生活 20200719~20200801

7月19日(日)

比較的まったりとした日曜日。だらだらと家族と過ごしながら、ちょっとだけドラマを見たり。14時ごろ思い立ってスーパーに買い出しに行き、ベイキングパウダーを買う。スコーンをつくった。30分くらいあればできた。すごくおいしい。バターをたくさん使うからまったくヘルシーではないけど、またつくりたい。

フランスと電話。全体的にわたしの心は落ち着きつつある今日この頃、平坦になりすぎているかもな、と少し懸念。いろんなことがうまくすすむといいなあと願っている。

7月20日(月)

『民主主義の非西洋的起源について』を読む。結構難解。むずかしいな。でも、民主主義は西洋(もしくはアテネ)という一つの起源をもつのではなく、共同体と共同体のぶつかった間から生まれてくる、というのが論旨である。もうちょっといろいろと

一日、フォトブックをつくって過ごす。むずかしい。文章を流し込むよりずっとむずかしいな。被写体ごとに再編して並べようと試みているけれど、写真のポートフォリオは一枚にいれられる情報量を限りなく減らしたほうがいいんだろうな、と思いながら迷走中。あとは案外、整理整頓されているよりも動きがあったほうが見やすいのかもしれないな~、などと考える。ん~。自分のための記録集だと思えば、そこまで気にしなくてもいいのだろうが。

ついでに十年ほどため込んだ雑誌類を段ボールに格納。書庫ができたらそちらに送り込むか、処分してしまってもいいかな、と思ったり。最近は手持ちの書籍が増えてきて、興味の通り過ぎた雑誌は残念ながらお役御免、という感じ。

7月21日(火)

定例会、ゼミ、次のプレゼンのテーマ策定、モデリングぽちぽち、断面図二面目ぽちぽち。相変わらずアメリカ在住日本人のPodcastを聴きながら作業する。

7月22日(水)

何も手につかないし、頭も痛いので、ドラマを観てやり過ごした。グレイズアナトミーS14Ep24まで完走。昼にはスコーンを焼き、夜はきのこのきんぴらと鶏とごぼうの炊き込みご飯をつくった。

買い出しの帰りに、母に言われていた通り祖母に電話をすると、相変わらず、限りなく長い話を一方的に話されて、返す言葉も見つからなかった。あっちにこっちに話が揺れながら、要点もあんまりわからなかったけれど、「あなたがいま外国にいくのは反対」ってことみたいだ。先月会った時は、「そんな日本の大きな会社で身を滅ぼしながら働くの、向いていないとおもう」と言っていたのに。祖母のことは好きだけれど、家族のことはみんな好きだけれど、最近はこうやって縛られるような言葉に辟易しているし、なによりそうやってずっと誰かの期待に応えようと道を選んできた自分から切り離したい、とつよく望んでいる気がする。

小さな頃から、好きな仕事をしてね、グローバルに活躍してね、自分の思い描くようにキャリアをつんでね、別に大学や大学院なんて働いてからも戻れるからね、といろいろ言われてきたけれど、いざ海外で働きたいと言い出すと途端にみんなわたしのことを離したくなくなるみたいだ。

わたしだけがこれからもわたしの人生を生きていくのに。

20まで酒の一滴も飲んでこなかったわたしは、ルールや法律を破るのは本当に気が進まないけれど、「なんとなく築かれてきた社会の慣習」だとか「世間の目」だとかを破ることがなんなのだろう。村で生まれたわけでもなし。

7月23日(木)

父親が京都に行ってきたので、京ばうむを食べる。

7月24日(金)

母の誕生日。京ばうむを食べる。

7月25日(土)

昨日予備校の父母説明会から帰宅した母と妹による協議の結果(?)今朝からわたしが大学受験英語を教えることになった。果たしてわたしに受験英語ができるのか、と思ったけど、母に「あなたの英語には二百万かけたじゃない!」と言われ、引くに引けないのでがんばることに。小学生時代はコミュニケーションのための英語をたのしくやっていたけれど、中高時代はたしかにゴリゴリに受験英語・文法・構文・熟語・英作文とやってきたので、やれなきゃおかしい。(こんなにも時間をかけて学んできた英語、全然100%になることはなく、そりゃあたりまえなのだが、しかし先は長いな、と思うし、英語でこんだけかかるのにフランス語だったら、と思って気が遠くなる。)

友人に会う。人生の話をして、コンテンツの話をして、大体いつもこの二本立て。幸せの絶頂(笑)にいる彼女を見ているとうらやましい。二、三年前の、熱にうなされていたわたしを思い出す。

帰宅して、もう夜だと思って布団に入ると22時とかで驚く。『スクール・オブ・ロック』を見た。Podcastの影響。おもしろかった。目が冴えわたり、眠れない。2時過ぎ就寝。

7月26日(日)

朝から三時間英語の勉強。長文読解わりと好きだったな~という記憶を手繰り寄せる。しかし、日本語がむずかしい。最近のわたしは別に完ぺきに日本語に置き換えられなくても英語を英語のままニュアンスが掴めるようになったのでかえってむずかしい。

『MIU404』を見る。4話。

7月27日(月)

朝から三時間英語の勉強。わたしの錆びたボキャブラリーの引き出しが整理されはじめて、気持ちがいい。勉強になる。いい機会だ。

7月28日(火)

8時半から1時間半にわたって英語をやったのち、午前中にゼミのプレゼン。一週間の急ピッチでテーマ探してこしらえたので本当にぎりぎりだった。もう少し踏み込めたらよかったけれど、楽しく読めたのも事実。

ここ二日ほど、お昼前後の時間で頭痛が鳴りやまなくなり、きつい。特に今日は寝不足だったのもあり。生理の終わりが関係しているのだろうか。頭が重たい。夕方まで寝込んで過ごした。

7月29日(水)

朝から英語一時間半。昼は友人と約束。松屋銀座のミッフィー展に顔を出してきた。お化けミッフィーにフォーカスされた希代の展覧会。

わたしはまだ怒っているんだな、と思った。だんだんと虚無に近づいていく感覚はあるけれど、関心はある。なんびゃくまんまいのいらない布マスクを500億かけて配ろうとしているのに、学生への支援金や、医療機関への支援はその1/5にも満たないことにわたしは怒っている。通勤しないでね、でも旅行してね、旅行先で感染したら見舞金出すよ、でも職場でクラスターが発生しても見舞金は出さないよ、みたいなことに怒っている。後出し後出し続きのGOTO政策なのに、またもや奇妙な機関が現れて仲介するよ、と言い出していてその不明瞭さに怒っている。震災復興金からもお金が抜かれ、権力の構造のなかにある大手ゼネコンの体質がひとつも変わっていないと目の当たりにして怒っている。「仕方がないよね」って思ってしまう風潮に怒っている。

でも、こんなに怒っていると、なんでわたし怒っているんだろう、怒っても意味ないのに、という気になる。特に平穏な感情の波のなかで暮らす友人を見ているとおもう。もっと楽しいことに目を向けたらいいよ、怒ってもどうにもならないよ、と言われるとさらにおもう。

この国にいると、怒っている人が滑稽、みたいに思えてくる。怒っている人が損している、みたいな気持ちになる。

本当はそんなことないのにな。

でも、わたしには、怒らない人を責める権利もないことも、わかる。

7月30日(木)

朝早く起きる習慣がつきつつあるので、8時には朝ごはんを食べて、スッキリを見たけれど、そのあとどうしてもだれてしまう。火曜日にゼミを終わらせた結果、そこから集中力が切れてしまった、というような感じ。問題点は見えているので、解決策を講じるだけ、だとはわかっていつつ、授業もなくバイトもなくゼミもなく、漠然と遠い半年後のゴールだけがある現状で、日々のやるべきことを考えることは案外大変だ。なかなかむずかしいな、とおもう。

東京のみならず各都道府県での感染者数が増えてきた。もはやこの話題はElephant in the room化しており、家族が「今日200人だって」「300人だって」「全国で1000人超えたよ」と口にしても空虚な数にしか思えないし、昨日会った友人も「来週旅行に行く。だってもうなにを気にしてもしょうがないし」と言っていて、そうだよな、と思ってしまった。

そういえば、数日前に「コロナ鬱」についての調査が始まります、と報道で見たけれど、程度の差はあれ、わたしは当てはまるだろうな、と推測している。たのしく生きているけど。でも何かがずっと足りないから。

なにも手に付かないとき、YouTubeを見て時間を溶かすよりもNetflixで一本でもドラマを見た方がずっと気持ちがラクになるので、また韓国ドラマを身始めることにした。一話を見れば順々に見ていけるからラク。毎回選ばなくていいし。あとは、Podcastが聞きたいから、という理由で単純作業系がはじめられると、その後はスムーズ。英語の予習したり、フランス語をしたり、アーレントの本の続きを読んだり。

7月31日(金)

もう金曜日、ともう月末、が一気に襲ってくる。この頃わかってきたことはわたしはいろんな決断を先延ばしにする人間ということだ。しかるべきタイミングがきたらスパっと決められるけれど、今・この瞬間に、何かを決められることは少ない。欲しい洋服でも、値段を見ると、「今の自分に見合っていないな」と感じて先送ることが多い。束の間の充足を手に入れても、のちのち後悔することを想像してしまうから。また再び同じものを欲しいとおもうことがあればもう一度巡り合うだろう、とおもうことにしている。
それで構わないのだけど、それでいいのだ、とおもうことにしているのだけど、自分一人の問題ではないとなると、「あまりにも物事が決められなくて呆れられていないかしら」と心配になるようだ。気にしすぎかも。

『普通の人でいいのに!』を読んだ。「実は自分のことを大事にできていないからこういうことができるんだよ」とTinderを愛用する自分を称していて、そこが印象深かった。

8月1日(土)

昼すぎに自治会に返却物を返しに行った。今年は我が家が持ち回りの担当らしい。今時そんなやわすぎるコミュニティーを維持してどうにかなるのだろうか、とちょっと疑ってしまう。やわだからこそ頑張って残しているのだろうか。



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