想い

29日の夜、母からのLINEで昨年の箱根駅伝直前に父が髄膜炎の為、入院していたことを知りました。

一昨年の9月に母方の祖母が亡くなり、自分は祖母を想いながら箱根の山を登りました。その山中、親戚や家族の応援する姿が確認でき、力を貰いました。でも、父の姿だけは確認出来ませんでした。でも、家族全員で応援に来てくれてたのに父だけわからなかったとは言い出せず、家族には全員わかったよと伝えただけでした...。

父は箱根駅伝当日、東京医大の先生から外出許可を得て応援に駆けつけてくれたそうです。山の頂上の駐車場に車を停めて、すぐ近くの人がいっぱいいる沿道の中にいたそうです。声が出せる状態ではなかったので、自分の走る姿を静かに見届けてくれていたみたいです。

思い返せば、自分が高校2年生の時も同じようなことがありました。自分はその年、左足の膝に水が溜まる故障から始まり、股関節の疲労骨折や脛骨の疲労骨折とずっと故障続きでした。病院に行くにも親の車の運転が無くては行けないくらいの田舎に住んでいたので、何度も送り迎えをして貰いました。その時も自分の一連の故障が全て治ってから、父がその期間、脳腫瘍を患っていたことを知りました。体調がおかしいのを自覚していながら、自らのことを後回しにして、自分の故障が早く治るように治療院や病院の送り迎えをしてくれました。このことを知った時は父への感謝と自分への情けなさで涙が出ました。

それ以降、父は回復しましたが本調子ではないことはなんとなくわかっていました。でも、頑固な性格の父は全くそういうことを口にしないので昨年の箱根駅伝直前にまさかそんなことがあったとは全く知りませんでした。なので驚きましたが、父の姿が見当たらなかったことと結びつきました。

昨年の箱根は母方の祖母を想いながら走りましたが、今年は父の為に走りたいです。自らのことを後回しにしてまで、無理をしてまで、自分の走りを見たいと思ってくれている。今年1年は自分自身も結果が出せず、苦しい1年でした。父も支えていた母も自分の知らないところで苦しい1年を過ごしていたんじゃないかと思います。そんな父と母に喜んで貰いたいです。もちろん大学生活で一番長い間お世話になった4年生にも最後は笑って貰いたい。絆世代をこのまま終わらせるわけにはいきません。

このようなことを公表されるのを嫌がる父なので、もしこの投稿が見られてしまったら後で叱られると思いますが、言葉に表すと自分自身気合いが入るので書きました。直接感謝を伝えるのは照れくさいので、走りで伝えられるようにしたいです。

今年は9区です。
圭太さん、神林さん、ダブルエースに続く、
9区 区間賞を獲りにいきます!

最後に親戚等、父を知っている方へ
父はもう元気なのでご心配なく!

青学の誇りを忘れずに、家族のことも想いながら、
全力を尽くします!
読んで下さりありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?