友だちのよしおくん
最近、中学校の頃を思い出す。
よしおくんと言う友だちがいた。
毎朝、いつも学校に友だち二人と通っていた時、
ある日突然仲間に加わってきた。
実際は、その中の一人の友だちで、一緒に通うことになったけど、
事前の前振りもなかったので、突然と言うイメージに思った。
よしおくんは、見た目が怖くてヤンキーっぽい。
怖いのであまりしゃべらなかったけれど、毎朝一緒に学校に行くようになると、いつしか仲良くなっていた。
見た目は怖かったけど、やさしかった。
悪い言葉も使わないし、圧力をかけてきたりもしない。わりともの静か。
自分はヤンキーでも不良でもないが、部活は帰宅部だったので、
「 オレの家、遊びにくるけ? 」と言われた日から、学校が終わるとよしおくんの家に遊びにいく毎日が続いた。
最初は、ピンポンを押したり、玄関を開けて声をかけたりしたが、
「 だまって上がってきたらいいし。」と言われてから黙って上がるようにした。
よしおくんは、松山千春が好きで、部屋に入ると高音量で松山千春の歌が流れる。
その時代はカセットテープで、リピート再生機能にしておけば、永遠に流れ続ける。
自分は松山千春は好きも嫌いもなかったけれど、
ほとんどの曲が空で歌えるぐらいになっていた。そして、知らない間に曲が好きになっていた。
さすがに毎日遊びに行っていると、よしおくんはヤンキーなので、
ヤンキーの友だちがいっぱい遊びにやってくる。
どうかするとすごい数のヤンキーがたばこ吸って、悪い言葉をガンガン使っていかつい環境の中、
おとなしい普通の自分がぜんぜん違う空気の中にいた。
最初ヤンキーの友だちが遊びにきた時は、
すでにいる自分を見て「 なんでこんな( ヤンキーでない普通のやつのこと )やつおんねん?」と
目を丸まるとして、自分とよしおくんを2度見、3度見する。
少し間が空いてから、「 オレのツレやんけ!」と一言。
すると、ヤンキー達は、何となく理解し、自分がいないかのような感じで、普通に楽しく盛り上がった。
毎日遊びに行ってると、しょっちゅう遊びにくるヤンキーとも打ち解けて仲良くなる。
怖いので友だちと思っていいのかどうかも微妙な気持ちのままでいた。
母が入院中で父親が看病のため、毎日家には戻らず、病院で寝泊まりしながら仕事をしていたが、しばらくして仕事も辞めて、看病に専念した。
なので自分は、毎日一人暮らしの中学校生活を送る。
朝ごはんも夜ごはんも基本は独りで、料理は何もできないので、スーパーに買い物に行ったり、ごはんも炊けないので、パンの耳を買ってきて、それを主食に、あとは冷凍食品とかレトルト、インスタントを食べる生活。
つらかったのは遠足で、自分で弁当を詰めたんだけれど、中身はレトルトのおかずとレトルトのごはんだった。
その時代のレトルトはあまり良くなくって、昼ごはんをみんなと食べる頃には、やり方が悪かったのか、ごはんはレトルトに戻っていて、とても食べられるものではなくなって、端っこの方から箸でご飯を持ち上げると、お弁当ごと持ち上がった。硬くて食べられない。おかずも変な味がした。
なので、食べた振りをして、その日は昼飯抜きでお腹がペコペコでしんどかったのを覚えている。
そんなに貧乏ではなかったが、何を食べていいのかよくわかっていなかったし、食に興味がなかったので適当に食べていた。お腹さえふくれればそれでいいと言う感じ。
掃除や洗濯もしないので、家の中は荒れ放題。
たまに父親が自分が学校に行っている間に家に戻って、洗濯や片付け整理整頓をして、自分とは顔を合わせないまま病院に戻っていた。
家がキレイになってるので、帰って来たんだと理解する。
キレイになった部屋は、ポカーンと大きな穴の空いたような気になる。
毎日、学校のある日はそんな感じで、休みの日には病院に1日いて、夜になると次の日学校があるので、見送られて独りで家に帰ると言う生活。
家に帰っても独りだったので、だからよしおくんのところに毎日通うようになったのだと思う。
どうこうして月日が過ぎるうちに、田中くんというこれまた怖い感じのヤンキーと友だちになった。
田中くんところは家業がヤクザ屋さんなので、さらに怖いご家庭で、家に遊びにこいと呼ばれた時も断れず寄せてもらうと、
マンションに独りで住んでいた。
いい部屋で全部自分の部屋らしい。ブルース・リーのポスターがいっぱい貼ってあって、
床にはヌンチャクがいくつか落ちている。二度と行かなかった。
でも田中くんは自分にどんどんと近づいてくれた。
家にも何度も遊びに来てくれて、朝になるとなぜか家にはないはずのガラス瓶に入った牛乳が3本あった。
だいたい予想はついたので、「 近所の人の迷惑になるんで 」というと、何も言わずに2度としないようになった。
素直に聞いてくれたし、圧力的なこともなく、普通に接してはくれるけれど、田中くんはよしおくんとは違ってやはり怖いのでいつも緊張していた。
それからどれだけか経った時、なぜか全然関係ないヤンキーに、「 田中くん良く遊びに来てくれるけど怖いし家に来てもらっても 」のようなことを話したところ、そのヤンキーも親切心から田中くんに「 あいつ怖がってるし家に行ったるな。」のような話しをしたところ、
すんごい怖い顔をして、自分に近づき、思いっきり手加減したほとんど痛くないキックを自分にあびせ去って行った。
それ以来、家にも来なくなって、あまり自分に接してくることもほとんどなくなった。
大人になってわかったけれど、田中くんも自分と同じ独りで、ヤンキーの間ではカッコをつけていないといけないけれど、
普通の自分なら田中くんも普通でいられて、本当に友だちだと思っていてくれたのに、そこからの自分の裏切りのような言葉で、非常に彼を傷つけてしまったんだと思う。
母は、中二の中頃から入院していて、中三のある日の朝礼中、担任の先生が必死の顔をして自分へ一直線に近づいてくる。
「 お母さん、具合悪いみたいやし、すぐに病院に行って!」と。
自分は「 そんなにあわてんでいいやろー。」のように思っていた。そこまで母は悪い病気でもないし・・と思っていた。
病院に着くと、重たい空気が流れていた。親戚も駆けつけてくれていた。
そして母が亡くなる数時間前に、母が癌で残す時間が少ないことを聞かされた。
頭が整理できなかった。頭を整理する時間を全くもらえなかった。
そう言えば、母はどんどんど悪くなるようにも思っていたが、そんな重い病気ではない、時間はかかるけどなおる、と言う言葉を信じていたし、信じたかったので、悪くなって行くのが良くなって行くようにさえ写っていた。
心電図がまっすぐになったとき、泣き崩れたがそれ以上に異常なほど悲しむ父を見て、落ち込むことができなかった。
自分ががんばらないと、二人ともダメになると、なぜかそう思って、母親を遠ざけて忘れるようにした。
なぜか恨むような気持ちもあった。なんの恨みかも全くわからない。
しかし、自分の気持ちの持って行きどころがわからず、整理もつかないまま、ずーっとそんな気持ちのまま大人へと成長した。
いまだに父親に墓参りを誘われない限りは、母親の墓参りはしていないし、墓に行って手を合わせても気持ちはどこか遠くにある。
父親には母が癌であることを黙っていたので恨むのに値するが、中学生なので生きて行くためには父親にすがるしかなかった。
父親も黙っていたのは、自分に悲しい思いを早くからさせたくなかったからだと言う理由のようだったが、そのせいで心の整理がつかず、数時間で母親の死を受け入れなければならなかった自分の気持ちまで本当に考えてくれたのかは疑問に思う。
そして中学校を卒業した。
あれだけ毎日遊びに行っていたよしおくんの家にも行くのが遠のいた。
中学校を卒業したので、遊びに行く理由がなくなった。会うこともなくなった。
この時代は携帯電話もなく、家の黒電話で連絡のやり取りが普通だったけど、よしおくんからは一度も電話はかかってこなかった。
お互いが何かを理解した感じがした。
あれからもう30年以上も月日は経っているのに、ふと思い出すことがあって、時々思い出にふける。
子どももできて中学生になった頃、自分が中学校時代、普通だったけど大勢のヤンキーの中にいた話しをしたりする。
そのせいで思い出すのかもしれない。
妻には「 なんでそんなヤンキーと遊んでたん?ヤンキーやったん?」と聞かれるが、
自分はヤンキーでもなく、ヤンキーと友だちになるわけでもなく、よしおくんがいい人でいい友だちがたまたまヤンキーで、ヤンキーだったからと言って友だちをやめることができないほど仲良くなっていたから・・・。
「 そんだけまわりがヤンキーやったら、いじめられたやろ?」と言われるが、ほとんどなかった。少しはあったが、一瞬で長くはされない。
その時代のヤンキーは硬派で、普通のやつに手を出すのは情けないやつとされていたのと、実はよしおくんはかなり気が荒く、ケンカもかなり強かったようで、周りのヤンキーほとんどがよしおくんを怒らすと手がつけられず怖いので、よしおくんと仲の良い自分は守られていたようだった。
決して楽しい中学校生活でもなく、永らく記憶から消えていて、思い出そうと思っても何一つ思い出せない時期が何十年も続いていたが、
二人の子どもが中学〜高校へと進学し、上の子は大学を目指すぐらいになると、自分が子どもだったことを振り返るようになった。
そうすると少しずつ色々な記憶がよみがえってきて、後にも先にもよしおくんの存在が大きく、
今になって卒業後も遊びに行けば良かったとか、色々と後悔をするが、心の支えになってくれたよしおくんの存在に今は感謝でしかない。
このnoteに書き綴ったのは、このサービスがこう言うサービスなので、人に読んでもらいたいとか、わかってほしいとかそうようなものではなく、
かなりの月日は経ったけど、今になって自分の心の整理に書き綴ろうと思い、投稿することにした。
入力しながら、なぜか胃が痛む。ここまで打ち終えて、誤字はないかと読み返しながらもなぜか胃に傷みを感じながらこの記事を終了する。
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