得として個人の疑問を投げ掛けていた。
 他にも、大学当局の追及から守ってくれたゼミの担任教師とか世話になった先生は数多くいた。
 巨大な大学だったので分からない部分も多いが、好き放題にやらせてもらった事は間違いない。
 言語学の授業以外はほとんど出席せず、友人との読書会を中心に、他大学の盗聴受講は東大、立正大、法政大などを渡り歩いていた。清水多吉の「フランクフルト学派研究」、岩田の「マルクス経済学」、廣松渉の「西洋哲学史」など有名な授業はすべて受講した。
 彼らは「戦う学者」だったので、授業もオモシロかった。約1年間は他大学ばかりに行っていた。
 こちらも学生運動をやっていたので、どんな議論にも勝たねばならず、荒地が水を吸うようにがぶ飲みしていた。
 とにかく、「学び」はみずから主体的に取り組むしかない。覚えた論理は、即座にディベートに活用していた。
 大学には入り込めなかったが、ICUの田川健三が好きで、『批判的主体の形成』などとともに旧約聖書の論争などにも魅かれた。若くて体力があったので、1日に4講義くらいは聴講していた。
 この頃の「学びのスタイル」が現在も続いている。
 いま思えば、大学など関係なく「恩師」と呼べる先生が沢山いる。贅沢な時間を過ごさせてもらった。
 そんなイーズカが、今や説教を垂れている。大学准教授になった時は、古くからの友人に「世も末だ」と嘆かれた。
 学びは、自らが「痛い目」に遭わないと血肉化しない。それだけは確信をもって言える。

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