見出し画像

−秘色色− √2+√3は√5じゃなくて√2+√3であること

「自分らは勉強して生きていくことを選んで、実際に勉強がよく出来る。だから自信を持って、それを強みにして生きていってください」

高校の卒業式の日。最後のLHRで担任の先生が話してくれたことを、ぼくは今でもよく覚えている。

「√2+√3=?と聞かれたら、√2+√3は√2+√3なことをみんなは当然のように答えられるけど、世の中には、自分らが思っている以上に、√5と答える人がたくさんいる。でも、√5の人も一生懸命働いてくれているおかげで自分らは生きていられる。『世界は誰かの仕事でできている』」


殊に東京大学は、「√2+√3を知る人たち」の集まりだ。
そして、学生や教員の多くは、「なぜ√2+√3は√2+√3なのか」「√2+√3の新しい可能性」とかを考えている。
そのおかげで世界が進んでいるはずだ。

でも、ぼくには、√2+√3を突き詰めることは、あんまり向いてないなって気づいた。
それを追求するには、自分が正しいと信じられなきゃいけない。
自分を主張しないといけない。
それによって誰かを傷つけることを恐れてはいられない。
そんなことは、ぼくには無理だ。だって、ぼくは世界が怖くて、自分が生きることについてあれやこれやと考えているから。

このままいくと、√2+√3を追求する人になる。でも、それはぼくには向いてない。
そう気づいたとき、ぼくは絶望した。
今までのぼくの努力はなんだったんだろう。
なんのためにぼくは必死に勉強して東大に入って、また勉強しているんだろう。
誰のためにもならないのにがんばってきたのか。
地元の同級生の中には就職して結婚して子どもまでいる人もいるのにな。
ぼくのすべてが意味のないものに思えて、何度泣きながら夜を過ごしたか分からない。


ぼくを救ってくれたのは、心理士さんやお医者さんだった。
今のぼくは、彼(女)らのおかげで、文字通り「生きている」。
医療や心理のフィールドでは、ぼくは「√5の人」だ。
医療関係の方たちや心理職の方たちが、その道の「√2+√3」を一生懸命勉強してくれて、その知識でぼくを生かしてくれている。
本当に本当に、ありがたいと思う。

そしてぼくは気づいた。
きっと、ぼくの強みは、「√2+√3は√2+√3なことを知っている」ことと、「√5でもいいことを知っている」ことだと思うんだ。

√5の人たち含め、たくさんの人の力でぼくらの世界が成り立っていることを、高校の担任の先生が教えてくれた。
高校生のとき不登校に片足を突っ込んだし、大学で精神も病んだ。そうして√2+√3がすべてじゃないこと、たまには√5でもいいことを知った。
そして何よりも、√2+√3=√2+√3で、√2+2√2=3√2で……ってたくさん知るのは、ぼくにとって純粋に面白くてワクワクすることだとわかった。
きっとぼくが今までたくさん学んできたことは、無駄じゃない。


ぼくは、√2+√3で、√5の人たちの役に立ちたい。
√5で困っている人に、そっと伝えたいんだ。
「√2+√3なんだよ」「でも、√5だと思うのは悪いことじゃないよ」って。
ぼくが、そうして救ってもらったみたいに。

√2+√3が√2+√3であることなんて、知っている人からすれば当たり前かもしれないし、興味がない人にとってはどうでもいいことかもしれない。
でも、√2+√3は√5じゃなくて√2+√3であることは、誰かにとって、きっと何らかの価値があると思うんだ。
ぼくは、まだ価値になっていない√2+√3を、誰かにとって価値あるものにしていきたい。
そうして、それに価値を感じてくれる誰かの世界を、作っていきたい。



【秘色色】ひそくいろ
中国の青磁器の色が由来。
特に大事に書いた記事なので好きな色にしました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?