生活 20200701~20200707

7月1日(水)

かれこれ3か月ほど、この形式での記録をつけ続けて経った。元々単発では思考ログを残す習慣があったので(あらゆる媒体を渡り歩き、noteは3媒体目、年数にして8年目とかでしょうか)苦ではないけれど、ちょっと飽きつつあるというのも本音ではある。一方で、これを書くことがある種の日常の充実を演出している側面や、リズムをつくっている側面もあり、スケジュール帳が真っ白な身としては、曜日感覚をギリギリ保つ手段となっている。

こういう日々の記録のルールは、「ルールを作りすぎないこと」。1日あたりどれくらい書くか決めない。書けなかった日は後追いで書いてもよい。何もしなかった日は何もしなかったと書けばよい。あとは失敗しても、気づいたら連載終了していても、それはそれで流れに身をまかせる。

今日はあいも変わらず、運転をした。MTとの大格闘。全部で4時間しかない教習のなかで、絶対に無理だ、と思っていたけれど4時間目にしてやっとクラッチの原理を理解し、駐車の方法も思い出し、ずいぶんエンストしなくなったのであった。うれしい。まだ路上での不安もあるし、フランスで運転するなら左ハンドル右車線じゃん、と昨日気づいて絶望したけれど、海外で運転できるかという現実はさておいて、少しづつ感覚を習得できているということがうれしい。絶対だめだ、と思っていたみきわめも通ったので、次回検定です。(大緊張)

妹との夕食のために五穀米とはるさめスープを作った。

EUが日本を含む十数か国への渡航制限緩和を施行。日本側はというとまだみたいだ。この拗れた状況が、わたしの気持ちを拗らせて、夜は全然眠れなかった。最近は、これにまつわる無意味な情報検索が平気で2時間蝕んたりする。こんな状況では8月9月のことなど決められないわたしと、この状況はしばらく変わらないのに変化の契機を待っていても仕方がないと言う彼。環境も違うし、世間体も違うし、立場も違う。ヴァカンスを大事だと思っている気持ちも、言っていることも、わかるけど、YESと今すぐには言えないのだ。それでいい、と頭でわかっていながら、ただの自分の臆病さ・規則の破れないお利口さ加減にストレスがたまる。夜に考え事をするのはすべてをマイナスに持っていくのでよくない。本当によくない。

7月2日(木)

今日は運転のない日。スッキリのバンドしようぜが最終回を迎える。さみしい。あの、ゆるっと集まりながら熱血な感じ、かつ、スピード感がおもしろかった。朝からインタビュー書き起こし作業など。トマトは赤くなり、ひとつ実を落としていたので拾う。最近ぼけーっとしてしまう時間にYouTubeを見ることが多い。あっという間に時間は過ぎる。

昨夜のことを気にしながら、なにか楽しいことを作らなければな、と思って溜め込んでいたギフトを包んで郵便局に持って行った。国際便、どうやら届くと小耳に挟んだので。送料1100円。高いだろうか。高いか。

11日に仮提出の目標を設定したので、図面を引こうとAutoCADを久しぶりに開いた。今週がつがつ進めるつもりが、今日までどうも感情を崩してうまくいかなかったので、今日からがんばろう。ものが増えてきたので部屋を片付けたいな、ものを捨てたいな、語学の勉強再開したいな、ドラマみたいな、本読みたいな、終わっていないナウシカの漫画読みたいな、チェロ弾きたいな、映画見に行きたいな、いろいろやりたいことはある。ポートフォリオやウェブページの作成だってしたいのだった。いろいろあると、なにもできなかったりするので、書き出して、また4月みたいな気持ちで過ごしたい。夏が近づくにつれて、何かに抑圧されているような気持ちが増している。

7月3日(金)

免許がとれた!

家の2階で寝ていたのだけれど、あまりに毎晩眠りにつけないので、1階に移動することを決意。夏ですし、涼しい場所の方がいいよね。倉庫化している部屋の床をとりあえず片付けスペースをつくった。不自由はない。もう少しものを捨てたりして、整理したいけれど、寝る分には申し分ないか。わたしは単純にものを捨てて、気分を軽くしたいのだと思う。

夜、急に思い立って、過去のnoteをまとめて本をつくる作業をはじめる。三ヶ月分ほどは以前にはじめていて、インデザインに流し込んであったので、それの続き。

7月4日(土)

本をつくる作業はたのしい。過去の自分の書いた文章を読み返して、思うことがたくさんある。何言ってんだ、と呆れ返ることもあるし、勇気をもらうこともある。今日の自分を反映して、前書きを寄せることにした。誰かが読むわけでもない前書きを書きながら、なにより、自分のためだけに自分で作る本、というのはなんとも気持ちがいいなあと思った。利益も生産性も気にせず、過去の自分のため、現在の自分のため、未来の自分のために本を作る。

入稿先は、フォロワーさんにアドバイスをもらって決めた。1冊でもよかったけど、3冊。だれかにあげるわけでもないけれど、3冊あったらなんとなく自分がうれしいから。だいたい2500円くらいで入稿ができた。悪くないと思う。160ページ超のA5版エッセイ集、といったところ。価格を抑えるために、10営業日以降の納品にしたので、まだしばらく届かない。けど、10日はわくわく待てる、ということでもある。

今週はほんとうにディプレッション続きで、鬱々としてしまっていたけれど、本をつくるとちょっと元気になれるということにも気づいた。これが必要至急のポートフォリオ製本とか、仕事としてのイヤーブックづくりとかだとちょっとイラついたりするかもだけど。裁縫にせよ、絵画にせよ、刺繍にせよ、自分のための出力・ものづくりっていうのは豊かだなあ。

TV5MONDEでフランス語のディクテーションをはじめた。今日のテーマはカンボジアの魚の餌袋をバッグにリメイクする取り組み。ディクテというよりボキャブラリー強化にはなりそうである。

夜は最近は『僕らは奇跡でできている』を観ている。

7月5日(日)

選挙。雨が降り始めていた。選挙権をはじめて手にした妹は模試の前に投票に行くといって朝早く出て行った。参政意識の高い少女に育ってなにより。出遅れてわたしは昼すぎに。帰りはマックのポテトが食べたくなって遠回りしてテイクアウトして帰ってきた。

今日のTV5MONDEは、思い立って学力テスト(案の定B1)を受け、あとはオランダのフランコフォニーについての動画をディクテ。

20時過ぎてすぐに出る選挙速報に失望をしながら、フランスに電話をつなぐ。「今週何してた?」に今週は特に答えがない。免許とって、フランス語勉強して、本作って、そんな感じ。あとはずっと沈んでいた。ほんとうにまとまっていないとき、日本語ならごまかしきれるけれど、母語ではないと支離滅裂になる。支離滅裂すぎて、自己矛盾だらけの自分に気づいて、へこむけれど、支離滅裂になった日は、ああ、答え出ていないんだな、と気づけるともいうって最近は思えるようになった。めちゃくちゃならめちゃくちゃなまま吐き出して、吐き出したまま抱えるしかない。時間をかけてほぐしていけばよい。

とにかく、聞いてくれるひとがいるっていうのは、本当に救いになる。だれにも言えないとひとりで苦しくなって沈んでいくけれど、少しでも自分の外側に言葉を置いておくことができれば、そしてそのはしっこを誰かがつかんでおいてくれれば、ずいぶんと楽になるし、息ができる。

結局、わたしが身動きとれなくなっているのは、政治のせいだとも思うし、この社会構造・犯人探しの文化だと八つ当たりしたくなる。でもそうするといつも、「この政治を選んでいるのは過去の自分たち」という結論になってしまって、本当にやってられないよな。政治に絶望すればするほど、自分にも絶望することになる。でも絶望してばっかりじゃ意味ないので、手を離さずに、小さく積み上げていくしかないのだろうな。時間のかかることです。

ひとに判断されることを恐れているわたしに、「いつだって差別や偏見、非難するひと、後ろ指をさすひとはいる。それは変わらない。なにも非難されることがなくても、彼らはなにか探して見つけてくるでしょう。女だから、日本人だから、どんな人と一緒にいるから...。だからこそ、それに対して強くいることが、あなたの人生で自信をもって生きていくためのコツです」という強い言葉をくれる人。まだどうしたいか、どうすべきか、決められていないけれど、待っていてほしい。言葉は呪いにもなるけれど、時に人をエンパワメントできる魔法にもなる。

『コンフィデンスマン』映画を見る。よい気晴らし。まさみの服がま〜じでかわいいな。

7月6日(月)

鮫洲までいこうかとおもったけど、大学の書類を取りに行ったり、映画観に行きたいな〜などと考えた結果そちらを優先して鮫洲はまたの機会にした。3か月以内に行かないといけないけれど、忘れたりしたら笑える(やりがちなので笑えない)。

大学で、卒業見込み証明ください、といったら休学中は無理ですね〜と言われた。そうか。11月にならないとくれないらしい。先は長い。

研究室には同期がひとり在室。いそがしそうだ。一方わたしは暇なので、図面のスキャンを大学で済ませ、夏卒業の友人の雑談を聞いて、帰路。『千と千尋の神隠し』を映画館で観て帰ることにする。こう、印象に残っているシーンはたくさんあって、鮮明に描き出せるけれど、設定やつながり、お話の流れは実は曖昧にしていた映画だった。20年越しに観た『千と千尋』は、随分と「大人」な話だったよ。油屋なんて、労働の縮図の話だったんだな。職のないものは動物にされてしまう。中途半端に他人の職を手伝おう/奪おうとすると、働きたくない集団がその善意に甘えてわんさか集まってくる。社会には無理難題をいってくる客もクレーマーもたくさんいるし。少女の冒険物語、ひと夢の成長物語、と思っていたけれど、ずっと厳しい社会の話が織り込まれている。

欲望の話、名付けの話、記憶の話、恋とも愛とも区別のつかない話、八百万の神の話、対価の話、社会構造の話、あらゆる生物の生命の話、労働の話...... 20年前に、家族が豚になることをとにかく恐れていた記憶が鮮烈にあったけれど、欲深くなった大人が急に人外に見える子どもの視線ってきっとあっただろうし、それは大事だと思っていた家族の存在だったとしても同様なのだろうなあと気付けた現在にはまたちがって見える。というか、あの父母、今見たらちょっとやなかんじだったな。「家族はぜったいにあたたかくてやさしい」という子どもながらの幻想があったのだと思い出したりした。家族だろうと親友だろうと恋人だろうとなんだろうと、「あたたかくてやさしい」は無償で与えられるものではなく、互いのたゆまぬ努力の上にしか存在し得ないのである......

と、そんなことが書きたかったわけではないけど、ジブリ、そういうとこあるよね、と思ったのでした。(きれいなことだけ描きたいわけではないぞ、という気概というか)

7月7日(火)

10時半からゼミ。今日が火曜日って忘れていたので、いろいろてんやわんややらかす。案外盛り上がったのか冗長だったのかわからないけど13時終了。次回以降のテーマ探し、履歴書の作成、日記を後追いで3日分書く、などなどしていたら16時半。すぐ時間経つな。朝早起きできるようにまたリズムを戻したいです。気持ちもいくぶんかシャンとしているので今のうちに。

あまりに時が流れすぎるので、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』を読む。話題のPCRっていう言葉はこの本にも表れていて、へえ、ジェネラルな単語なのですね。コロナに特化した検査なのかと思っていた。偉人・アンサングヒーローの伝記でありながら福岡さんの現在(出版当時)の研究や、彼の子ども時代の眩しい夏の記憶が交互に現れてずいぶん不思議な科学書だった。「生命とは動的平衡にある流れである」「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」という言葉が気に入った。生命、生物、細胞と同様に組織や人間関係、対人のコミュニケーションも絶えず作り変えていかなければならないのだよなあ。あと、いい食生活を心がけよう。。。

途中でお昼寝に寝落ちたりしながらも、読了。

帰国に際したPCR検査の現状など諸々リサーチしていたら夜になる。同じ出来事現象も、それぞれ人の立場によってまったく見え方が違うわけで、その線引きが本当に難しい。まるごと選択が委ねられているので、責任とリスクと鑑みながらバランスよく選択できるといいなあと思う。劇的に世界がよくなることはないのだから。

『僕らは奇跡でできている』見終わる。いいドラマだった。わたしもわたしの好きなところすごいところ100個言いたい。毎朝起きる。日記書いてる。ごはんをおいしく食べる。本を読む。





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