通算70周後私に起こった事等の記録(閲覧大注意)参考になる方へ向けて

「いつかこれが絶対に誰かの参考になる」
そういう思いがどうしてもあるので書きとめます。
地球上にたった一人でも。100年後、200年後の人だったとしても。

楽しくもなんともないでしょう。
私も書きたくて書いてるというわけでもない。

しかし、カタカムナを70周読み上げてきた。
今また大渦に巻き込まれた。
この「大渦」とは私の心の中の大渦であり、
第3者的に見た状況としては大したことは起こっていない、とも言える

カタカムナ読み上げたら明るく楽しい未来をゲットできると思った。
辛いこと多かったから、救われたいと思って読み上げてきた。

70周やった。
それまでにいろんなことがあって、心境が激変わりし、状況も大きく変わった。

その急激な変化に私と家族が追いつかないから、自分たちが苦しくなる、という一面もあるのかな、と思っている。

はっきり言ってカタカムナ読み上げることでふわふわと楽しいことばかりが起こるのではなかった。
私が解決すべき問題が浮かび上がりそれに対峙するしかない瞬間が来る。

「カタカムナで起こることは人それぞれ」と私が強調したいのは、
私自身が積み上げてきた「カルマ」とでもいうべきものの浄化が起こるからである。
その人に解決すべきカルマのようなものがあるのなら、それを解決するための「渦」が起こるのである。

この私の進む道がカタカムナカミとして「間違って」いるのなら、
それも正されていくでしょう。

過程を書き留めるのが重要、という側面もあります。
成功例ばかりでなく、楽しい事例ばかりでなく、
私のような事例もある…それを記録させられています。

人生に辛いことばかり起こる方、私は70周を越えて、
「覚悟」も必要とわかりました。
渦、起こります。

覚悟決めてください。
でも必ず良くなります。


DV…
加害者として、彼は少なくとも5年以上の「更生教育」を受けています。
(身バレ防ぐため、細かい数字はぼやかします)

私たち「被害者」は時々面談を求められていました。
しかし、私が辛すぎてしんどすぎて、いつも断っていました。

娘が成長するにあたり、ぜひ面談を受けたい、という流れに昨年の秋になりました。
それで受けました。

その後もしんどくて何回も受ける気になれなかった…

カタカムナ始めて、7周過ぎた頃、大事件の渦が起きました。
それは過去にnote記事にしています
「クサイもののフタがパッカーンと開いた」などと表現しています。
今の私からすれば「気楽だな…」と冷めた気持ちで思い出します。

渦は起きました。
それはいつも前向きな方向へ着地しました。

今回の大渦も結果はそうなりました。

大渦は元夫との直接対峙ではありません。
これは強調します。

DV事件が起こって、いったん物理的に離れた我々は1回も会ってないし、連絡先、彼の住処も知りません。
夫は我々の住居を知ってますが、何もアクションはしてきていません。

更生学習を真面目にこなし、当時よりもかなり心境が変わっているとのことでした。

でも私は怖くて怖くて、その団体を通じて彼の様子を聞くなんてできませんでした。

でも娘の努力のおかげで(多くの女性が持つ多くの問題について自力で朝から晩まで本・専門書を読んで勉強していた)、私も自分の最も大きな問題に対峙できるようになりました。

DVの事件当時、私は◯んでもおかしくないくらいの暴力を受けました。
当時小学生だった娘はそれを面前で見て、げんこつや蹴りを母親に振るう父親を必死で止めようとした。

これだけのことでも大きなトラウマになり、ケアが必要なことです。

私はその時「もう◯ぬのかな…」と妙に恍惚となったのを覚えています。
娘を使って先祖やカミが助けてくれたのかもしれません。

そして、苦しみ困難の中、必死で働きながら勉強をしました。
自分を明るく楽しい方向にいつも向けることを心がけました。
だから「いい気分」とも名乗っています。

今思えば私の不勉強や至らなさがあり、振り返るといくつかの「危機」があったなとも思います。
それも助けてくださっているようです。
(だから「あなたは運がいいですか」が何回もすらっと言えるのです)

今回の大渦は娘との大喧嘩です。
もう致命的と思うくらいお互いに大いに傷つきました。
私が悪かったです。
だから謝罪もした(昨日)

「甘える」にも程度があります。
それを分かっていなかった。
(子どもたちに対してです)

私には多くの実績を持っている「専門家」たちとのつながりがあった。
なぜそれに「甘える」ということを今までしなかったのだろう。

そう思ったのです。

だから我々の窮状を「恥を忍んで」滔々と長い手紙を書いた。
大事件から7年以上が過ぎて。

元夫もなぜかずっと勉強してくれていた。
専門家にビシバシとやられ続けてくれていた。

そんな「ある」でありました。
私は怖がって見れてなかったのです。

娘の怒り、息子の忍耐…
それを見てもうコレ以上私と子供らだけで頑張るフェーズでない、と思った。

5月の渦を経て、平和な時期にふと起こっていた小さな渦が、
こうやって伏線回収として大きく私にやってきた、と分かりました
(これは非常に他の方にわかりやすく書くことは難しい。
人間ワザではないまとまり方ですよ)

加害者との直接対峙は絶対にいけません。
でも私は長年の付き合いのある専門家がいらっしゃる。

「色々言ってくださいね」
ずっと言われていた。
でも言えなかった。
なぜか怖がっていたのです。

でも今回娘との大喧嘩の後私が家を出て5時間近隣をうろつき周り、
真夜中の小雨の降る中大きめの声で2周読み上げた

大喧嘩について考えたりしなかった
「そうだ、外へ出てカタカムナを何回も読んでみよう」
そう思っただけだった。

家に戻りたくなかった。
なので娘には◯ぬほど心配をかけた
(だから謝罪もした)

家に帰った。日付変わっていた。
息子は「疲れているよ、もう寝なさい」としか言わなかった。
「何かをいっぺんに片付けようとすると、失敗する。俺もバイト先で思いっきり失敗した時、先輩に言われたんだ」
そんな話しかしなかった。

あまり眠れなかった。

夜もあけて、専門家の団体に今の我々の気持ちを訴え、そして元夫にも可能であれば対応をしてほしい旨の手紙をメールした。
そうしないではいられなかった。

(こちらの要望に答えるかどうかは専門家が厳正に判断します)


専門家にメールを送ったら、なんだかスッキリした。

小さなノートに80首一気に書き上げた。
それが「早口」40周目に相当する。

ものすごく天気のいい日曜日だった。
娘と、娘の大好きな大道芸を見に行く予定にしていた

「大事な1日大事にしてね」
という言葉が心にわいた。

だから起きてきてそっと私の部屋に来た娘に、
昨晩のことは何もいわないで
「◯さん、見に行こう!」と言ってでかけた。

公園のベンチに座って、話をした。


しかし、私の心の中は波があった。
やっぱり嫌な気持ちも湧いてくる。

もっともっと情報を遮断して、自分に集中しないといけないのではないか。

そういう気持ちが大きくなり、いったんXとnoteを休むことにした。

その後、思ったより早く落ち着いてきたので、こうやってこっそりnoteを書いている。


団体からの返事が届くまで、私は非常に苦しかった。
私はきっと見捨てられたのかもしれないとすら考えた。

でも、もう70周も読んだんですよ。。。
ここで見捨てられて「詰む」という計画なんでしょうか…

まったくのナンセンスだと思った。
くそ、意地でもカタカムナ、無量大数回読んでやるわ!

みたいな闘争心もわいたり、
ぐるぐるしていた。

まあ、このカタカムナで救われなくたって大丈夫だ。
死なないように生きていくだけだ、とも開き直った。

仕事は超順調。
職場はテンション上がりまくっている。
元気な女性たちに囲まれて、私も元気をもらえた。

昼休み、団体からのメールが来てた。

彼はもう以前の彼ではない。
団体の尽力と、不思議な彼の忍耐力?であまりにも状況は変わっていたのだ。

変わっていなかったのは私の方でした。


だから、ほんとうに、大丈夫になってしまった。


苦闘7年。
苦労ならば何十年。

苦悩が染み付いている私。
茫然自失しました。

この苦悩、苦闘がほんとうに終わりを告げる(告げた)みたいです。

それを証明するかのように、先日の日曜日の日付でお金が振り込まれているのを知った。


こんなことが起こるんですよ。
でも信じられなくて。

信じられないことが起こるとこんなに呆然とするんでしょうか。
こんな気持ちを人生で経験できてしまった…

昨日までまだ信じられなかった。
現実を信用できなかった。


近い未来も将来も安心でいていい、とやっと現実化した。
自分で書いて確認してます。
やっぱりさっきまで信じられてなかった。

茫然自失、これに尽きる昨日の午後からでした。

本当にこんな事が起こるんです。

大渦はカミサマあんまりだ、やりすぎですよ。。。とも正直思う。
(キミが起こしたんだよ、と言われるかもね)
だからモヤモヤもあるし、

今後のカタカムナ実践者でこういう辛い思いしたりする人出てくるのかな…💦
と思ったりもします。

でもしょうがないですね。

解決すべきこと乗り越えないと、しょうがないんです。


私は無量大数回よみます。
絶対にあきらめません。

2日前は「◯たい」と言ってました。
昨日の午前中は「詰んだ」と思ってました。

カミサマほんとうにすみませんでした。

助けてくださってました。

石の橋を叩いて渡らないくらいの慎重さを、専門家は持ってます。
でもそれすらも私は信用できていなかった。
頼ることができていなかった。

「ある」とは思わぬところにありました。

でも、でも、まだまだ完全にこの状況を信頼しきったわけではありません。

そして、私がまた乗り越えるべき渦にも出会うでしょう。

カタカムナ無量大数回唱えると決めてしまったので…

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