アニメ演出には手を出すな!①

こんにちは、アニメーターの五十嵐祐貴です。

第一回目は何がいいかなと思いましたが、読んでる人が興味ある話題はやはり『映像研には手を出すな!』(以下『映像研』)でのぼくの仕事なのかなと思い、このタイトルにしました。これはもともと同人誌にでもして、ひっそり売ろうかなと思っていましたが、あまりに『映像研』が人気になってしまったので、同人誌にしたら怒られそうだなと思って棚上げしていた企画名です。そうこうしているうちにコロナ禍によって同人誌即売会も中止になり、いつ再開できるのかもわからず(とても深刻な問題です)。そもそも『映像研』自体の話題が完全にコロナに持っていかれてしまい、なんてつらいんだろうと思っている今日この頃ですね。

さて、本題です。

このシリーズでは当初の企画よりはゆるい感じで、「はじめてアニメ演出をやってみた人の感想」という感じで進めていければと思います。そもそもぼくはアニメーター出身なので、『映像研』ではかなり役職を越えた仕事をしています。もちろんそれが今回、その作品のためになると思ったからそうしたわけですが。それは普段のアニメのルーティンとはかなり違うということは、最初に言っておかねばなりません。すべてはケースバイケースです。ぼくは特に「はじめてやってみた人」だったので、ルーティンとは違うやり方を自然と選択することになりました。もちろんそれを許してくれた現場のおかげということもあります。それによる苦労もたくさんありました。そんなことを順を追って思い出していけたらと思っています。

マイドキュメント (58)

◯松本さんからの紹介

詳しく書くと松本さんが嫌がるかもしれないと思ったので詳細は伏せますが、大変感謝の気持ちがあるので多少は触れねばなりません。今回の『映像研』の仕事自体は、松本さんの紹介で参加することになりました。松本さんというのは、松本憲生さんです。

ある作品で席が近くなっていて、作品の終盤、松本さんが荷物を片付けに来た日に話しかけてくださり、「『映像研』のコンテにまだ空きがあるから、五十嵐くんやってみれば」と言われた日を今でも鮮明に思い出します。ぼくにとって松本さんというアニメーターはスター選手中のスター選手ですから、これは断ることはできません。二つ返事で受けることにしました。

名称未設定のアートワーク

いや、それは単純すぎました。何しろぼくはまるでコンテも演出もやったことがなかったのです。それどころか作画監督もやっていませんでした。そんなぼくがなぜ演出をやろうと思ったのでしょうか。

アニメ業界で働く上での目標というのはざっくり言って二つあると思います。一つは「頂点の人やスター選手と仕事をしてみたい」というものです。ミーハー心ですね。もう一つは「自分自身の手で文化や歴史を作りたい」というものです。これはなんと言えばいいのか、たしか宮崎駿さんがどこかで「ぼくたちの作品と言えるようなものを作りたい」と書いてたと思いますが、この「ぼくたちの作品」ということだと思います。ぼくの仕事の選び方も、大体この二つを行ったり来たりしていました。

ただ、ある時期からこの「ぼくたちの作品」というものを作りづらくなってきたなぁ、という印象があります。どうしてそうなってきたのでしょうか。様々な理由があると思います。いきなりですが、ぼくはアニメ業界に入りたての頃、かなり落ちこぼれな人間だったという自覚があります。入った会社は下請けの小さな会社でしたし、絵も動きも下手でした。今の若手の方のほうがうまいと思います。当時から若手アニメ業界人同士の交流会も盛んにあって、有名な会社に入って、とても輝きを放っている人たちがたくさんいました。ぼくは席の端っこに座っていて、すごいなぁと思っているだけでしたね。情けないですねぇ。

そんなすごい若手たちがなんかいい感じになって集結して、「ぼくたちの作品」と言えるものを作るのかもしれない。ぼくはその時なにかできるように技術を磨いておこう。そんな気持ちが強かったものですから、ぼくはずっと職人的にいろいろな作品に参加して、学んできたのだと思います(実際、ぼくは自分でもいうのもなんですが、結構オールラウンダーなアニメーターです。それは意識して鍛えてきました)。実際、あのころのあの輝いていた人たちはそういう熱量を感じさせてくれたのです。ですが、そういった人たちはひとり、またひとりと去っていった印象があります。厳密にいうと、どこかで何かのお仕事をされているのでしょうが、それはとてもミニマムな作品規模に分散し、「ぼくたちの作品」というものを作りたいと思い続けていたのはぼくだけだったのか…!という気付きがありました。単に彼らの「ぼくたちの作品」の中にぼくが含まれてなかっただけなのかもしれません。これはぼくにとっては、とっても衝撃的なことでした。しかしながら、自分自身が単に勘違い野郎だったからに他なりませんね。馬鹿だったわけです。

そんなわけで、「ぼくたちの作品」を作るのはぼくなのだ。そのためには誰かが中心にならないといけない。それもぼくなのだ。という結論に達したのです。そこにきてようやく演出という仕事の技術も身につけてみようかな、という気持ちに至ったわけです。ずいぶん回り道をしてしまいましたね。本当に何をやっているんでしょうか。

前置きが長くなりました。今日はここまでにします。

それではまた。

稀有な方はサポートしてみると五十嵐のやる気がでます。