【まとめ】第3回「孤独」について
日時:11月7日(水)16:00~17:30 場所:ラーニングコモンズ
参加人数:8名
議題:①孤独とは何か?その良い点、問題点②あなたの孤独論~孤独との付き合い方~
①ここでは、孤独の再定義、そしてそのメリットデメリットについて話し合われた。定義について、孤立を感じること、自分と同じ価値観を持つ人がいない、巻き込む人がいない、周りに影響を与えられない、誰にも頼ることができない、同族がいない、情報がないなどといった孤独の悲観的な定義づけがなされた一方で、強く生きる、集団から抜け出して個人として成立するなどの楽観的な定義づけもなされた。
メリットについては時間、思索、自分の世界、ひねくれ、反骨心、創造、満たされたものへの疑い、悟りが開くことができるなどといった様々な形でスペースが保持できるということに議論が帰結した。また、デメリットについては疎外感、ストレス、他人への恨み、寂しさ、安心感のなさ、無力感、アイデンティティの喪失などといった一人でいるという状況を感じたときに起こる感情に帰結した。
②ここでは、孤独とは主観の問題か、客観の問題かによって変わってくるという議論から。孤独は主観的問題なのではないかという議論がなされた。つまり、孤独は「孤独を感じる私」から発生し、客観的な孤立という状況から直接的には生じないということである。一人の参加者の言い方を借りれば、「想像が孤独を生み出す」ということだ。そうしたときに、集団のなかにいても孤独を感じることはある、また孤立していたとしても孤独を感じないこともあるのである。結局のところ、孤独を感じないようになにかをすればよいという答えに至った。そしてそれは孤独な誰かを想像することであったり、自分を一匹狼だと割り切ったり、孤独は当たり前だと思ったり、孤独という言葉を用いないことであるという風にまとまったのであった。
【主催者総括】
今回の議論で興味深いと感じられたことは、孤独の問題から主客の問題に発展したことである。孤独とは、「孤独を感じる私」の問題ではないかということである。これに従えば、孤独とは孤立という客観的状況からだけ生み出されるのではなく、喩え孤立をしていなくとも成り立つ。これを別の側面からとらえると、孤立していてもそれをなんら悲観的に捉えていなければ我々は孤独ではないということである。孤独肯定論は芸術家や哲学者から多く提示されてきた。この議論はそういった孤独肯定論の真髄にせまるものとなったのではないか。そして、参加者各々が今回の議論を踏まえて、今後、かつてなされたような孤独論を見出していただけたら幸いである。
↑「想像的孤独論」:人間関係を想像で恨み、自分は一人だと想像する。