「わかりやすさ」は演奏の究極
2018年の名古屋ギターフェスティバル、名古屋ギターサマーコース
に参加して、久しぶりに「サービスの受け手」になり切りました。
昨年アメリカ最大のギターコンクールGFAのINAC部門で優勝した
TYことTengYue Zhang氏について考えさせられた事をまとめたくなり、
久しぶりにブログらしい筆をとります。
2回演奏を聞く事ができたのですが、どちらもコンクール的な
プログラムで、GFAの時に弾いていたプログラムがメインの様子。
技術的に、音楽的に難曲も多くありましたが、特に気になったのが
セルジオ・アサド作曲の「アクアレル」でした。
私はギタリストが作曲した曲は基本的に好きではありません。
聞く上では好きな事もありますが、勉強しても何をどう工夫する余地があるのか
分からないし、思いつかないからです。特にこのアクアレルは超絶技巧の
ギタリスト弾くような曲で、運指の改善案も思いつきませんでした。
演奏を聞いても「指が回るのはわかるけど、それ以上は感動しない」のです。
しかし今回演奏した第3楽章、「プレリュードとトッカティーナ」は違いました。
声部の引き分けとアクセントを明瞭につけた演奏で曲の構造が明快だったのです。
楽譜を見る以上に「立体的によくわかる」演奏でした。
彼には楽々弾ききる技量があるのはもちろん言うまでもないですが。
しかし、フーガでもソナタでも、その曲の構造を理解していて
わかりやすく伝えられる技量がある人の演奏は基本的に「良い」と感じます。
最近読んだ本、『ソナタ形式の修辞学』の中でもこのように書かれていました。
「わかりやすさは形式の本質的な特質である。」
形式を用いる理由は「わかりやすくする」ため。
演奏者が音楽の再現し、聴衆がそれを受け入れるためには「理解する」
という過程を必ず踏む事になります。(例えば「異質である」と感じるのも「理解」一部)
TYの演奏が多くのコンクールで受け入れられてきた理由は
そのわかりやすさがずば抜けているから、だなと感じた一週間でした。
ちなみに彼は日本で自己紹介ジョークを学んで活用していましたが、
「自己紹介」という過程を踏むかどうか、も聴衆との対話を成り立たせる上では
結構重要な潤滑油になっていると感じます。
もう一つおまけに、彼の左手の指先はギタリストにありがちな
硬さがありません。喩えると赤ちゃんくらいの柔らかさです。「もっと練習しろよ」って
突っ込みたくなるくらいでした。それくらい体に力みがないのです。恐ろしい。
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