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願いは未来から受け取る、そしたら叶って当たり前なんだよね。

ふと、昔のスケッチブックをめくっていると、書きなぐった日記のようなものや、仮設、図形やイラスト。
2015年のものだった。

その中からいくつか、飛び込んできた文字や願い。
すっかり書いたことも忘れていたけど、今と、ぜーんぶ繋がっている。
願ったことはぜんぶ叶ってる。
こういう時、「これもなの?!」って
思わず「え!」って声が出ちゃう。笑っちゃう。

人生をかけた大きな願い、何年か越しの中くらいの願いは、ずっと変わらず意識のどこかにあるんだけど、どんなことも本当に全部叶ってる。
「はあ、そうなんだよなぁ」って感慨深くなる。
新しい当たり前が、まだ定着していない〜。

願いとも言えないような小さなこと。メモ書き。
例えば
「Yさんと〇〇したい」と書いてある。
ずっと、連絡も途絶えていたYさんと昨日、電話で話した。
数年前、宇宙とつながる方法をわかりやすくイラスト付きで書いてくださいって言ってくれた人。

この間、初めてカラダについての本を書いて、それをきっかけに次々、書きたくなった。もともと私は宇宙とか、スピリチュアルとかいう言葉とも無縁だったけれど、今では自然なものになっている。

だって、「いのち」ってもともと神秘。私たちが生きていること自体が奇跡で、神聖なことだから。
どんな「いのち」も。

そういう分野が得意でじゃなかった、理解できなかった私だから、わかりやすく伝えられるかもって思った。

昨日、Yさんと電話で話したほんの些細なことが、またきっと、次につながっていく。

これがリアルの力。インスピレーションとアクション。イメージすること、願いを投げること、再び、インスピレーションと小さなアクション。


この数日、10年前、5年前くらいにもらったキーワードが次々と繋がっていく。スケッチブックに書いていた、六甲比賣神社、瀬織津姫、水の女神っていう文字。これも2015年。

当時も今も、特に興味がないワード。でも書き留めているってことは、何かに引っかかってメモしてるんだよね。

私は自分から神社に行くことはないけれど
先月の末にライアーを持った友人(2ヶ月前に淡路島で出会った人たち)が六甲のその神社に音楽でご挨拶に行くと聞いて、「札幌と東京から来るんだ〜、せっかくだから会いたいね」ってなって、その神社に行った。すごくいい時間。
森の音楽会みたいになって、人も動物も集まってきた。

そのあと、本のイベントをすることになって、ライアー持ってきてくれることになった。小さな、少人数の、声と音と映像のイベント。窓から空と山も見える。

光と音を感じるだけ。考えなくていい。
その場にいるだけで。

この間書いた、儀式のこともそうだけど、わからなくて行っていても(いや、わからないからこそ、余計なものが入らないのかもしれない)その場のエネルギーは影響する。意図していることが伝わる。

行くだけでいいんだな。
パスが送られてくるのを受け取るだけでいいんだな、楽チンだ。

そしてそのパスは未来の自分から投げられている。
自分のコアな願いは全体へと繋がっている。

***エピローグ***

オンラインのセッションも好きだけど、来年はもっとリアルの場を作っていきたい。旅と仕事、もっと合体させていきたい。
このnoteをいつか見て、「あー、やっぱり叶ってた〜」って思う日が来るんだね。「叶ってウレシい願いの叶え方」の講座もやりたい。



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