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お墓参りに行ってきた

2020年7月15日。
姉の命日。それをどう受け止めていいかわからない。ただ、自分がそれを大事にしたいのだということはなんとなくわかる。そして、その日は祖父母のお墓参りに行こうと決めていた。姉の遺骨が納められたお墓ではなく。

姉の結婚相手も、結婚相手の家族も嫌い。結婚相手の家族の墓も嫌いだ。俺にとってはなんのゆかりもない、白々しい土地に過ぎない。そこに姉がいるとはどうしても思えなかった。思いたくなかった。

俺の祖父母のお墓。それはもちろん姉の祖父母のお墓でもある。そこには姉と一緒に行ったことが何度もあるのだ。幼い頃から何度も。
姉と一緒に行った最後のお墓参りは一昨年の夏。祖母の三回忌だった。日陰を選んで、ゆっくりと歩く姉の姿を覚えている。戸籍がどこにあろうが、遺骨がどこにあろうが、俺にはその記憶しか信じられるものがない。

実家の一階。ピアノの上には写真と花が飾られている。それは母にとっての仏壇だと言えるが、宗教的な理由からではない。なじみのある祈りのかたちが必要だったのだと思う。お線香の懐かしい匂いが必要だったのだ。姉の義母が信仰するキリスト教に、葬儀のすべてを奪われたからこそ。

実家の二階。家族との交流を断った父親が今もそこにいる。父親の巣である二階には、放し飼いされた犬が少なくとも4匹はいる。姿の見えない犬たちは吠え続けているし、抜け落ちた毛と獣の臭いは一階までなだれ込んでいる。
姉は父親を嫌っていた。いや、憎んでいたのかもしれない。姉は自分の結婚式にも父親を招待しなかった。そして姉は幼い頃から鼻がよく効いた。
母親がいくら花で飾ったとしても、そこに姉がいるとは思えなかった。

三兄弟の末っ子である俺が幼稚園に入る頃、俺の実家は建てられた。祖父母の家に隣接するその土地はただの畑だった。俺の記憶はだいたいそのあたりから始まるのだが、それまで俺たち家族は祖父母の家で一緒に暮らしていたのだ。俺より4つ歳上の姉は、俺より4年ぶん多く、祖父母と一緒に暮らしていた記憶があるはずだ

姉は結婚して家を出るまでのあいだ、祖父母の家によく顔を出していた。お節介を焼きながら、ほぼ毎日のように彼らの話し相手になっていた。寂しくないように。いつまでも若くいられるように。
「たまにはおじいちゃんおばあちゃんに顔見せてあげなよ。喜ぶよ。」
姉は俺によくそう言った。姉の姉らしい口調で、姉の姉らしい表情で。俺はそのたびに適当な返事をしていた。弟の弟らしい口調で、弟の弟らしい表情で。
俺にはその記憶しか信じられるものがない。

2020年7月15日。
お墓参りに行ってきた。

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