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永遠のもの

最近あのモデルさん見かけないけど元気?何してるの?と聞かれることはよくある。どんなに仲が良くてどんなに親しくてどんなに互いの家を知っていても、一緒の釜の飯を食べていても、被写体と撮影者という関係でなくなると、疎遠になってしまう人がいる、というのは事実だ。

被写体、と撮影者の関係で命があるかぎり半永久的にいられる、ということは本当に奇跡が起こらない限り、きっと無理だ。被写体もわたしも年を取るからだ。女性ならば尚更、仕事が変わる、役職が変わる、住む場所が変わる、好きな人ができる、結婚をする、子供が生まれる、家庭が変わる、色んな波がどっと押し寄せて、気づいたらわたしたちは離れ離れ、なんてことは珍しくない。

もちろん被写体を辞めても、お茶をする関係でいられる人もいるけれど、わたしが写真家として走り続けているかぎり、その関係はちょっと寂しいのは事実だ。わたしの周りの友人たちも被写体を辞める!と宣言しなくて少しずつ少しずつ、違うものを好きになったり、結婚したり、そんな理由で減っていくのを体で感じるたびに、どうか待って欲しい、もう少しだけ、もう少しだけ、被写体を続けて欲しい、わたしのわがままでいいから、一年に一度だけでいいから、そんなわけでわたしは毎年誕生日の<ワガママ>で周りの隠居しはじめている友人たちを必死で引き止めている。

でもそれもいつか、無理な日が来るだろうということはわたし自身が1番わかっている。けれどもそれでも、どうか、あと一年、あと一年、と願っている。

展示や写真集に同じものは二度はない、とわたしはよくツイッターで訴える、同じ人が同じ場所に集まることは多分二階から目薬をさすより難しい。よくもわるくも少しずつ、少しずつ、変わっていく、だから、一度きりだから、展示に来て欲しい、再販はないから手にして欲しいと願っています。

それと、被写体の人にもっとラブコールをちゃんとあげて下さい。わたしに感想をくださるのはもちろん嬉しいですが、彼女たち自身にもどんな形でもいいから、好きの気持ちを伝えて下さい。

私の言葉なんかが、なんて思わないで下さい。あなたのたった一言で限りある時間がもう少しだけ伸びるかもしれません。わたしが展示をもう辞める、と言ったのを一人の言葉で撤回したように、一人の言葉で救われる時が必ずあると思うからです。わたし一人の言葉では、彼女たちを引き止めることはできなくなる日が来ると思います。だからその時のために、どうか、いなくなった後ではなく、今、好きよ、あなたの被写体の写真が好きよ、と簡単でいいんです、思ったことを素直に言葉にして下さい。

一緒に綱引きをしましょう。愛を大声で叫んで口説いたもの勝ちです。そしたら大抵の波には持ちこたえられるでしょう、それでも引き止められない時はその子にとって新しい扉を開ける時なら、みんなで万歳してハグしてキスして送り出してあげましょう。

永遠のものはないよ、というお話でした。


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