見出し画像

なぜ今、個展なのか

カメコを名乗り早5、6年(多分)職業カメラマンを経てフリーランスデビューなんかしちゃったりして、そんなわたしがなぜ今、個展を開くのか、考えてみました。

● 多人数の企画をやりきった感がある燃え尽き症候群

● わたしの展示の引き出しはこれだけなのか?という疑問

● ツイッターで回転寿司のように流れて消えていく自分の写真への疑問

● 展示中ゆっくりのんびりすごしたい

● とはいえ隠居気味の友人を定期的に引き摺り出したい

だいたいこれらの理由が思い浮かびました。話はまあ、それでおしまいなんですけど、今までの展示はまさに集団芸術でした。大人の文化祭です。でもエンフェアウェルで、燃え尽きちゃったんです。お別れをテーマに、と決めた時もこれで最期幕引きの展示にしようとぼんやりと考えていたせいか、本当におかげさまで燃え尽きてしまいました。小さな企画をやろうかなと思ったりもしたのですがメンバーの都合やら自分の仕事やらで都合がつかず、結局何もしないまま、誕生日を過ごしました。

でもわたしという人間は泳いでいないと死んでしまう魚です。何もせずに一年を過ごせるわけがなかったのでした。そして30という年が迫りまずい、これはまずい、となり何かしなければ、けれど時間も企画もない、となった時手元に残っていたのが今まで忙しくて挙げられていなかったポートレートの数々でした。写真には旬がある、とわかりながらも、それでも眠らせてしまった写真たちに陽の光を当ててあげたい。

それがたとえ需要と供給に見合ってないお披露目会だったとしても見て欲しい、そう思うようになりました。

写真は撮影者と被写体の関係の記録である。

そう教えてくれたのはわたしの高校の恩師でした。

その被写体とどんな関係を気づいたのか、写真を見ればわかると、その人はいいました。当時のわたしは言葉を覚えてはいたものの、本当の意味は高校生のわたしには100%理解出来ていなかったのだと思います。というのも、当時のわたしは人間が嫌いで自分が嫌いで、人工物ばかり一人で黙々と撮っているような根暗な人間だったからです。(今でも根暗ですが)集団行動を嫌いシロップ16gを崇拝し一人で錆だの苔だのとっている当時のわたしが、数年の時を経て改めて”人を撮る”ようになったのは本当に青天の霹靂でした。自分でもびっくりしています。高校のわたしに教えたら まさか! ときっと顔を真っ赤にして否定するでしょう。とかく、そんな根暗で卑屈な高校生時代を過ごしていました。

小さい頃から誰かに電話をするのが嫌いで電話の音が嫌いで携帯が普及している時代にも関わらずメールが大嫌いで返信もせずそんなひねくれたわたしの唯一の心置けるコミュニケーション相手はネットの住人でした。

クラスメイトと無理して話を合わせる必要がない、好きなものを好きな人と話せるということはとてもわたしの心の拠り所になりました。個人サイトがTwitterに代わり、一人一人との距離はより近くなりました。昔はオフで合うなんて…と思う人も多かった時代、今は本名を知らない人とさえ気軽に会える時代になったのです。(すごい!)

話がずれましたが、今回はそんなネットコミュニティの中でわたしが築いてきたわたしとわたしの被写体たちとの関係の記録展です。その写真たちには今までの集団展示のような明確な物語はありません。でもそこにはわたしというカメラマンと被写体との関係のドラマがあります。そんなドラマを楽しんでいただければ、そう願っています。

【フリマについて】

今年の秋から海外にゆくことにしました。その間写真を撮るのかわかりません。なので、フリマをするのは、わたしの大切なお洋服たちにわたしと同じように旅に出て欲しいからです。わたしの撮影において、彼らは役目を終えました。だから次の持ち主へゆき、わたしのクローゼットの中に眠っているのではなく、次の物語を作って欲しい、そう願いを込めて開いています。

そんなことを頭のすみに入れて楽しんでもらえれば幸いです。


日々と服とわたし写真展/斎藤エン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?