ピントずらし
無になる、とか、意識するな、っていうのはとってもむずかしいことなんだろうな、とずっと思っていたし今もそう思っている。
でも、これって「ピントをずらす」ということでもあるんだろうな、とある日気づき、というか自分なりに緩めに定義してからは、自己満足的ではあるけれど、意外とそんなには難しくないのかも、と思うようになった。
要は、「何かひとつのものにフォーカスするのをやめる」ことが「ピントをずらす」ことになるのだ。
まあ、当たり前っちゃあ当たり前のことなんだけどね、カメラ用語として考えれば。
ピントをずらすことが意識的にできるようになってからは、発見が多くなった。
そんなに大した発見じゃないことがほとんどなんだけれど、それが結構たのしい。
たとえば、雑誌を読んでいるとちょいちょい挟まってくる広告ページなんかは結構な大好物で、とくにカーサブルータスとかの広告は、本誌で特集しているインテリア特集なんかよりもインテリアとして参考になることが多々ある。
どういうことかというと、だいたいの広告って紹介したい「メイン」があって、だいたいのそれはすぐに目につくような構図の中心的ポジションにあり、もちろんピントもばっちり合っている。
だから、普通は自然とそこに目がいき「お、何これ!すげえ素敵じゃん」とか「ああ、これね、知ってる、きれいだよね」で終わることがほとんどだ。
でも、そこであえてピントをずらし「メイン」にはフォーカスせず、目もくれず、その背景となっている部分を見るようにすると、そこには何かしらの気づきをみつけることがある。
ある時からこれが習慣になっていて、なかなか面白いのだ。
(ピントずらし、と言いつつ、結局はほかのところにピント合わせてんじゃん、というツッコミはやめてね。。。)
背景にある無造作な棚のレイアウトがいい感じだったり、たまたま通りかかっている人の服装がいい感じだったり、見たことのないものを見つけたり。
雑誌だけでなく、テレビCMでも同じようにピントずらしで楽しむことができる。
あと映画でもできるんだけど、これはあまりオススメしない。
ストーリーを追うことを忘れ、なんども巻き戻しをすることになるからだ、映画館だったら尚のことオススメできない。
それにしても、無意識というのは、自然がつくる植物とかと同じで、僕はとっても好きだなあ。
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