介護の世界

 新しい業務にもようやく慣れてきた。コミュニケーションが問題ではあったが、会話もそれなりに交わせるようにはなってきた。
 意味が通じるかどうかではなく、声を掛けることが大事だという。先輩ドライバーとふたりで分担し、症状の軽い方を受け持っている。毎日の事なのでL字カーブバック走行などは平気になった。

 金曜日に送りが始まる前に利用者の昼間の記録に目を通していた。「テレビでオリンピック競技を楽しんでおられました。」などと書いてある。この記録は毎日プリントアウトして家族に渡している。

 歩くことに支障のない人が二人いる。一人目は夕食を誰よりも早く済ませるので最初に送る。86歳なので一番の若手だ。若い頃にスキーで骨折した足が古傷となっているが、まあ元気だ。

 二人目は知的な感じの人だが、ほとんど話さない。出掛ける時に「お願いします」と言われ、自宅の玄関前で「ご苦労様でした」と言われる以外に言葉を交わしたことがなく、車中では無言だ。

 金曜日も車から送り、エレベーターに乗った時「そろそろお迎えが来ても良いんだけど」と独り言ちていた。
 昼間の記録にも「あちらで主人が呼んでいるから」との言葉が書き留められていた。食事もキレイに平らげるし、日常の所作に苦労することも無い。
 「そんなことは無いでしょう」と言う訳にもいかず、言葉を飲み込んだ。

 誰しもそうだろうが無言が苦手である。ブラックユーモアなどを吐いたらシャレにもならない。
 高校の同級生で介護の業界に入った友人が居た。始めたばかりの頃「不倫だろうが浮気だろうが略奪婚だろうが、できるヤツは何でもやってくれ。要介護者などになったら何もできない。」と言い切っていた。その友人も60歳で亡くなった。

 この業務を始めてジムに行ける時間は少なくなったが、より積極的にカラダを鍛えるようになった。切実感が違うのだ。
 クルマの乗り降り時には抱え上げる方がラクだが、それをやると利用者の肉体機能が低下してしまう。とにかく自分でするように仕向ける。

 プロの介護士たちは、歩くのを嫌がる利用者に「そんなこと言ってると、天井しかお友達が居なくなっちゃうよ」と辛らつな事を陽気に言っている。経験のなせるワザである。

 それなりの健康体であっても、生きる意欲を失うと寂しいモノがある。

 「食事を作り、運動する」ことが大前提であるが、作文テーマとして「新しいコトとは何か」を考えている。


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