昼飯の話
俺はちょっとした小遣いがあると近所の市場、あるいは日常生活のさなかでふと気になったお店に行き昼飯を食べる。昨年までの東京生活では主に昼飯に力を加えており、仕事柄東京都・埼玉県・横浜市・常陸多賀など関東圏は色々なところをぐるぐるした。
両親には物心ついた頃から刺身を与えてもらい鍛えられたせいか、23くらいの頃から食にはとても煩くなってしまった。
とはいえ初めて一人暮らしをした18の夜、薄くひいたお好み焼きをフライパンでひたすら焼いては皿に重ね焼き、重ねを朝のoha!4が始まる時間帯まで繰り返し、見事フロッピーディスクほどの薄さをした謎の円盤を計52枚ほど焼いてしまった。その日からそれを大切に冷凍しては温め、炊いた米にそのフロッピーもとい謎の円盤を乗せ、ソースをかけて腹を満たすという底辺の僧みたいな生活をしていた。
近頃の20歳前後の青年はほぼほぼ食に興味がないと言う。俺もそれは「まあね」と思う。
さて飯屋の話だが仮に飯屋に行き、この飯屋また行こう行かまいの判断は味もそうだが、俺は
・常連がいない、ウザくない
・店員、長がウザくない
がかなりのウェイトを占めている。
先日訪問した飯屋もピークが過ぎたのであろう12時半ごろお邪魔をしたら何と客が零だった。
入り口の看板には、「鯨の尾の身限定20食」「小鹿のロース定食」など舌の肥えた客にはビビッとくるお品書きが記入してあったが、値段は一切書いていなかった。
とかく俺はお父さんからもらった千円札2枚を尻ポッケに入れ落とさないよう丁寧に平行移動し店のドアーをひいた。
店に入っても変わらず丁寧に平行移動する一見の俺にマスターらしき男性は取り乱すことなく今日は何がうまいか、なぜ秋刀魚が高いのか、椅子の座り方などを優しく教授してくれた。
マスターはとにかく色々な話題を持っていて、俺も話を交わしながら「これはウザくなるパターンか?」と思ったが最終的には杞憂だった。うんちくを語るヤツはウザいか嫌われ者だが、マスターは「あそこの店は自分と同じ業者から肉を卸しているのに値段をふっかけて出して、昼になるとウチの店に来て飯を食べる」という悪口なのか自虐なのか分からない話術で俺は掴まれてしまった。
問題の味も、小鹿は予算内で食べられるため注文したら小鉢が3つくらい出てきて次に小鹿が運ばれてきて、食後にアイスコーヒーも出てきた。さすがに他店がイカサマするだけあって味も良かった。量もあった。
総括すると、マスターの悪口と自虐を聞きにまたピークを過ぎた12時半ごろ行こうと思いました。あと入り口の看板には値段を書いた方が良いと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?