#Quarantine 20200501~20200509

5月1日(金)

「言いたいことも言えない世の中なんて」と言った人の顔を忘れない。この世界は言論統制がされていっているのではない、在るべき方向に価値観がアップデートされていっているのだ。

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発言が人格や思想、過去の行動と連関しているということはわかるが、この場合、そのほか様々な彼の問題点を論って改善を求める、「人間教育」的なことはコンビ間でやってほしい。電波上では「今回の発言」の「どこがまずかったのか」「今後の具体的な改善策」を誠意と共に見せてくれればそれでいい。この瞬間ではプラスにはならないけど、マイナスをゼロにする努力だけしてくれればいいと思う。

わたしは人も社会も世界も「変わる」と思っているので、この瞬間だけでのジャッジが永遠に固定されるとは思わないけれど、「期待して待っているね」「がんばってね」「いつかまたすてきなお笑いを」とかも1mmも思わない。どこかで交点があれば、それはその時考える。

家族と恋人と大事な友達のことは、思って、努力をしたいと思うが、芸能人や遠い知人、同僚などはもっとさっぱりでいいな、とやっとわかった20代中盤である。

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12時頃から作業。キープラン完成、平面着彩完成。ほぼ作業終わったかな。

昨日いただいた肉まんをいただく。肉厚で高級そうだった。けれどわたしは、中村屋のほうが好き。

珍しく夕方からフランス語。単元ごとの演習はまあよいが、総括された演習がぼろくそ。知ってた。文法を体系だって頭に入れていないし、コンジュゲゾンもどんどんこぼれ落ちている。ライティングとディクテを強化したほうがよいのだろう。と、思いつつ時間が取れない。というか一日一時間以上言語に集中できないとわかった。

夕食はわたしのリクエストで父が冷やし中華を作ってくれた。初夏だなあ。(家から出ていないのに。)

5月2日(土)

当社比少し早く起きた。9時半。笑。朝ごはんは数日前に買ってきた明太フランスにチーズのっけて焼いたものを食べて、フランス語を一時間。

コンペの作業はほとんど残っていないので(パース量産するなら話は別だ......)さくっと終わらせ、積んでいた図書館の本を読み始めることにした。マルグレイブの『現代建築理論序説』。1968以前をきっちり読んでいるので、事前知識があり、多少戦えるがなかなかすすまない。

昼は肉まん。タイプライターズが録れていたので、さくっと見る。人の本棚を覗くのは面白いが、この人じゃない感は多少あり。

本を読み進めた隙間で思い立って部屋の窓ガラスを拭いた。めっちゃ汚れていた。何年分だろう。ここ最近なにも成し遂げられていない感に再び苛まれていたが(コンペがどれだけやっても終わらないので)、自己肯定感がとても高まり、ラッキー。調子付いて洗面台の鏡と、お風呂掃除(いつもしないようなところまで)をきっちりやった。素晴らしい一日だったかのような気分。Quarantine初期にフランス語をはじめたり、チェロを弾き始めたりしていた頃の悦びに似ている。あれからほぼ毎日言語学習を続けているのでそれだけで自分を褒められるレベルだと思うけれど、どうしてか次第に自尊心が虐げられていくので、物事を続けるだけではなく、新しいことをちょっとづつ取り入れていくことも大事だな〜。明日は机周りを片そう!

5月3日(日)

ほぼコンペも終盤。

フランスに電話。このまま国境が2年くらい開かなかったら笑えるな〜とぼんやり思う。実際全然笑えないけど。笑ってないとやっていられない。「今までの世界」にはきっと戻れないとして、また何の心配のなく人に会える世界はいつ訪れるのだろうか。21世紀にインターネットがあって本当によかったなと思う一方で、液晶を見つめてブルーライトを浴びてしか人に会えない現在がふつうにツラい。リモートにして支障のない人間関係とそうでない人間関係があると思った。

日本語が上達していて驚く。プラスわたしのフランス語的には焦る。

5月4日(月)

恋つづダイジェストを一気見する。医療モノパートがすべてカットされ、ロマンスだらけ、ほぼ花より男子。もしくはのだめ。佐藤健は道明寺司。この世に道明寺司ができる俳優はそういないので、貴重である。

福砂屋の明太子をおすそ分けに近所まで散歩。帰りにスーパーと文房具屋、お花屋さん、100均に寄る。なすとトマトの苗を買った。なすの茎がむらさきでかわいい。部屋の前に植える。カレーをつくりたいな。

有言実行、机周りの片付けを試みる。机の前にあった高校時代のコルクボードをはがし、パリの地図を貼った。気休め。やっぱりいい街だなあと思う。東京はでかすぎる。机はすっきりしたけどまだまだモノが減らない。明日は本棚周り書類関係を整理しよう。

おたく仲間と電話。社会人しながら言語の勉強を続けていて本当にえらいなーと思う。Duolingoをわたしも久々に再開することにした。2017年に登録されていた言語が英語とドイツ語なのが笑える。ドイツ語、勉強していたこともあったな......(遠い目)

夜中。キャンディークラッシュ的パズルゲームに入れ込んでいる。

5月5日(火)

定例会すっぽかしてしまう。前日のうちにSlackが動いていないと、1mmも思い出さず日々が過ぎ去るな。曜日感覚がないのでなおさら。ゼミも途中参加。申し訳ない。

お昼は酢豚。午後は、卒論ゼミ。

「視えること」と「考えられること」どちらが大事だろうか。きっと後者だろうと思いながら、それでも喪失したものの大きさを天秤にかけるだろう。現在S11Ep14。

夜。『リトル・フォレスト』の春を観る。

夜中1時に地震がある。昨日もあった。避難所生活とCOVID19対策は両立できない気がする。祈ることしかできないのだろうか。起こることは起こってしまう気がする。祈っても仕方ない。

5月6日(水)

中沢新一の『アースダイバー』を読了。湿った俗的神話的語りはおもしろいけど、4年前のわたしだったらもっとおもしろく読んだだろうと思う。遅かった。(その頃斜め読みしていたけどもっと大感銘うけていた。)深く読もうとするとうさんくさい。それに、「コロナ以前」の都市描写だなと思う部分も多々ある。最近何読んでも「コロナ以前」と思ってしまいがちなんですけど。ポストコロナ、同じ生活も同じ都市も手に入らないに違いない。

追い討ちをかけるように、卒業にあたって、論文にするの設計にするのと問い合わせが来る。決まっていない。ウゲっ。

5月7日(木)

GW明けということで、まだおしりがいたいので整形外科に行く。木曜定休。惨敗。散歩がてらたい焼きを買うことに。帰宅してスペシャルたい焼き(チーズとあんこが入っている)を二個食べながらベランダのハンモックでグレイズアナトミー。

フランス語を一時間半。昼ごはんに大根サラダをつくる。建築論の本の読書と、既往研究をネットサーフィンする。学会の会員番号を申請したらあれこれ梗概がウェブで読めるようになった。完全に煮詰まっている。

お風呂はいって豚しゃぶを晩御飯に。

10時からZoom会議。コンペ終わりそう!もはやわたしに割り振られたタスクはないので、しずかにその時を待つ。手伝うこともあまりなさそう。提出できるといいな〜。

我が家の人間にはちょっとした寛容性がない、と感じる。言葉を選べばまるく収まるのになあと思わなくない。どちらが誰が悪いとかはなく、みんな少しづつ同罪を背負っている。

清水が今日から工事を順次再開させるらしい。そうなんだ。全体的に日本のロックダウン(そもそも都市封鎖ではないが)の緩さに驚く。こうやってぬるりとわたしたちの意識も融解していくのだろう、なにもかも忘れていきそうである。

5月8日(金)

昨夜の夜中に、デレクが死んだ。呆気なくて、受け入れられなくて、呆然としたまま、つらくてつらくて泣いた。振り返ってみればS11Ep25、1話45分として200時間わたしの生活にいたのだ。大学で授業取るなら4単位は取れる。なんでもいいから希望が欲しい。呆然としたまま午前中までも終わりかけている。

フランス語を勉強する。

夕飯は父作のもんじゃ。家でもんじゃ?!という驚愕さ。まあでもおいしかった。もんじゃって家でもできるんだな、という発見。ちなみにわたしはお好み焼きのほうが好きですね。

夜には『リトル・フォレスト』の秋を観る。自分のためのものを自分でつくって食べる、それだけのことがどんなに難しくなったか。自分の人生設計に雲がかかり過ぎていて前が見えない。

5月9日(土)

論文行き詰まっている。研究がすぐさま世界を救うなんてことはなく(ウイルスの研究とかのほうがよっぽど役に立つ、芽の出ない時間が長かったとて、この現在においてはすぐさま世界を救う可能性だってあるわけで)、建築論の無力さだけを痛感する日々。建築論というか、建築自体が、世界を救うなんてことはほとんど無いに等しい気さえする。社会や与条件にがんじがらめにされて、磔にされているような気分だ。
制作のプロセス論がやりたいのか、組織論がやりたいのか、歴史がやりたいのか、ひえ〜。本を読めば読むほど社会との断絶を感じ、わたしの考えたいこと・書きたいことが、わたしのつくりたいものと結びつかなくなっていく気がする。

ジャン・ヌーヴェルが「思考[パンセ]と思想[イデー]を差異化しなくてはならない。私は彼らに、思考しないように勧めているのではなくて、思想をもちすぎないように勧めている」と言っていてほんまにそれな、という気持ちになる。

修論にする、と思わずやれば書ける気もする。修論にする、と思わずやるってなんだよ、っていう話にもなる。

社会人になった友人から「時間があるなら一級建築士資格の勉強したほうがいい、会社入ったら模試があった」と連絡が来る。会社に入るのだろうか。という前提から疑いが生まれる始末。内定は、ある。たぶん。

フランス語を勉強する。近接未来。近接未来はもう無限に勉強した気がするが、またやってきた。体系だって勉強しないと毎回同じ単元にあたってしまうのだが、今回は一冊の教科書を頭からおしりまできちんと通しでやる、と決めたのでこなす。

言語だけでは蓄積の成果が感じられないので(欲求不満みたい)、今日は廊下に積み上がっていた書物のダンボール、小学生時代のあらゆる産物の入ったダンボール、などを片す。道が生まれた。すっきり。



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