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ウサギの話

うちにはウサギが二匹いた。
ミユポンは新潟からやってきた。俺が小学校に入るか入らないかくらいの頃だ。もらったときすでにミユという名前があって、俺たち兄弟からはミユポンという愛称で呼ばれた。 ミユポンが死んだとき、雨が降っていたのを覚えている。俺が中学生になったくらいの頃だ。足を怪我して、傷口に虫がわいていた。濡れた獣の匂い。今でもふっと、あのときの玄関の景色が蘇る。
母親に伝えたかったのはそのときの話で、そのときの姉の話だ。

「ミユポンが死んじゃった」
そう言いながら、姉が泣き崩れて俺に抱きかかってきた。特別に仲がよかったわけでもなく、普段のスキンシップも少なかったから、慣れない姉弟の距離感に中学生の俺は戸惑ってしまった。ミユポンが死んだことよりも先に、姉が泣いていることの方がショックだった。そして、自分がそんなに悲しくなかったことに罪悪感を感じた。ミユポンが生きているあいだにちゃんと大切にしてあげられなかったことを後悔した。もう動物を飼うのは辞めようと、そのときに思った。
しかし、母親はそのことをまったく覚えていなかった。俺の記憶では母親もリビングにいて、一部始終を見ていたものだとばかり思っていたのだが。
「全然知らなかった。あの子がウサギを特別にかわいがってたって覚えもないんだけど、死に対してなにか特別な感覚があったのかなぁ。あと、スキンシップがなかったって言うけど、あの子は写真撮るときとかはよくあんたの手を握ってたよ」と母親が言った。
姉が俺の手を握っていた。俺はそのことをまったく覚えていなかった。

そんなふうに、母親と会うたびに姉の話をしている。姉との思い出はもう増えない。だから、それぞれが持っている思い出を集めていくしかない。俺が死んだら、俺だけが覚えている姉の姿も消えてなくなってしまう。そのあっけなさにも価値はあるかもしれないが、俺たちにはまだしばらくそういう作業が必要なのだと思う。

うちにはウサギが二匹いた。
ドンピーは、兄の同級生の家からやってきた。たくさん産まれた子ウサギのひとつだったのだろう。ドンピーという名前はみんなで決めた。当時放送されていたクイズ番組で、そういう名前のキャラクターがいたのだ。俺も兄も小学生だった頃で、ミユポンもまだまだ元気だった。ドンピーは、ミユポンがそのまま小さくなったようなウサギでとてもかわいかった。しかしドンピーはすぐに死んでしまった。

「ウサギは縄張り意識が強くて、狭いところにいると小さいものをいじめてしまう」
そんな話を小学校の先生から聞かされたことがある。先生はあくまでいじめは良くないという例え話として、遠回しな説教としてその話をしたのだろうと思う。でも、その話を聞いた俺が確信したことはただひとつ、ミユポンがドンピーをいじめたということだった。ミユポンがいじめたから小さいドンキーは死んじゃったんだ、ということだけだった。
そのことを話すと、母親もドンピーのことを覚えていた。そして言った。
「私が日向に出してたら弱って死んじゃったんだよね。かわいそうなことをした。そもそもウサギはお父さんが勝手に飼い始めたものだったし、自分はあんまりかわいがってなかった。臭いし。でも、家族のなかではあんたが一番かわいがってたんじゃないかな」
ドンピーが死んだのは、ミユポンがいじめたからじゃなかった。そして、俺はウサギをかわいがっていた。幼い自分が考えられうる限りで大切にしていたのだ、きっと。

それぞれの身体と一緒に無くなっていくはずの思い出。そのバックアップをとるような作業だ。言わなかったことを言って俺は楽になったのだろうか。知らなかったことを知って俺は楽になったのだろうか。わかるのはただ、過去すらも変わっていくのに曖昧な記憶を信じ続けているということだけ。
もう動物を飼うのは辞めよう。そう思った日からもう20年が過ぎる。あのときの決心なんてあってないようなものか。

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