怒り

安室ちゃんとイモトのはなしをつらつら書いていたのだけど、データが消えた!そういうことがよくあるnote、ほんとそりが合わない。きらいや。

そして、揺るがすようなスキャンダル、東京医科大のニュースにくらくらする日々。これはすべてではない、一角に過ぎない、と強く思う。

いちいち怒ることは楽しく生きることに反する、という気持ちと、怒りが世界を変えていく原動力、と思う気持ちの二つが共存する。

当たり前にある。指摘すべきところにさえ浮上してこないような、ジェンダーの差が。「クライアントがおじさんだったから、女の子連れてったら仕事が取れるね」程度の、日常にまみれた差別が一番深くて恐ろしいもの。それに対してわたしは、「わたしが女だから、という理由で同席する必要があるのなら行きません」と怒って言えばいいけれど、言えなかったりする。そんなことで怒るの?みたいな面倒な、面倒な、さらにいえば、きみって面倒なんだね、という、本当に面倒な、視線がいやなのだ。小さなことでも一つ一つ怒って、変えたほうがいいのかもしれない。でも、そんなことに一つ一つ怒ることが、自分のためになるとも思えない。すり減るだけ。その葛藤が、決断を鈍らせる。

世界を変えるために、怒り続けられる人は、少数だろうと思う。なぜなら、みんなまず、自分の豊かで楽しい人生を守りたいから。
でも、全部を許してはいけないとも思う。そういうことを、許さない人がいるよ、という意思表明を、すべきなのかもしれない。少なくとも今後10年、20年、私たちは対等には生きられないのだろうから。

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