我見と離見
誰に何を伝えたいの?
いつも通っているサウナが今日、リニューアルオープンするので今日のサウナが楽しみな林です。
通勤途中にオーディブル(音声で読む本)に聞くのが日課になり、最近は過去に読んでよくわからなかった本を読んで(聞いて)います。
その中に有名な本「メモの魔力」という本を聞いてます。
これを理解できたら、日々気づかず通り過ぎる情報を通り過ぎていくだけにならず、一つ一つキャッチ(メモ)してチャンスに変えることができるらしいので、そうなりたい!って思って読んでもちょっと難しくて理解できないオーディブルという存在をしって分からない箇所を何度も聞くことでちょっとだけ理解できました。
その本の中で「我見と離見」という言葉があり、ちょっと自分の中でテーマにしていることが違う表現で書いてあったので気になりました。
我見は読んで字のごとく、我の視点から見る景色のこと。
離見は例えば幽体離脱して、客観的にというか、能という演劇で言うと観客から見て、自分や自分の言動がどう映るかを測ること。そして我見と離見を合わせていくことで演者として大成するということのようです。
演者として自己満足だけでは席はうまらず、理解してくれる観客が多ければ大成する、シンプルな話です。
でも営業って我見になりやすい。
「なんでわかってくれないんだ」その他大勢の観客ではなく、相手個人が悪く他の人なら理解してくれる!みたいな片付け方をしがち。
そういう意味でも営業ロープレや同行は必須だなと思いました。
また、泣かせてしまいました。
さて、例のごとく今日も樽谷とロープレ。
そしてまた泣かせてしまいました。。
出来ると思っていたのに、出来なかったので悔しかったそうです。
でも私的に肯定的理由があったので慰めではなく、こう伝えました。
今日はいつもより、細かいところに指摘をして、ロープレを妨げたけど、今まではアウトプット(ただしゃべれる)ところまで行って欲しいからあまり口出しはしなかった。けどその段階は習得して次は「伝える」という段階に進んだから、しゃべるだけでなく「伝える」為にはどうしたらいいか、理由や比べた上で優位性があると伝えたいなら、前提に比較する何かを最初にしっかり提示しなかれば比較できない。それができたら次は「伝わる」まで出来るようになるというそのプロセスの階段を一つ上がったからその悔しさ(壁)に出会えたんやでと。
※慰めになっているのか。。
ここでも我見と離見を思い出したんですが、今やっている売却プレゼンが作ったので私がお客様に伝えたいこと、私がお客様に理解して欲しいことが中心。それをスタッフのロープレを聞き手として見て聞くときに離見で認識することでより新たなものも見えてきました。
明日もがんばります。