リカルド・モヤーノとの話

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以前、イーストエンド国際ギターフェスティバルにて、
ゲストのリカルド氏とお話したことをふと思い出したので書き記しておきましょう。
日本の音楽家とばかり会っていた頃には疑問にも思わなかった
「幸せの定義」について考えるきっかけになりました。
私の人生にとって一つのターニング・ポイントです。

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「小さいころは学校がお昼には終わって、父の音楽院に行ったり、一日の半分は好きなことをやって過ごしたよ。

日本はどうだい?子どもは何時まで学校にいる?
学校の後はどんな遊びをしている?


私が住んでいるトルコもそうだけど、都市の子ども達に対しては不憫に思うことがあるよ。」

- 確かに、私も貴方と同じように田舎の出身だ。外で運動もすれば、川で釣りをしたりした。
だんだんTVゲームをするようになって、いつの間にか勉強しなきゃならなくなって、
遊びの時間はなくなっていったよ。

「そう。優れた教育や、充足した生活は遊び、創造性を奪ってしまう時がある。
だから私は田舎が好きだ。生まれ故郷が好きだ。」

- でも、都市だって大切でしょう。一回のコンサートで沢山の人が聞きにこれる。田舎じゃそうはいかない、我々の仕事が増えてしまう。

「そりゃそうだ、経済は大切な考え方だ。それと同時にそれだけでは人間は生きられない。」

- 生まれ故郷でコンサートをした経験は?

「ああ、あるとも。沢山の人が来てくれて幸せだった・・・」
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(懐かしそうな笑顔で話していたのが印象的でした。)

彼もそうですが、マルコ・メローニ氏の演奏を聞いた時も感じた感覚で、
幸せの定義が、物の充足ではなく、心の充足にあるのだなと重ね重ね実感します。
心豊かに生活する方法を彼らの人柄が、音楽が提示してくれる気がするのです。

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